第一七六回勉強会「宇佐美魚目を知る~虚実のあわいへの扉~」
(菜の花)村山 恭子
二〇二二年十二月十七日、第一七六回勉強会「宇佐美魚目を知る~虚実のあわいへの扉~」がオンライン形式で開催された。
本勉強会の開催趣旨は、「実景との地続きを匂わせつつ知らぬうちに詠み手をどこにもない虚景へと誘いこんで楽しんでいる」(中田剛「宇佐美魚目ラビリンス(七十)」「円座」二〇二二年十月)と評されるように、独自の表現と世界観を持つ宇佐美魚目の作品は、田中裕明をはじめ、次の世代の俳人に大きな影響を与えてきた。」であり、宇佐美魚目俳句の世界へ迫っていった。
中西亮太氏(司会、「円座」・「秋草」)、後藤麻衣子氏(「蒼海」)、宇佐美魚目を知るゲストの中田剛氏(「翔臨」)ら三人のパネリストが順々に発表。また発表後には、前述の三人によるクロストーク、事前質問への回答など、活発に討論した。
初めに中西氏が基調発表として、「宇佐美魚目の世界―句の変遷とその解釈―」を行った。魚目の全句集である『魚目句集』(二〇一三年、青磁社)を読み、魚目俳句の変遷を四つの時代に分け、次の二点を今回の狙いとした。一点目は今まで全体を俯瞰的に見ていない魚目論に対し「魚目俳句全体の見取り図を描く」、二点目は幻想性、虚実の組み合わせ、生命の慈しみといった観点で語られてきたことに対し「魚目俳句の新しい切口の模索」である。
魚目の略歴に続き、四つの時代に踏み入った。
第一期「写生の時代」句集『崖』
句作の技術として写生を身につけ、技術的には安定。作家としての自立にはいたっていない。
鮫を裂くうしろをすべり氷の荷 『崖』
落葉籠のせてとほつてゆきし舟
石の上に扇を置いて水へ指
第二期「自立の時代」句集『秋收冬蔵』『天地存問』
句作から次第に遠ざかり、活動休止を経て、しばし前衛俳句に取り組む。基礎としての写生、前衛俳句を経験したのち、徐々に句に幻想性が彼の個性として出現しはじめる。魚目俳句と呼ばれるのはこの時期と第三期の一部。
馬頭すでに物体波うつ堀の雪 『秋收冬蔵』
すぐ氷る木賊の前のうすき水
熱湯は連珠のごとし山霞む
白昼を能見て過ごす蓬かな 『天地存問』
海の霧精霊ばつた濡らしたる
古りし絵に象の哭きをる青あらし
第三期「卓越の時代」句集『紅爐抄』『草心』
従来の幻想性に加え、特に取り合わせ句の卓越性・難解さが極まる時期。難しい句が見受けられる。くすみ、濃淡、渋みの水墨画的な様相である。
紙魚落ちしひかりに島の屹立す 『紅爐抄』
春分や手を吸ひにくる鯉の口
海風は翼の如しかたつむり
蛇の音あかく走りぬ神の留守 『草心』
夜半の戸に萍の水ひたひたと
草いきれ潮引く力遠きより
第四期「老成の時代」句集『薪水』『松下童子』
「明るさ」や「軽妙さ」が加わる。句が老成し水墨画的な様相から、絵巻物的な様相へと「発展」を遂げる。
にはとりの正面の顔春の雷 『薪水』
指ふれて菜虫曲がりぬこぼれけり
蹼のへたへた坐る春夕べ
はまぐりの舌出すもあり松の内 『松下童子』
問ふ人にややあり答ふ息白し
忘れゐし言葉が不意に氷水
また、第一期を「写生の基本を身につけた時期」、第二期から第三期は連続性があり、「幻想性を個性として表現、幻想性の卓越、難解さを伴う時期」、第四期は「明るさや軽妙さが生まれた時期」と論じた。
後藤氏は「魚目の扉を考える」をサブテーマに、前半は魚目が十九歳で俳句をはじめ、二十歳で「ホトトギス」に投句。高浜虚子、橋本鶏二に師事した経歴から、「虚子とのかかわり」を、後半は「実景との地続きを匂わせつつ知らぬうちに詠み手をどこにもない虚景へと誘いこんで楽しんでいる」その扉がどこにあるかを探った。
まず魚目の作品には虚子を詠んだ句が多いが、虚子の死後十五年間は「虚子」と出てくる句は一句も発表していないと提示。初めて「虚子」と登場するのは昭和四十九年とした。
山みちを紅爐へもどる虚子忌かな 『秋收冬蔵』
蜃気楼ここにも虚子のはだかりて 『紅爐抄』
高虚子の葉書三行吊しのぶ 『草心』
また虚子と魚目のかかわりを年表で紐解いた。
魚目は俳句を休止した二年間に前衛絵画鑑賞等に興味を持ち、前衛絵画および、アートの文脈から前衛俳句に踏み込んだ。休止期間を経て句風に変化があらわれた。骨格の確かな写生に幻想味が加わり、堅実さの中にある独特の柔軟性、生へのいつくしみを表現した。骨格の「確かさ、堅実さ」に、虚子の影響があるのではと提示した。
虚子の「日常の存問が即ち俳句である」から、「俳句は、いのちに対する存問である」とし、虚子の存問とは、アミニズム的な自然観とした。
若水や虚子存問のありどころ 『天地存問』
魚目が一度俳句から離れ、前衛作品にも踏み込んだことは、虚子の大きさ、自らの原点、拠り処を見つけたターニングポイントと考えられると論じた。
また虚子と魚目の句を対峙し、同じ空気感がある等と評した。魚目は虚子から学んだ確かな写生の骨格、質の異なるものの僅かな接点を描く力により、魚目流の「存問」を得たとした。
初蝶来何色と問ふ黄と答ふ 虚子
空目して額に当る冬日かな
巣をあるく蜂のあしおと秋の昼 魚目
秋の夜のこぼれしままの水の玉
続いて魚目俳句について、四つの扉を提示した。
一. 距離感の巧みな描写(実から虚への移動や不思
議な疑似体験)
春の夜の手が冷くていのちあり 『崖』
冷えといふまつはるものをかたつむり『天地存問』
雨音のやがては耳に温め酒 『薪水』
二.浮遊感リフレイン(体験・時間レイヤーを何層にもする言葉の力)
水へ落つ水あり落穂手燭めき 『秋收冬蔵』
最澄の書に息あはせ息白し 『天地存問』
柚子青し青しと神をまへうしろ 『紅爐抄』
三.うつくしい恐ろしさ(虚から実への実感、美しさへの着地)
秋の死や餅一重ね海に流し 『薪水』
でで虫の自在な肉も花あかり 『草心』
人間をふちどるひかり黴畳 『松下童子』
四.軽やかな接続(季語の重みはそのまま、視点・焦点を移動する)
顔に墨つけて洋々日永の子 『天地存問』
この中の誰雨をんな竜の玉 『紅爐抄』
糸流す蜘蛛の目そこに秋の暮 『草心』
中田氏は、意中の現代俳人を宇佐美魚目と飴山實とし、氏にとってふたりは静かにラジカル(過激)な俳人とした。また魚目を〈直観〉のひととし、よりラジカルな作が多く、表〈魚目〉と裏〈魚目〉があり、裏〈魚目〉が魚目の本質かと論じた。また魚目ラビリンスについては、魚目の〈分からない俳句〉のどこが分からないかを、忘れないように書き留めておくのが目的で、魚目の世界にさまようことを楽しむ、魚目(怪物)の怪作を迷宮(句集)中に眺める趣向もあるとした。
魚目は虚子のグロテクス(不気味)の正体を探求しているとし、実際に見た虚子に違和感を持ち、他の大方の虚子門俳人とは違ってかなり突き放してみている、うっとうしくも感じているとした。
魚目は虚子の幾つかの句に対して呼応するように作っており、例えば〈初夢の唯空白を存じたり 虚子〉へ〈初夢のいきなり太き蝶の腹 魚目〉と肉感のあるものをぶつけていると評した。
また第四句集『紅爐抄』にとりわけ色濃い女性の面影のあらわれを俳諧(連句)の恋の句を意識したか、〈月〉〈花〉はあるが〈恋〉の句がないことに気づいたか、エロスを感じさせる妖艶なる句もみられる。追懐する母にまつわる光景の〈実〉と母以外にイメージされる女性の面影の〈虚〉を述べた。
ひとつの表現癖として〈伝聞〉の態をとる句が散見。〈伝聞〉の態は、〈語り〉から何か(物語)が想像されることへおもしろさを感じている、まことしやかな嘘が含まれ、虚実の綯いまぜを楽しんでいるとした。実景から虚景を生んでいるかは、魚目のラジカルな言葉として「一瞬にしても長い時間にしても錯覚しているってことは一種の狂気といえば言えるし、はじめから当然俳句の世界はそういうものを持っていると思うんですがね。(陽炎のはなし)」を提示した。
クロストークでは、中西氏から「魚目のどの句集をまず薦めるか」と提示があり、後藤氏は「個人的にすきなのは『紅爐抄』、魚目らしさや勢いがあるのは『天地存問』」。中田氏は「表〈魚目〉として『天地存問』で魚目のリズムが一番張っている」。とし三者とも薦める句集は『天地存問』であった。
また中西氏から「魚目のピークをどこにみるか、晩年の『松下童子』の明るさや軽妙さを、発展か衰退か。」には、後藤氏は「魚目らしさを主軸にすれば衰退か。」、中田氏は「事実だけを追うと二〇一六年以降は書けなくなり衰退か。収束していく句集だが、一句一句については疎かにできない。」とした。中西氏は「五年間の空白があり、老成の中で生まれてくる何かがある。」とした。
事前質問一つ目の「四誌連合会賞第一回受賞者の魚目への評価をどう考えるか。」には、「選考過程で『詩心がある』、『感覚に弾力がある』等、感性を評価している。」、「俳句世界のパワーバランスが入ってきている。」等とした。
二つ目の「魚目と『青』の関係性。多作多捨には関心がなかったのか。」には「多作多捨は完成されていない新人を鍛えていく方法で、同人で入っている魚目には言わなかったのではないか。」、「波多野爽波は速度性や瞬発に出たとこ勝負の刹那主義、魚目はゆっくり、大ぐくりの世界で少しずつ触りながら作っていったのではないか。」とした。
三つ目の「魚目は俳句の印象派か。」には、「幻想派か。印象派としては水原秋櫻子。」「芭蕉か。虚実をわからなくしている。実はありながら、見えているところが虚なのか実なのか。幻想派ともいえない。芭蕉に近いかなといつも思う。」とした。
最後に中西氏が「魚目は現代俳句協会に入っていた。若手の中で注目している作家。実際はお茶目で明るい人と聞いている。魚目の肉声に接したことがある中田氏、句柄が違う後藤氏の参加で新たな発見があり議論が深まった。皆の関心を寄せ合って、魚目の勉強会をもう一度やってみるのも良いかも。」と会をまとめた。また中田氏から「魚目は結局どこまで追ってもわからない。魚目さん自身も『わかってたまるか。』と言っていた。謎の多い俳人。」の発言もあり、余韻にひたりながら終了した。
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