【選考方法について】 選考に先立ち、各審査員は予選通過作品の中から推したい作品を、それぞれ順位をつけずに五編選び、持ち寄りました。応募作品全128作品の中から予選を通過した22作品を対象に本選考を実施しました。本選考会は二日間にわたり行われました。また、他の審査員がどの作品を推しているかは一切分からない状態でのスタートとなります。 審査員たちが互いの読みを交わし合う、白熱した選考の模様をご覧ください。
選考結果は、こちらのページからご覧いただけます。ぜひじっくりとお楽しみください!
- 審査員予選通過作品(整理番号順)
- 審査員自己紹介
- 俳句チャレンジ選考会録(Day 1)
- 1. 澄めない
- 15. 不可逆
- 17. 私語と咳
- 21. このまま
- 28. 深皿
- 30. 躰に秘めて
- 31. インビトロ
- 36. 盗泉
- 41. チューバ拭く
- 45. 遠雷
- 52. べきろん
- 54. それから
- 60. 抱く
- 70. puzzle
- 71. 志
- 72. 覗きこむ
- 俳句チャレンジ選考会録(Day 2)
- 82. 輪郭
- 83. 菓子にて摂り
- 87. 鱗
- 99. けど正解
- 103. みどり
- 111. ぷこここ
- 全作品追加議論〜グランプリ選考
- 1. 全作品追加議論
- 2. グランプリ候補決定
- 3. グランプリ選考
- 4. 最終決戦投票・賞決定
審査員予選通過作品(整理番号順)
浅川芳直
- 30. 躰に秘めて
- 41. チューバ拭く
- 60. 抱く
- 72. 覗きこむ
- 82. 輪郭
木田智美
- 15. 不可逆
- 21. このまま
- 28. 深皿
- 45. 遠雷
- 103. みどり
暮田真名
- 31. インビトロ
- 52. べきろん
- 70. puzzle
- 71. 志
- 99. けど正解
黒岩徳将
- 1. 澄めない
- 45. 遠雷
- 54. それから
- 70. puzzle
- 87. 鱗
若林哲哉
審査員自己紹介
浅川芳直
浅川芳直です。
僕はこの選考のときに、まず自分が句会だったら取れる句がどれくらいあるかなというのを全体通して、連作とか関係なく見ていって丸をつけていって、最終的に取れる句が複数あったものを心の予選で残して、そっからきちっと丁寧に見ていったという感じで選をしたんですね。
だから、皆さんがどんな風にこの選考に臨んだのかということをいろいろお伺いしながら、僕自身も勉強していきたいなと思っていました。盛り上がっていければなと思っています。
木田智美
木田智美です。全部で128作品あったので、その中から十個くらい絞ったんですけど、そこからまた絞っていったという感じですかね。
二日間でちょっと決まるかわかんないんですけど、でも多分22作品あったから誰かは被ってるはずなので、みんなで話し合っていい結果になったらいいなとは思います。
暮田真名
暮田真名と申しまして、川柳人なので、この催しにおけるゲスト枠ということになるのかなと思います。
選考にあたって、私は普段川柳を読んでいるので、五七五を目にしたときには、まず川柳として読むことになっちゃうというか、そういうところがあるんですけど。
まず一通り目を通して、印象を『良かった』とか『普通だ』とかに分けていくという読み方をした後、二周目は季語らしきものに丸をつけて読んでみました。そしたら、一周目に『普通かも』と思ったものが『いや、これは良いんじゃないか』となったり、一周目に『良かった』と思ったものが『いや、普通かも』となったりして、印象が変わったことが、まず自分の中で驚きでした。
最初から「好きだ」と思ったものと、季語に意識を向けて読んだときに「これはすごいんじゃないか?」みたいに思ったものを最終的に5作品持ってきた感じです。
黒岩徳将
黒岩です。何周かしてポテンシャルが強いもの、ハイレベルな句が揃っているものを残しました。現代俳句協会主催のコンテストというのもあるかもしれませんが、主題や文体、技術などについて何かの流れ・潮流を感じます。そこにもみんなで触れられたら嬉しいです。
若林哲哉
若林哲哉と申します。十句作品ということで、個々の作品の完成度ももちろん見ましたけれども、同時に十句という短いながらもある程度世界観を作り出せる数というところで、何を描こうとしているのか、この人は俳句を書くことで何を伝えたいのか、何を分かってほしいと思っているのかというところを考えて予選をしました。そこも含めて皆さんと語り合えるのがとても楽しみです。よろしくお願いします。
俳句チャレンジ選考会録(Day 1)
1. 澄めない
蝌蚪うすく光つてねむらない汀
鳥のこゑしても正方形ぢやない
あいこつづく今を乱反射する汗
雨季そののち手なづけられて換気扇
すり抜けて蜥蜴の尾から青くなる
祭でて影も失くしたやうな黙
梨たとへやうなく同じ雨がふる
うつくしく海鼠ヘクタールにそだつ
おはやう午後。しぐれても仕方なかつた
浅川芳直:〈祭でて影も失くしたやうな黙〉に惹かれました。祭りの喧騒が終わって、その後の寂しさ。いい情感が出ているなと思いました。ただ一方でですね、〈鳥のこゑしても正方形ぢやない〉とか〈一月の段丘だから木にあつまる〉とかは、手がかりが少なくて読み切れないところが実はありまして。雰囲気は分かるんですけど、作者の詩の核心にある感覚が掴みにくいところがありました。作品全体としては、〈雨季そののち手なづけられて換気扇〉の質感ですとか、〈すり抜けて蜥蜴の尾から青くなる〉のイメージの使い方、色彩感覚と言いますかね、空気感の使い方が巧みというか、そういう指向を持って作ってらっしゃる人なのかなと思って読んでおりました。あまり凝らなくても十分に力のある方だと思うのですが、黒岩さんのおっしゃる潮流の中の作品かと思います。
暮田真名:今、浅川さんが挙げられたような〈鳥のこゑしても正方形ぢやない〉だとか〈一月の段丘だから木にあつまる〉という、景を一意に定めることができない句があることで、連作全体が詩的だなという感じがして。詩「的」というのは、つまり、詩的であることに意識を割きすぎているのではないかなという印象を受けながら読んでいました。そこが読み切れなさにつながっているのかなと。
若林哲哉:それで言うと、僕は逆に読み切れなさに繋がっているというよりは、読み切れる/読み切れないではなく、作為のポイントが見えるというか、意図みたいなものが少し分かりやすく見えるかなと思っておりまして。タイトルも「澄めない」ですが、十句の中では水にまつわるモチーフだとか、水そのものを詠んだ句が出てきますね。
いいなと思ったもので言うと、二句目の〈蝌蚪うすく光つてねむらない汀〉ですね。これは「ねむらない」というところが、一つ作為の見えるポイントではあるんですけれど。蝌蚪が水面の浅いところに広がっていて、尾をピチピチと動かしている光景を「ねむらない」と表現してみせたと。景色をしっかり見せつつも「ねむらない」という感覚的な表現を取ったというところでも面白いんじゃないかなと思いました。
一方、例えば後ろから三句目の〈梨たとへやうなく同じ雨がふる〉とかですね。暮田さんがおっしゃっている「詩的」な句というのはこういう句のことを言うと思っています。梨という水気を含んだ果実があって、雨という世界を取り巻く水がある。一句の立て方としてやや分かりやすいところもあるかなと。
黒岩徳将:今までの議論の方向性の話がすごく興味深くて、ポエジーに対して意識的な言葉遣いをかなりしている一方で、それが透けて見えやすいところもあるんじゃないかというのは同意するところがありました。特に最後の句〈おはやう午後。しぐれても仕方なかつた〉が句読点かつ自分の状況のつぶやきという形で終わっているところ、ちょっと意図が強かったかなという気もしますが。今皆さんが挙げられた句に関しては、自分としては結構ユニークで魅力的な句がかなり多かったなという印象です。魅力の出し方が分かりづらいという意見も分かりますし、表現や文体の手つきにあからさま感はあります。
若林哲哉:自分で言っといてなんですけど、作為があからさまだとなんでマイナスになるんでしたっけ?
黒岩徳将:興冷めだと感じるというか。読者側でその魅力を解き明かしたい以上のことを述べてしまっている。釣りと餌の関係でいうと、餌がちょっと見えやすいところがあるかもしれない。
若林哲哉:もうちょっと読者が自由に楽しめる余地を作ってよ、って感じですか?
黒岩徳将:そうそう、そうです。
浅川芳直:説明がついちゃうと美的価値が低く見える、っていうのはあるかもしれませんね。
黒岩徳将:〈一月の段丘だから木にあつまる〉は、因果関係を結んでいる割にはポエティカルなドグマです。「だから」、面白いと自分は評価してます。
浅川芳直:これ、木に集まっているのは何が集まってるんでしょうね?
黒岩徳将:私は「私たち」という風に捉えています。
若林哲哉:木田さん、どうですか?
木田智美:はい、そうですね。私も半分くらいは良かったけど、半分くらい分からへんなっていう感じでしたね。二句目の〈蝌蚪〉の句と、八句目の〈梨〉の句とかは割と好きやったんですけど。でも〈梨〉の句も、今お話を聞いてたら、ぼんやりしすぎているかなという感じはありますかね。〈たとへやうなく〉まではいいけど、〈同じ〉というのが挟まったら、「何が同じなの?」と。焦点がブレているというか、表現したいことが分からなかったところはありましたかね。あとは〈蜥蜴〉の句とか、尾が青いトカゲって普通に検索したら尻尾だけが青いトカゲの写真とか出てきたり、後ろの〈祭〉の句とかも、祭りも終わった後の静けさというのは分かるかなと思ってしまって。分かりやすい句が挟まっているところは気になったところはありますかね。一句目(〈一月の段丘だから木にあつまる〉)もちょっと分からへんかったなと思って、結構私、一句目で「あ、わからへん」となって、他の作品に目が行ってしまったところはありますかね。
黒岩徳将:皆さん取り合わせとか、二句一章なのか一句一章なのか、ちょっとぐにゃっとした書き方についてはあんまり関心ないですか?私は結構挑戦してるなと思っていて。〈蝌蚪うすく光つてねむらない汀〉とか〈梨たとへやうなく同じ雨がふる〉とか。〈梨〉で切るという読みなら、音数が「梨」(2音)と〈たとへやうなく同じ雨がふる〉(15音)で2・15のリズムです。私は初学の頃これで成功するはずがないと思っていましたが今は時々見かけます。
浅川芳直:あぁ、〈梨〉の句は僕どちらに「たとへやうなく」が連なっているのかよく分からなかったんですが、そうか、黒岩さんは〈梨〉で切れるという風に読まれたんですね。
黒岩徳将:大塚凱さんの2音で切る句、たとえば〈芽や風の一夜に夢をふたつ経て〉みたいな。まあこれは切れ字含めての2音ですが。そうした最新の流行りや音律の試みを踏まえているのかな、という感じです。
浅川芳直:なるほど。
若林哲哉:大塚凱さんの『或』もそうですし、俳句雑誌『noi』とかを読んでいてもこういう韻律感覚は珍しくないかなと思うので、こういう試み自体が大きな加点になるかと言われると、目新しさは今や正直ないかなと。勝手なイメージだけで言えば、俳句よりももうちょっと早い時代から、川柳の方だとこういう韻律の工夫はあったんじゃないかなと思っているんですけど、どうですかね?
暮田真名:私の感覚だと、韻律に関しては俳句のほうがこだわりがあるなと思います。五七五を短く切る試みは、青本柚紀さんや大塚凱さんみたいだなと。「俳句をやっていたころの私もオーソドックスな五七五のリズムをダサいとずっと思っていて」って青本柚紀さんが言っていたような気がするんですけど、そういう試みは現代俳句では結構進んでいるというか、みんなで開拓してるなーって端から見てて思います。
若林哲哉:ありがとうございます。俳人の方が韻律のこだわりが強いイメージなんですね。
浅川芳直:川柳の方が、耳で聞いて何言ってるか分かる感じはありますよね。
暮田真名:そうです。やっぱり句会が声主体だったので、川柳は耳を大事にしているかなと思いますね。
黒岩徳将:確かにこの十句を音声だけで聴いても、パッと意味を理解するのは難しいかもしれないですね。
浅川芳直:韻律を細かく刻んだり、要素を多くしたり、主体を疑ったりというのは、明治末期の無中心俳句でもうあるんですけどね。ただ、四句目の〈あいこつづく今を乱反射する汗〉は、声に出して初めて上五で何言ってるのか分かりましたよ。ひらがなで見ると一瞬何言ってるか分からなくて、脳内で何回か音読して「あ、ジャンケンか」と思いましたもん。「つづく」を開いてるからかな。
黒岩徳将:あぁ、なるほど。割とアオハル的な句で、僕は0.3秒くらいで理解してまっすぐな句だなという印象でした。
暮田真名:一意に定められないことが良くないわけではなくて、そういう句って、あとに残るものがないというか。分かりにくい分、読んでいる最中にハイパー楽しくないと元が取れない気がして、そこの楽しさがそこまでなかったかなという感じがします。
若林哲哉:一句の中の見せ所が必ず二箇所以上あるように作られているという感じがして。「ハイパー楽しい」かというと、楽しいものもあればそうでもないものもあるかなという印象ですね。例えば二句目の〈蝌蚪うすく光つてねむらない汀〉だったら、〈蝌蚪うすく光つて〉で見せ所①、〈ねむらない汀〉で見せ所②という感じ。この句は好きですけどね。面白いと思う。九句目の〈うつくしく海鼠ヘクタールにそだつ〉も〈うつくしく〉で見せ所①、〈ヘクタール〉で見せ所②なんですけど、海鼠に対してどっちもねじれているから謎だけが残って、過程が「ハイパー楽しい」かと言われると、実はそうじゃないかもしれないみたいな感じはしますね。
黒岩徳将:ドーパミン的なものを刺激する句作りではなくて、ちょっと謎だけ残した感があるから消化不良、というポイントもよく分かります。あとは今挙げてくださった、作りが似すぎているというのもあるかもしれない。
若林哲哉:蝌蚪も水面にいて、海鼠も海の浅瀬のところを1ヘクタールくらいに広がってうようよ育ってますよっていう。よく考えるとじわじわ面白いってなるかもしれないけど。
黒岩徳将:なるほど。
若林哲哉:確かに、蝌蚪の句と海鼠の句は、内容も韻律も似ていると言えば似ています。
黒岩徳将:他の武器が欲しかったという感想に着地しそうな感じも、今のお話を聞いて思いました。
若林哲哉:しかし、 ちゃんと連作の良いところを言っていきたいですね、厳しいことばかりじゃなくて。
15. 不可逆
日永たとえばレモンカードを濾す網目
豆苗や寝癖のままに消えた猫
転職のための半休桜まじ
清明や琥珀のひなに風切羽
へリオトロープ匿名で生きてみたい
労働は遊戯穀雨のサグカレー
夢より安定 背泳ぎの目を閉じる
いつか灰に埋まるふるさと草笛吹く
性記す履歴書夏の蝶にがす
人生は不可逆ルバーブ煮崩して深紅
暮田真名:はい、これは一周目に読んだときに、つまり季語を意識せずに読んだときにも、主体が働いているサラリーマンであることが分かりました。川柳にはサラリーマン川柳というジャンルがありますけれど、サラリーマン俳句だなと思って。結構好きで、分かりやすいですよね、主体が何をしているかというのが。なので門外漢にとっても読みやすい連作でした。好きだったのは五句目の〈へリオトロープ匿名で生きてみたい〉ですかね。働いていると、自分のすべての仕事に自分の名前がついて回って、「ミスをしたら自分の価値が落ちる」とか考えるのかな。今匿名って結構悪い意味で使われる、「匿名性が人を暴走に向かわせる」みたいな言い方をされることが多いと思うので、この〈匿名で生きてみたい〉は肯定的というか、積極的に匿名という言葉を使っているのが面白かったですね。
黒岩徳将:主体の状況とか、出来事に立ち会ったときに感じた気持ちというのが、写しているものと合わせて感じられる句が結構多かったですよね。特に言ってくださった〈へリオトロープ匿名で生きてみたい〉。ヘリオトロープというお花がいっぱいついている感じと、匿名性の怖さというか揺らぎみたいなのが感じられて、ストレートで良い句だなと思いました。六句目の〈労働は遊戯穀雨のサグカレー〉。「サグ」はほうれん草のことですね。最初、「豆のこと」だと勘違いしてしまい、豆がいっぱいある、その労働者一人一人を掛けているのかと思ってしまった。失礼しました。ほうれん草の暗い緑が労働という概念と掛かっているのかな。労働が遊戯であるというのは自分に無理に言い聞かせている感じがする。他の句を見ているとちょっと労働が辛そうな感じがする。そういう統一感があるかなと思いました。例えば七句目〈夢より安定〉とか十句目〈人生は不可逆〉とか、自分の中で何とかこなして自分の言葉にしようとしているものの、既成的なフレーズで借りてきた言葉を当てはめている感じが惜しいなという感じがしました。事柄性も入っている言葉は、切り札として取っておくように使う方が連作のポテンシャルが上がるのかなと思う。「私は人生をこういう風に捉えています」という価値観の提示が強い句が多すぎて苦しいところがありました。〈人生は不可逆ルバーブ煮崩して深紅〉みたいな句が一個だけ入っているんだったら「おー」と思うんですけどね。
浅川芳直:好きな句は四句目の〈清明や琥珀のひなに風切羽〉です。琥珀の中に閉じ込められている太古の生命の痕跡がすごく美しく捉えられていていいなと思いました。透明感と永遠性がうまく出ているかなと。
マイナス面は、黒岩さんと同じ感想になるんですけれども、〈人生は不可逆〉とか〈労働は遊戯〉とか〈匿名で生きてみたい〉とか、出来合い感のある言葉が多いのが気になったかなというところです。二句目の〈豆苗や寝癖のままに消えた猫〉は、豆苗と寝癖は近すぎるんじゃないかという気がいたしました。全体としてはすごくテーマ性があって楽しませていただいた一作でありました。
若林哲哉:僕が注目した句をまず言うと、三句目の〈転職のための半休桜まじ〉はまとまっていて良い句なんじゃないかなと思いました。今働いている仕事があって、午後休みとか取って面接を受けに行く。桜まじなのでまだ3月か4月ですよね。そういった時期の実感、年度が終わって、新年度の会社での労働が始まったというときの実感が、季語の奥にしっかり滲むという句の作り方だなと思って、この句はいいなと思いました。その分、内面にある労働観だったり、働きながら人生を送るということに対するフレーズだったりが、やっぱり決まり文句というかキャッチコピー的になっていて、そこに季語を合わせるとなると、例えば〈労働は遊戯穀雨のサグカレー〉の「穀雨」の実感はどのくらいあるかなとは思いました。
さっき感じた「桜まじ」ほどの実感は、もしかしたら穀雨には宿っていないかもしれない。ご自身の労働や労働観について、抑制しても書けるし、分かりやすく激しくも書ける方だと思うんですけど、〈労働は遊戯〉〈夢より安定〉〈人生は不可逆〉と似たような作りで季語を合わせていて、そこが悪目立ちというか、強く目に付いてしまったという気はしました。〈へリオトロープ匿名で生きてみたい〉は季語と、内面に関わるフレーズとのバランスは良かったかなと。木田さんどうですか?
木田智美:全体的にはやっぱり皆さん言われてたのと同じなんですけど、春から夏にかけて転職活動をして、途中で真ん中くらいで再就職したのかなという全体の流れとして、その人の人生みたいなストーリーとしてちゃんと立ち上がってくるので、連作としてはテーマがはっきりしてて良かったと思います。私は一句目の〈日永たとえばレモンカードを濾す網目〉の句とか、〈ヘリオトロープ〉とかは、すごい新鮮な言葉の選び方で、そこまでちゃんと景色としても見えてくるような、結構丁寧に作ってあっていい句やなぁと思いました。
ただ、皆さんおっしゃってくれたように、〈夢より安定〉とか、履歴書の句、後ろから2番目の〈性記す履歴書夏の蝶にがす〉の句も良かったんですけど、ちょっと〈性記す〉は他の人の作品とかにもありそうかなとは思いましたね。履歴書が手元にあって、蝶々が家の中に入ってきたのか逃がすという、書いてあること自体もよかったんですけど、〈性記す〉はあるかなぁとは思いましたね。この作者の人の、「レモンカード」とか「ヘリオトロープ」とか「サグカレー」とか「ルバーブ」とか、作品にこんな言葉を入れたいというのがしっかり分かって良かったと思います。
暮田真名:「性記す」の句について出たので。私、最初に「サラリーマン俳句」と言ってしまいましたが、サラ川ですら、今では「サラっと一句!わたしの川柳コンクール」に名前を改めているくらいですので、良くなかったです。この句の主体が男性だと思っているわけではなくて、「ビジネスパーソン」だと思っているということです。
〈性記す〉も、性別違和とまではいかないけれど、ちょっと不自由だなという感覚をここでにじませているのかなと思って。浅川さんがおっしゃったことによって、四句目の〈清明や琥珀のひなに風切羽〉はいい句だなと思って。琥珀に己を重ねているわけですよね、これは。で、逆に〈夏の蝶にがす〉では「自分は不自由だけれど蝶は自由に飛んで行ってください」みたいな、そこも理に落ちる感じがあったのかなと思います。
浅川芳直:今の暮田さんの評に重ねていうと、この作品は割と凝った構成になっているんじゃないかなと思ってました。要所要所で料理の句が出てきて、やっぱり料理・食べるというのは生きる死ぬに直接関わってきますから、仕事と料理とがいい塩梅で交互に登場して。それから琥珀の句との対応で言うと、後の方に〈いつか灰に埋まるふるさと草笛吹く〉という句があって、火山活動というか、世界観の設定みたいなものにもちゃんと目配りが行き届いているという意味では、十句全体で見たときに楽しませてくれる作品ではあったのかなと思いました。
若林哲哉:関連して付け加えておくと、〈いつか灰に埋まる〉のところを火山活動と取るのであれば、やっぱり〈桜まじ〉という季語はもともと西日本や南の方での呼び方なので、そうした地域性に根ざしたところもありますね。
黒岩徳将:十句という世界の中でどれだけテーマ性の強いものが押し出してくるのか、その連作としていいのかやりすぎなのか。これに関しては、皆さんストーリー的なものの立ち上がりが読み込みやすかったというのは結構おっしゃってたのかなという風に思いまして、なるほどと。主体感の統一感があるのも読みやすさに繋がっている。で、私としては労働観みたいなのが出ている強すぎる感じが少し尻込みしてしまった一番の理由かなという感じです。
17. 私語と咳
フラスコの虹に冷たい手の論理
私語と咳たどりあなたの弔ひへ
枯園の友の喋れば鳥の律
クローンのぼく眠りぼくよりも蝶
留年の欠伸の潰す移民船
蛇揺すり起す終りの陽だ、ごらん
雪の夏行き交ふひとの頭上に環
カーテンはいうれい被る君もさう
然る秋の部屋に遺影の自分たち
みんなの忌鱗雲ならまた会へる
若林哲哉:さっき、十句を読んだ一つのストーリーが立ち上がるかどうかみたいな話も出てきましたけれど、まさにこの「私語と咳」は一つのテーマに貫かれた十句だと思いました。テーマはいくつか読み取れるんですけど、一つは死生観ですね。あと広くとると十句全部に身体性も共通していると思いました。手であったり、咳であったり、人間の身体にまつわる部位や動作が入っていて、あなた、ぼく、みんななど人物を指す言葉が入っていて。一句一句は意味にねじれが生まれるように描かれていて掴みどころがないんですけれど、十句通して読むと一つの世界を見出すことができるかなと思います。
特に注目した句としては最後の二句、九句目〈然る秋の部屋に遺影の自分たち〉と十句目〈みんなの忌鱗雲ならまた会へる〉ですね。死ぬということをみんなで迎え、みんなの死後というところに安息が生まれる。大塚凱さんの句〈みんなとおなじ忌なら灼かれることもない〉は、みんなと同じ日に死ぬことによって、灼かれるという運命を避けることができるという句なんですけど、そういうテーマ性を受け継いだような、みんな同時に死ぬからこそ、お互いの死を嘆かなくて済む安息というんですかね、そういったところが最後に立ち現れてきて十句を締めくくるという構成は巧みだなと思いました。九句目では、「みんな」ではなく「自分たち」と詠まれていて、「みんな」と「自分たち」では意識の方向が全く逆。「自分たち」も遺影になっているという、生きている自分が死後の自分たちを夢想する視点もあったりして。
〈私語と咳たどりあなたの弔ひへ〉という表題句ですけど、私語と咳というのはどっちも人が集まっているときに、私語は注意されたり、咳払いはやたらと気になったりするものですね。それらの、一つ一つの生の痕跡みたいなものを拾いながら、弔いという一つの死にまつわる営みに向かっていくというような感じかなと思って読んでおりました。
浅川芳直:いろんなことができる人ですよね。言葉に陶酔はしていない。うーん、最近のある一線のところで組まれているという印象はありつつ、でも、俳句が好きで色んな工夫をされているのが伝わってくる十句だと思いました。若林さんが今おっしゃっていた〈みんなの忌鱗雲ならまた会へる〉は、やっぱり大塚凱さんが頭をよぎりました。主体というものを疑うような。
ただ、〈みんなの忌〉だけで見ると、世界の終わりのようなみんな死んでしまうという読み方もできるし、すごい有名なファンの多いアイドルの死だとか、大災害とか戦争とかでたくさんの人が亡くなった日とか、「みんなの忌」の読み方がブレるような気がします。前の句の〈然る秋の部屋に遺影の自分たち〉がなければ若林さんのような読みは出来ないなと。そこは連作形式へのもたれかなと気になりました。
一句目〈フラスコの虹に冷たい手の論理〉の「論理」は、「ロンリー」のダジャレかな。カイザー恵理菜『運命に賭けたい論理』って曲があるんですけど、ポップス的な発想から持ってきたなら、やや未消化かもしれません。マイナス面を言ってすみません。六句目〈蛇揺すり起す終りの陽だ、ごらん〉の線がいいのではと思って拝見しておりました。「ごらん」というのは、岡本真帆さんの〈平日の明るいうちからビール飲む ごらんよビールこれが夏だよ〉以来ミーム化しましたが、ややこしい書き方がはまっているといいますか、自分の言葉としていらっしゃると思いました。蛇を突っつくのはやめなよと思うんですが、「ごらん」がやさしいです。
黒岩徳将:お二人とまた違うこと言っても申し訳ないんですけど、今の浅川さんの「論理」が「ロンリー」的だったり「みんなの忌」がポップ的に感じられる可能性があるというのは、十句の世界観を考えると、ぼやけた誰でもない私みたいなものを薄く広げて伝えていこうという世界観だと味わえる連作なのかなと。統一感という意味ではかなり工夫を凝らされている連作だなという印象はあるんです。
で、若林さんが言う後ろの二句に関して自分がどういうスタンスを持つかというと、大塚凱さんの句も出てきましたし、集団をどう捉えるかで「私という存在は本当に固有のものではないんじゃないか」という問いかけのテーマ性自体がやや食傷気味な感じがするというところは浅川さんと同じで。作者は意識しているけれども、この人が主体のパーソナルな情報を明かさずにいかに俳句を作れるか。三句目〈クローンのぼく眠りぼくよりも蝶〉とかも「クローン」という言葉を大事に使っているので、私のパーソナルな情報は明かしませんという宣言が聞こえすぎてきていて、ぼやかした句が多すぎて手を引きました。
木田智美:ぼんやりしてて読み切れなかった句が多かったかなと思って。例えば八句目〈カーテンはいうれい被る君もさう〉の句は、布を頭にかぶって幽霊みたいになるというのはよくあることなので、季語として幽霊かどうかというところで引っかかってしまったり。全体的に季節としてその季語でいいのかどうか疑問の句が多かったです。六句目〈蛇揺すり起す終りの陽だ、ごらん〉の句とかは発想自体は面白かったです。〈みんなの忌〉というのが、そういう言葉があるのか分からなくて、造語というか一般的にあるものなんですかね?
浅川芳直:「みんな」とか「すべて」とかが、ちょっと流行っているような。忌日としては架空のものでしょう。
黒岩徳将:歳時記には誰々忌といろいろあって季語になっているけれど、〈みんなの忌〉はどうだろうと問いかけている句なのでは。
木田智美:季語としては「鱗雲」が季語ということですね。
黒岩徳将:忌日句は別の季語を入れて補強することもあるけれど、〈みんなの忌〉が秋という感じがする。
浅川芳直:「みんな」はどこまでが入るんでしょうね?自分たちの身近な範囲なのか、みんなにとって大切な人の忌なのか、終末論的なものまで入るのか。
暮田真名:凱さんの句は、本当にもう、人類滅亡レベルの話なんですかね?
若林哲哉:僕はそう読んでましたね。
暮田真名:私、四句目の〈クローンのぼく眠りぼくよりも蝶〉とか、九句目の〈然る秋の部屋に遺影の自分たち〉はいいと思って、この世界観を保っているのはお見事だなと思いながら読んでいて。ただやっぱり気になったのは五句目〈留年の欠伸の潰す移民船〉。全体的に享楽的ですよね、死というものに対して。享楽的ですけれど、享楽で「移民船」という言葉を使っていいのか?良くないんじゃないかと思いました。七句目の〈雪の夏〉ってなんなんですかね?
浅川芳直:あれね、難しかったです。あえて触れなかったんだけど(笑)。
暮田真名:でもかっこいい感じはしたんですよ、夏なのに雪が降ってるみたいな。あと〈クローン〉〈フラスコ〉はおそらく人造人間みたいなことを言っていたり、十句にしては要素・テーマが多いんじゃないかという気もしました。
黒岩徳将:享楽はどこら辺に感じられます?
暮田真名:〈みんなの忌〉も楽しそうだし、死というテーマを扱いながら、〈カーテンはいうれい〉も深刻ではないというか。ゲームの一枚絵みたいなんですよね。こういうゲーム好きな人いるよな、という印象を受けました。
浅川芳直:おっしゃること、分かります。享楽的っていう点、暮田さんと感想を共有できそうです。〈雪の夏〉は無理やり読むと雪渓とか夏の登山の句として読めるのかな、でも、イメージの世界なんでしょうね、実際の季語の世界と取るよりは。もう少し応援の方を伺いたいです。
若林哲哉:〈移民船〉の句は僕も「移民船」とは言わない方がいいなと思いながら推しました。一方で、補足をすると、連作全体の流れとしては、自分が生きているところから、自分の死後までを辿るようになっているんですけど、〈蛇揺すり起す終りの陽だ、ごらん〉が終末を受け入れるという転換の句になっていて。〈雪の夏〉はその後に出てくるので、現実の景色に当てはめるというよりもイメージの季語としてとっていいんじゃないかなと思います。〈頭上に環〉というのは天使的なイメージ。周りの人たちがどんどん死というものに飲み込まれていくというところがあって。
〈カーテンはいうれい被る君もさう〉は、「いうれい」で一回切れるんですよね。カーテンは幽霊、棚引いているところを幽霊と見ている。そして、カーテンをかぶっている君もまた幽霊になっていくということで、「君」という身近な人物も死に飲み込まれていく。
この流れをゲーム的と言われると上手く反論できないんですけど、「移民船」は、語自体が固有の歴史的背景を持つものなので危ういというか、おそらくその背景自体は、連作の世界観には必ずしも必要ないと思うので、あんまりこういう詠み振りはしない方がいいんじゃないかと思いつつ。ただし、〈留年の欠伸の潰す移民船〉というのは、移民船に乗ったら終末を避けて別の世に行けたかもしれないけれど、留年してあくびをしている私は、終末を避ける可能性を断ちましたという。一句単位ではなく、連作の中の一句としてだったらそう読めるかなと思っています。
木田智美:欠伸って季語じゃないんじゃないですかね?
若林哲哉:季語ではないですし、おそらくこの句は無季ですね。蝶を詠んだ句の次なので春っぽい感じはしますけど。個々の句というよりは連作十句で成立している作品だと思います。
21. このまま
人に貼る絆創膏や冬菫
鮟鱇が煙草を吸いたがっている
雪というバベルの塔の砂塵かな
水の密度光の密度冬の滝
どうせ白息このまま歌おうか
すこやかに聖樹がほどかれてしまう
冬の虹消えて花瓶を持たぬ家
去年今年靴下にある行き止まり
雪原の痛点踏んだかもしれぬ
悴むや掻くように欠くように詩は
木田智美:全体的に冬の句で統一されていて、雪の句も結構あったり、ちゃんと言いたいことは分かるかなと思って良かったんじゃないかなと思います。一句目〈人に貼る絆創膏や冬菫〉は自分じゃなくて人に貼るというので、保育園とか子供に貼る様子であったりとか、五句目〈どうせ白息このまま歌おうか〉、六句目〈すこやかに聖樹がほどかれてしまう〉とか、八句目〈去年今年靴下にある行き止まり〉とかも、ちょっと分かりすぎるところはあるんですけど、感覚として身体感覚で俳句を詠もうとしているところは感じられて良かったと思います。特に私が好きやったのが、七句目の〈冬の虹消えて花瓶を持たぬ家〉なんですけど、結局冬の虹も消えたし花瓶もなくて何もないんですけど、それでも結構楽観的というか、楽しく生活している感じは出てていいんじゃないかなと思いました。
暮田真名:この〈鮟鱇が煙草を吸いたがっている〉が結構好きでした。吸ってないんですけど、鮟鱇って確かに煙で膨らんでるみたいに見える形だなと思って、鮟鱇の姿が見えてくる感じが好き。
全体的には結構観念的というか、見て作っていないんじゃないかという気がするところが、たとえば〈去年今年靴下にある行き止まり〉とかにあって、連作としては推せなかったですけど、好きな句はありました、という感じです。
木田さんの話を聞いて〈冬の虹消えて花瓶を持たぬ家〉の句もいい句だなと思いました。そこも実感がある感じがしました。
黒岩徳将:ほのかな喪失感みたいなことを詠んでいる句が多いというのは結構主題の打ち出しが強くていいと思います。三句目〈雪というバベルの塔の砂塵かな〉とか、砂塵こそがバベルの塔の崩れたものにふさわしいという見立てだから、自分のものの見方を頑張って当てはめてみようとする感じは分かる。六句目〈すこやかに聖樹がほどかれてしまう〉では明るいものが無くなり、〈花瓶を持たぬ家〉では持たぬ家であることへの肯定感を覚える。二句目〈鮟鱇が煙草を吸いたがっている〉は奇想で、一句としては浮いてるかも?と思ったけど目を引きますね。
十句目〈悴むや掻くように欠くように詩は〉が自分の作品に対する態度表明ですよね。私は態度表明を具体的・描写的な作品で見たいと思うので、ちょっと言いすぎだなという感じがします。感情がダイレクトに伝わる良い句もあって良かったと思います。
浅川芳直:僕は比較的安定して安心して読めましたかね。
面白かったのはやはり暮田さんと黒岩さんがあげてらっしゃった、二句目〈鮟鱇が煙草を吸いたがっている〉。それから六句目〈すこやかに聖樹がほどかれてしまう〉、木田さんは辛口でしたけれども、「すこやかに」が良かった気がしました。ほどかれていく・片付けられていくものに対して「すこやか」と捉えているのが面白いと思いました。
ただ、ちょっと言葉が流れている気もしました。黒岩さんがおっしゃった〈悴むや掻くように欠くように詩は〉は地口っぽくて、MCバトルのバースとかで出てきそうな感じがします。心地よすぎるというか、流れているところはありました。それから九句目〈雪原の痛点踏んだかもしれぬ〉も僕の中では評価辛めの方で、感覚は分かるけれども「踏んだかもしれぬ」という言い方の安定感も含めて、鮟鱇の句を作る人にこれを持ってこなくてもいいんじゃないかと思いました。
あと良かったのは七句目〈冬の虹消えて花瓶を持たぬ家〉。虹が消えた後に花瓶を持たぬ家を持ってくるのは上手いと思いましたね。花瓶がないということは動物を飼ってるんでしょうから、キャンキャンとかワンワンとか声も聞こえてくるような。虹が消えた後に何が残るかの見せ方でツボを抑えているという言い方もできますが、あまり悪い意味での巧さは感じなかったです。やや流れているところがあるが、安定して力のある作品という印象を持っております。
若林哲哉:黒岩さんがおっしゃっていた、失われゆくものへの眼差しみたいなところは僕も感じていて、同時にそれに対する諦めみたいなものもあるなあと思って読んでいました。五句目〈どうせ白息このまま歌おうか〉がまさにそうなんですけれど、「どうせ」のあたりに諦めが滲んでいますね。六句目〈すこやかに聖樹がほどかれてしまう〉は僕も良いと思っていて、聖樹の華やぎが失われることを寂しいと詠んだ句は掃くほどあると思うんですけれど、聖樹がほどかれて、その後もその樹は健やかで。「それならそれもいいか」という一種の明るい諦念に転じた句はなかなか見ないので、面白いと思います。七句目〈冬の虹消えて花瓶を持たぬ家〉も、持たぬ家であることを愛するというところがあって、欠けているものに対する受容があるなと思って注目していました。
二句目〈鮟鱇が煙草を吸いたがっている〉はウケたんですけど、ちょっと浮いてる感じはしました。読んでいる最中はハッピーなんですけど、よくよく考えていくと鮟鱇って深海にいるから煙草に通ずるアングラ感があるかも、みたいに連想が効いちゃうかもと思っていて。一瞬の面白さはすごい感じたんですけど、読み返していくうちに理由がつけられちゃうタイプの句かなと思って見ていました。四句目〈水の密度光の密度冬の滝〉はもうちょっと冬の滝に細かく取材して書ける余地があるんじゃないかなと思いました。さっきの〈どうせ白息このまま歌おうか〉が聴覚の句だとしたら、十句目〈悴むや掻くように欠くように詩は〉については、手触りの句ですね。ただ、こちらも浅川さんのおっしゃるように「流れている」というか、もう一歩踏み込んで書けたんじゃないかなと思いました。
黒岩徳将:最後に一言だけ、十句ほぼほぼすべてにコメントがつくくらい、何か言いたくなる句という意味でいいなと思いました。
暮田真名:やけに鮟鱇だけ目に飛び込んできたなって思いました。浮いてたんだ(笑)。
若林哲哉:浮いてるということは、目を引くということですからね。
浅川芳直:目立つ句があると強いですよね。
28. 深皿
内見のたびに紫陽花濃くなりぬ
虫刺され薬をくれしレースの手
横向いてエンゼルフィッシュだと分かる
笑ふたびお冷やが揺れて海の家
日にいくつ餃子を包み扇風機
サンドレス波の隙間を波が埋め
貝の柄のペーパーナイフ夕端居
集まれる息に螢火消えにけり
盛りつけて皿の深さの良き涼夜
湯のぬるむやうに眠れり祭の子
暮田真名:夏だなあというメモが残されていました。〈湯のぬるむやうに眠れり祭の子〉が結構好きでした。最初はお湯だったということは、すごくはしゃいでいたということですよね。祭でぎゃあぎゃあ騒いでいた子が眠りにつくまでの時間の流れが、お湯が冷める様子に重ね合わされている。
黒岩徳将:非常に落ち着いて安心して読める句がいっぱいある感じです。理由は二つあって、まずリズム感が一定の木魚的な感じで、〈内見のたびに紫陽花濃くなりぬ〉〈虫刺され薬をくれしレースの手〉ぐらいのスピード感と緩急のつけ方がいい意味で一定感がある。かなり高い読みやすさで読者側に負担が少ない。〈虫刺され薬をくれしレースの手〉で最後にレースの手に焦点がいって夏らしさを人の手で感じるところとか、〈笑ふたびお冷やが揺れて海の家〉の簡素なテーブルで笑って膝をちょっとテーブルにぶつけたりしてお冷やが揺れるという、そこをはかとないおかしさとかがありました。〈湯のぬるむやうに眠れり祭の子〉はおっしゃった通り、祭の子の時間的移行と実感がよく伝わります。〈ぼうたんの百の揺るるは湯のやうに/森澄雄〉といった有名句がそもそもあるので、結構それを思いついちゃう人はいるものの、僕が祭の子が季語としていいなと思って、先行句があったとしても高評価という感じです。
なので、俳句が今まで積み上げてきた分かりやすい情緒、コツとツボ的な言葉の良いところを使っていて読みやすい反面、ちょっとだけ惜しいのは〈横向いてエンゼルフィッシュだと分かる〉 の『分かる』が分かりすぎるとか、〈サンドレス波の隙間を波が埋め〉 のどこかで見たことのあるようなフレーズが即きすぎ感がある。しかしトータルバランスがいいという感じです。
木田智美:さっきの作品も冬で統一されてて良かったんですけど、これも全部夏の句で統一されていて、一夏の流れがあるような感じで連作としてはまとまって読みやすくて良かったと思います。
〈貝の柄のペーパーナイフ夕端居〉とか、〈サンドレス波の隙間を波が埋め〉とかも、ちゃんと景としては立ち上がってくるのでいいと思います。
〈虫刺され薬をくれしレースの手〉とか、〈笑ふたびお冷やが揺れて海の家〉とか、〈日にいくつ餃子を包み扇風機〉とか、結構ちゃんと景色が見えてくる句が多くて、全体的に淡い青色みたいな感じで透明感があって、いい一夏を経験されたんだなあという感じですかね。
ちょっと一個私が気になったのが、〈集まれる息に螢火消えにけり〉は螢火が消えるというのは普通かなというところ。あとは皆さん評価良かったんですけど、〈湯のぬるむやうに眠れり祭の子〉とかも、祭ではしゃいで眠るというのは分かりすぎるかなというのと、眠りが「眠れり」と終止形になっているから「祭の子」と繋がっていないんじゃないかなとかは思うんですけど、私は気になったけどどうかなとは思いますね。全体的には作風が統一されてて良かったと思います。
若林哲哉:良いと思って注目した句で行くと、〈笑ふたびお冷やが揺れて海の家〉と〈日にいくつ餃子を包み扇風機〉 ですね。絵が見えるというご指摘は木田さんもされていましたが、連用形で流して具体的な景色を持つ季語で留めるという書き方が一つ安定しているなと思ったのと、あとは季語と季語以外のフレーズとのバランスですかね。
〈笑ふたびお冷やが揺れて〉という細やかな発見に対して、「海の家」と景色を明示することで、一句の全容を明らかにするというところがあります。〈日にいくつ餃子を包み扇風機〉、僕は町中華なんかを想像したんですけれど、例えば、古めかしくギシギシと音がするような扇風機が回っている景色が見えてきて、そういう季語の力を引き出す力量がある作者かなと思って読んでいました。気になったところで行くと、これは黒岩さんもご指摘されていたんですけど、〈横向いてエンゼルフィッシュだと分かる〉 と言ったときの「分かる」がちょっと饒舌すぎるんじゃないかというようなところ。あとは、表題句ですね、〈盛りつけて皿の深さの良き涼夜〉の「良き」は、そこまで言う必要があったか。力量を感じさせる分、細やかな措辞のところがやはり気になりました。
一応、〈湯のぬるむやうに眠れり祭の子〉については、僕も森澄雄の牡丹の句を頭に浮かべつつ読んでたんですけど、「眠れり」と切れを作っていて良いのではないですかね。祭の現場というよりは祭の華やぎを残したような気分という意味での「祭の子」ですね。ぬるむというのは過程であって、その眠るまでの過程を見届けつつ、今この瞬間は寝ている。時間の流れと景色をはっきりさせるということで、書き方としてはこれでいいんじゃないかなと。
黒岩徳将:タイトルはなるほどという感じで特に追加意見はないんですけど、基本の俳句性に対して準ずる感じが強いからこそ、細かい表現がパーフェクトに表されているのかというところに、ついつい読み手の目が行っちゃうタイプの作品というか。
浅川芳直:僕はこれ予選で迷って選んでなかった作品でありまして、だから誰が取ってくれたんだ、ありがとうと思って。なんかもっとみんな褒めてほしいと思いながら聞いてたんですけれど。
二重丸の句が二つありまして、それは若林さんが褒めてた〈笑ふたびお冷やが揺れて海の家〉と〈日にいくつ餃子を包み扇風機〉 。この二句がすごくいいなあと思っておりました。
海の家に対して笑うたびお冷やが揺れてって、「海の家楽しいぞイエイ」みたいな感じじゃなくてですね、こんな風に軽く言いつつ楽しさが伝わるような詠み方をしてくれてありがとうと思いましたよ。その後の〈日にいくつ餃子を包み扇風機〉のこの扇風機の動かさ・動かなさというか、どういう状況で餃子を包んでいるのか、扇風機の存在感が最後しっかり見えてきて、この二句を見られただけでも良かったなと思いました。
構成面で言っても、〈内見のたびに紫陽花濃くなりぬ〉という一句目で静かに始まって、そこから〈虫刺され薬をくれしレースの手〉 で清潔感とうれしさが備わってきて、全体を読んだときにハッピーな感じがいたしました。
黒岩さんが木魚みたいだとリズムディスをしていましたが、言い方を変えればリズムキープが抜群であるわけです。好感を持ってましたね。
ただ、〈サンドレス波の隙間を波が埋め〉とか〈集まれる息に螢火消えにけり〉、こういうのはどうかなと思いました。あとは〈横向いてエンゼルフィッシュだと分かる〉とか、「エンゼルフィッシュ」の句としてこういう些細な発見は案外ない気がして、内容はいいと思うんですが、「分かる」のせいで、〈卵酒飲めば怖かつたと分かる/野名紅里〉 とか他の人の句と比較せざるをえない。とはいえ全体で見たときにレベルの高い作品であったのは間違いないかなと思いました。
若林哲哉:「木魚みたいなリズム」というのはディスではないんじゃない?
黒岩徳将:統一感があっていいなっていう感じです。
暮田真名:きっと俳句が上手いんだろうなあと。
浅川芳直:上手さで勝負する人は〈集まれる息に螢火消えにけり〉とは言わないと思う。
黒岩徳将:これ惜しいよね。これなかったら評価もっと上がりそう。
浅川芳直:〈盛りつけて皿の深さの良き涼夜〉の「良き」も答えを出してしまって惜しかったですよね。「皿の深さの……」までぐーっと引っ張られる分。
木田智美:良きが入ると涼夜も良い夜の方の良夜もあるから、どっちかなとなってしまうところはありますね。
浅川芳直:そうそう。そうですよね。でもこれ選んでる人がいるんだからもっと褒めてほしい。僕、好きだったんですよ。
30. 躰に秘めて
瘡蓋の手首パセリの水を切る
夏痩や磨汁ぬるく絡む夜
肉片をくらふて蟻の腹ぎらり
鶏頭や火傷の舌につく切手
ストリートビューに祖父ゐる秋彼岸
大地凍つストラヴィンスキーはいま
ハムスターの噛み跡撫でて冬の月
春光を躰に秘めて安楽死
授乳して引掻傷のある遅日
啓蟄やブルーチーズは息微か
黒岩徳将:ぎらついた言葉が並び、統一感がある作品です。五感で迫る感じがありますね。最初の〈瘡蓋の手首パセリの水を切る〉の嫌な感じが皮膚感覚で伝わるところとか、〈鶏頭や火傷の舌につく切手〉の系統の句はどうしても切手を舌で舐めるという句はいっぱいあるんだけれども、火傷という特殊な設定を持ってきて鶏頭をさらに赤く見せるというやりたいことが結構分かった感じがします。
ただ、めちゃくちゃもったいないのが真ん中の〈ストリートビューに祖父ゐる秋彼岸〉。Googleのストリートビューで自分の家近くが見えてそこに自分の祖父がいるという面白がり方が、今風の言葉・素材を使いながらオチがつくという意味で既視感がある。〈ストリートビューに蓬摘む祖母見ゆ/佐野瑞季〉という先行句があるので、この一句でかなり大きなマイナスが出てしまってもったいなかったなという感じがしました。ただそれ以外の句のパッションはいいなと思います。
木田智美:私がいいなと思ったのは〈肉片をくらふて蟻の腹ぎらり〉で、何か分からへん、人間の食べ物の牛肉とか豚肉とかかもしれないですけど、怖い感じとかが出てて面白いなと思いました。あとは、〈引掻傷〉とか〈瘡蓋〉とか〈撫でて〉とか、イメージが近い句が多いかなと思って、もうちょっと色んなバリエーションの句が見たいかなというのは思いましたね。
若林哲哉:読み返すと、意外と句の内容にバリエーションがあるなと思いつつ、やっぱり一つ想定するのは〈瘡蓋の手首パセリの水を切る〉とか、表題句にも「安楽死」とあるように、希死念慮というか、死にきれなさみたいなものが一つあって、それが自分自身の傷であったり、他者が他者を傷つけるところであったりへの眼差しになっている句かなと思いました。
良いと思った句で行くと、〈瘡蓋の手首パセリの水を切る〉は、手首に瘡蓋があると詠んだのではなくて、「瘡蓋の手首」と言ったところに意味の屈折が生まれています。そういった、傷を負った「私」の手首であるというところに希死念慮的なものが少し垣間見えるというところもありますし、それを念頭に置きつつ〈鶏頭や火傷の舌につく切手〉や〈ハムスターの噛み跡撫でて冬の月〉や〈授乳して引掻傷のある遅日〉を見ていくと、自分が負う傷を自己受容する主体が見えてくるかなと思いました。
〈肉片をくらふて蟻の腹ぎらり〉は細かいことを言うと、仮名遣いとしては「ふ」ではなく「う」でしょうか。だから評価を下げるというものではないですけど。あと〈大地凍つストラヴィンスキーはいま〉は、ストラヴィンスキーってロシアの音楽家だったかと思うので、「大地凍つ」は分かりやすすぎるんじゃないかと思ったり。〈啓蟄やブルーチーズは息微か〉は生き物たちが息づき始めるという季語に対して「ブルーチーズ」のカビも生きているという内容は分かるものの、連想がやや分かりやすいところもあると思いました。
浅川芳直:非常に勢いのある作品ではなかったかなと思いました。皆さん褒めてらっしゃった最初の〈瘡蓋の手首パセリの水を切る〉の第一句目からバッと来ていいなと思ったところでした。ただ、凸凹がかなりありまして、〈夏痩や磨汁ぬるく絡む夜〉 の『ぬるく』まで言うとちょっと饒舌かなとも思ったし、若林さんが指摘された〈大地凍つストラヴィンスキーはいま〉は、ハルサイ(『春の祭典』)からの発想でしょう。言葉から入っていくような作り方の場合には、ツキスギは気になってしまいますね。
すごくいいと思っているのは、さっきの〈パセリの水〉と〈授乳して引掻傷のある遅日〉で、この二句は白眉だったんじゃないかなと思っております。遅日について「ある」まで言うのは賛否あると思いますが、ここは言葉を足して良かったのではないかと。生の実相に迫ろうとしている感じがします。この二句がうまく機能して、読ませる作品になったということで、僕としては高く評価しています。
ただ、〈春光を躰に秘めて安楽死〉 は、丸を打ち消して余りあるくらい僕は疑問がありました。これ安楽死じゃなくて尊厳死なんじゃないかなと思って。前半では、秋彼岸とか夏痩とか日本っぽい世界観で作っているんだけれども、安楽死は日本では医師が逮捕されるわけで、せいぜい延命治療をやめる尊厳死までが許容なんです。テーマの核心部の切実さが薄れたかなと。
暮田真名:私はストリートビューでかなり気持ちが離れてしまって、Twitterで見たことあるなって思っちゃったんですよね。バズってるツイートを見ているみたいで。そうすると、安楽死みたいな言葉も、日本における安楽死議論への目配せに見えてしまって、手首の傷跡もリストカット痕なのかもしれないですけど、リーチする層が限られすぎるというか。意図的な傷としょうがない怪我があって、怪我しすぎみたいな印象もあるし、どうなのかなと思ってしまう。
木田智美:安楽死は日本でというよりは、作品の世界観というか。この人が安楽死をしたいかは分からないけれど、もし亡くなるときは春光を躰に秘めていたいな、という願望的なものだと思いました。
浅川芳直:死ぬなら安楽死によって春の光にとどめて死にたい、なるほどではあるんですが、安楽死と春光が近い気がする。西行の〈願はくは花の下にて春死なん〉からのイメージで。制度的にも、言葉の効果から言っても「尊厳死」じゃないかな。でも、ここにこだわりすぎてもしょうがないですね。
木田智美:言葉が強いなとは思いました。
浅川芳直:引っ掻き傷は、赤ちゃんに引っ掻かれたんじゃないかなと思いましたけど。
若林哲哉:あんまり共感されないかもしれないんですけど、個人的には、池田澄子さんの句〈生き了るときに春ならこの口紅〉が頭を過って。「安楽死」という言葉は、死における安楽を希うものとしては一番抽象的な語彙なので、たとえば「口紅」のように、安楽が一つ具体化されるとよいのではないかと思いました。
浅川芳直:これだけ高カロリーな言葉を乗りこなすというのはなかなかすごいかなと思っております。
黒岩徳将:ローテンションかつじわじわと傷に対する思いが見えるかも。
黒岩徳将:その方が本人の意思というか、メリハリが効くから。やっぱり心に残る連作というのはあると思うけどね。
浅川芳直:問題点はいろいろありつつ、凸凹を最終選考の際にどう考えるのかは、この作品に限らず、最後に合意形成したいなと思っております。
31. インビトロ
渋谷駅人を待つ人ばかり春
チャッピーに敬語ゼリーを切って食べる
風水のために置かれている目高
死ぬときは気持ち悪いの蝉も多分
碇星校歌歌わない同盟
火事を見るタピオカミルクティーを手に
賀状書く君の名前エロくて嫌い
印象派展帰りにおでん食べて寝る
卒業のつに寝癖五分遅刻します
山笑う脳のおもちゃとしてあたし
暮田真名:一周目、季語を意識せずに読んだときに、キャラが強いのですごく心に残りました。〈チャッピーに敬語ゼリーを切って食べる〉の「チャッピー」(ChatGPT)を今入れる勇気。時間が経てば陳腐化しますよね。チャッピーだけだと気持ちが離れてしまいそうなところに、「ゼリー」という、はじめから喉の通りがいいものを、さらに小さく切っている。噛む力がないということを、口での咀嚼だけではなく、脳みそのこととしても言っている感じが良い。〈山笑う脳のおもちゃとしてあたし〉の句が最後にでてくるんですけど、壊れていく脳みそで俳句を書くんだ、というところに感動しました。〈風水のために置かれている目高〉は、メダカそのものを見ているというより、命をモノみたいに扱っているんですけど、その冒瀆的な姿勢も良かった。〈印象派展帰りにおでん食べて寝る〉という俗なものを食べていて、決して素敵なままで終わらないぞ、みたいな意思が感じられていいと思いました。
木田智美:作風としては読みやすくて若い方で、ポップな感じで。こういう作品が22編に残ったことはいいことだと思いました。作風として面白かったんですけど、取りきれなかったところがありました。チャッピーってChatGPTだって分かるんですけど、〈チャッピーに敬語〉っていうのは、AIに敬語で喋るというのはあるかなあ。〈渋谷駅〉はハチ公もいるしよくあるかなあと。〈卒業のつに寝癖五分遅刻します〉の句は分からなかった。
暮田真名:卒業をひらがなで書いて、その「つ」が寝癖みたいに跳ねているという句だと思って。
浅川芳直:あ!なるほど!
暮田真名:なんでここひらがなで書かなかったのかなー、と。黒板とかに書いているんでしょうか。その場に居るのか分からないんですけど。
木田智美:〈死ぬときは気持ち悪いの蝉も多分〉はリズムを崩しながら、蝉という当たり前に死んじゃうような生き物に思いを馳せているような感じで。でも自分も死ぬときはこういう感じなのかなと。この句は良かったと思います。
浅川芳直:卒業は「そつぎょう」とひらがなで書いたときの「つ」なんだと聞いて、「そうか、そういうことか!」と思いました。まずは隗よりはじめよ、自分の手の届く範囲のところで俳句をつくろうとしていらっしゃる。好感度上がりました。まあ、どういうテンションで読んでいいのか距離を測りかねるところはあって。〈賀状書く君の名前エロくて嫌い〉って、玉袋筋太郎さん(芸人)みたいな名前ってことですか。
暮田真名:君のことが好きで、名前までエロく感じて。決して玉袋筋太郎みたいなことではないんじゃないかなと(笑)。
浅川芳直:なるほど、恋……。このテンションは一句一句追うのに精一杯でテーマの方についていけないところはありまして。〈チャッピー〉はワンちゃんかと思ってクスッとしたんですが、ChatGPTでしょうね。それだとちょっと。この中で印象に残ったのは〈山笑う脳のおもちゃとしてあたし〉とかかな。これは人間の脳を調べていけば精神というのが分かるんだみたいなグロテスクな唯物論者の考え方へのアンチにも聞こえるし、山笑うという季語も諧謔性が付与されている。理はつくけど、俳句的によくある理の付き方とは違うかなと。なかなかコメントが難しい作品で誰かにパスをしたいです。
若林哲哉:読んだ印象としては、暮田さんが冒涜的とおっしゃってましたけど、それに近い感想を持っています。冒涜的でもあるし露悪的でもある。冒涜とか露悪というのはアンチテーゼを孕むと思うんですけど、何に対してそれを示しているのかと思ったときに、表題がなぜ「インビトロ」なのかを考えたいというのがあります。でも、表題のことはいったん横に置いて、まず、句の印象で言うと、自分がそもそも人間という生物であること、同時に、人間という生物は社会的な動物なので社会や集団というものに属して生きていかなければならないということ、それらに対するアンチテーゼがあるんじゃないかなと思いました。
連作の流れを追うと、一句目〈渋谷駅人を待つ人ばかり春〉は飽和する人間というものを詠んでいる。最後の〈山笑う脳のおもちゃとしてあたし〉。私という個人で句の世界が終わると。最後の句、浅川さんは褒めていらしたんですけど、僕は良い句とまでは言えないと思っていて、でも、それは置いといて。その他の八句、例えば〈チャッピーに敬語ゼリーを切って食べる〉。これは、ChatGPTを指していると読んで良いと思います。チャッピーとあだ名で呼ぶくらいAIを使っているのに、敬語の距離感であるというねじれと、ゼリーという、輪郭が曖昧なものをさらに切って食べるというところの響き合いみたいなところが面白いです。〈風水のために置かれている目高〉は、明らかに目高という命が命であるとみなされていない書き方だと思いますし、〈碇星校歌歌わない同盟〉は校歌という集団で歌うものに対して「歌わない同盟」という形でささやかな反抗を表すことで、集団に属することへの違和を表明しているのかなと思いました。
〈賀状書く君の名前エロくて嫌い〉、年賀状を書くことは廃れつつある一つの文化規範であって、その文化になんとなく合わせる性格として年賀状は書いてしまう、それに対する冒涜や露悪の一つとして「エロくて嫌い」というフレーズが出てきているのではないかなと思いました。
で、なぜ「インビトロ」という題なのかをずっと考えているんですけど、インビトロという言葉自体は、フラスコやシャーレの中で生体を培養して、生育環境をそっくりに作って実験するということで、こじつけるなら〈脳のおもちゃとしてあたし〉の句から取ったのかなと思えなくもないんですけれど。それ以上に、閉鎖的な集団というもの、もっというと人間という生物種の枠組みの中に生かされているみたいなイメージなのかなと思って読んでいました。
黒岩徳将:この現実世界と別で試験管の中の人工的な世界が存在するなら、そこに生かされる者たちは季語の本来の情緒を愛せるのか?愛せないんじゃないか?みたいなメッセージを今までのお話も含めて「インビトロ」に感じて。
そうすると、そこまで季語に対してアンチテーゼをするほど、なぜそこまで季語に対しての想いが強いのだろう?無季的な俳句でアイロニカルな句があっても良かったのではないか?という気もしてきてしまい、こだわるポイントは季語なのかという大きな疑問が残ってしまったんですね。
打ち消しというか逆張りしているから季語の情緒を順接的になぞりはしないぞという意志が感じられて、そこにエネルギーを使っています。だから心地よさみたいなのを当然あんまり志向していない作品と受け止めて、季語の一番美味しいところを充分に活かした作品ではないということで、結構選ぶ方の価値観に真っ向から刺してくるという感じで、自分はその方向性に一番の未来をどうしても感じられないということで引きました。
浅川芳直:季語の殺し方というのは、いろいろ方向性があると思うんです。フラットに扱うとか、本意は外さないながらモノとして描写するとか。この方向性なのか、こういう殺し方でいいのか? という気はしないでもないですね。
黒岩徳将:もはや、季語憎しまで感じる。エネルギーは感じるけど。
浅川芳直:憎しまでは(笑)
黒岩徳将:裏をかいて読むぞ!みたいな。
浅川芳直:パロディー漫画みたいな。
若林哲哉:「チャッピー」の句は、この連作の中では白眉と思っています。「ゼリー」は季語を殺してるってほどではなくて、むしろバランスが取れている。〈火事を見るタピオカミルクティーを手に〉は北大路翼さんの〈キャバ嬢と見ているライバル店の火事〉を思い浮かべました。
浅川芳直:オリジナルではないですよね。
黒岩徳将:卒業の句は異色で読み切れない・分かりにくいのはおっしゃる通りなんですが、やっぱり先行句に〈たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ/坪内稔典〉があるので、音の楽しみだけで『卒業』から『つ』の音を持ってきましたよ、私にとってその『つ』の音は寝癖の感じがするんです、さあどうだという風に僕は結構すっと飲み込んじゃって、逆に分かりやすすぎるかなあ、でも面白いよなって感じでしたね。
暮田真名:私の解釈では、この人は無季の句は作らないと思います。この人、不登校にはなっていないんですよ。学校にちゃんと行って、その上で、校歌って学校における国歌なわけじゃないですか。それを歌わないという損をしている。この人はちゃんと損をしていて、蝉というありふれた生き物の気持ち悪さを引き受けたり、年賀状も書かなくていいのに書いたりとか、制度の中にちゃんと入った上で「嫌だな」とずっと思っているという。だからこの人が無季の句を作ったらそれは違くて、インビトロというのも「その制度の中に私は入っている」という自覚があるというタイトルなのかなと思って。私は〈山笑う脳のおもちゃとしてあたし〉は直前まで「これだけで取ろうかな」と思うくらいすごく好きでした。「脳のおもちゃ」はシンバルを叩く猿のおもちゃみたいなイメージで、自分のことを脳に動かされているからくり人形のように捉えている。
若林哲哉:この句、微妙に噛み合わない感じがするのは、脳は私の一部であるということを引き受けているんですけど、でも、主導権が脳の方にあると書いているところですよね。それでいくと、脳とは単なる器官ではなくて、人間は大脳が発達しているし、あるいは脳に宿るとされている心とは何か、みたいな問いにもつながって。心があるゆえに制度や規範みたいなものが生まれ、それに属し、でも違和を感じるという。その一部が身体の奥にある。
浅川芳直:これは私というものの自律性、主体性というものに疑いを差し挟む世界観との軋轢だと僕は思っていて、そういう昔の心理学の実験があるじゃないですか。手首を曲げたいと思った瞬間にボタンを押してくださいという実験で、でも自分でボタンを押したいと思うより前に、脳が先に反応している、自由意思と思ってるのは実は脳神経の電気信号でしかないんだ、みたいな。
暮田真名:遺伝子の乗り物みたいなイメージがありました。
黒岩徳将:「山笑う」が効いていないんじゃないんかと思います。
浅川芳直:言葉遊び的に「笑う」って使ったんじゃないかなって。ただ、そういうのを含めて人間はわちゃわちゃやってるけど、母なる山はおおらかにあるじゃないかという風に読むかな。
木田智美:支配されているということかなというのは分かるんですけど、山笑うとの繋がりとかは微妙なところはありましたね。作風は面白かったんですけど季語がばっちりはまっているかというと微妙でしたね。
若林哲哉:あんまり大自然との対比だとは読んでいなくて。でも「脳のおもちゃ」というのは割と卑屈な措辞です。自分で自分を嘲笑している。嘲笑しているっぽい季語として、山笑うは思い浮かぶけれど、でもそれじゃないという感じがするかなと。
浅川芳直:これもある意味季語を殺しにかかっているのかな。
若林哲哉:それで言うと、季語を殺せてはいないかなあ。「笑う」という語に引っ張られている。
黒岩徳将:それくらい問題提起している作品ですよね。
木田智美:一番問題だと思ったのが〈賀状書く〉は「エロくて嫌い」までいっちゃうのはどうかなーと思ったので。「嫌い」まで言う必要があったのかなとか。俳句としてもどうかなというのはありましたね。〈脳のおもちゃ〉もよくわかんなくて。脳に支配されているというのは分かるんですけど、〈山笑う〉とのつながりとか、面白い句もあって作風も面白かったんですけど、微妙なところはありましたね。
黒岩徳将:そもそも季語がはまるという俳句の評価の仕方を受け付けない作品を意識的に並べていると思っていて、「インビトロ」と言われた瞬間にこっちがモード変えないときついのがあって、それ自体がしんどいなという感想ですね。
36. 盗泉
狂はずにゐれば泉の深い水
夏痩せのなにを欺く塗り薬
死者を恋ひやまずくらげの浮き沈み
黙りゐて霧の奥よりピザ届く
師よ秋の海が匿ふあらゆる死
金貨隠すならば鶏頭燃ゆるなか
名があつて無名の死者へ蔦走る
鶴よしづかに己が光に傷む油画
しばれる眼川を捉へてをれば鳥
冬晴にケトルすぐ沸く若く死ぬ
黒岩徳将:水と死のイメージを重ね合わせている作品であるということは分かりますし、どこか遠くのものを呼びかけるように世界や主人公の意思とかを塔のように立ち上げるみたいな、ヒロイズムみたいなものを感じました。言葉の使い方が身振り手振りがはっきりしていてかっこいい感を出そうとしている作品というイメージです。
一句目の〈狂はずにゐれば泉の深い水〉は表題に関連しますね。狂ってしまったら、その水の清らかな部分に触れられないという逡巡を感じます。呼びかけの句が二つありますね、〈師よ秋の海が匿ふあらゆる死〉と〈鶴よしづかに己が光に傷む油画〉。言葉を細かく切って塗り重ねる感じ、お腹に重たいものを残す気がします。他の作品にも言いましたが、卑俗な現実との接着感から乖離していて、作品の中だけで世界を創りたいという意思が自分にとってはやや机上の空論という感じがします。加えて、句のそれぞれの詠み味が似過ぎていることに警戒心が強かったです。
浅川芳直:黒岩さんと結構重なります。〈あらゆる死〉など、リズムを細かく切ると黒岩さんは言ってましたが、石原八束の〈死は春の渚の空に遊ぶべし〉を思い出しました。昭和俳句の系譜と言いましょうか。工夫を感じる力作です。
やや損かなと思うのは、死というテーマをそんなに切迫して感じられなかったところですかね。やや素材的に感じられた。〈狂う〉も最近だとよく出てくると思うし。芒であるとか、モチーフとしての死に対して、そういう風につくっておけば俳句ができる、といった印象を若干ですが受けてしまいました。誰しも自分の思う俳句らしさを多少は参照するわけですが……。たとえば、〈しばれる眼川を捉へてをれば鳥〉は〈捉へてをれば〉が映像的で見どころではあるんですけど、「眼」「川」「鳥」と、ムードでまとめ上げたみたく見えてしまう。〈すぐ沸く若く死ぬ〉も韻はパッションですけど、「死」の句が2回目なので作品全体の中で軽く見えてしまうのが損だなと。
いいなと思ったのが第二句〈夏痩せのなにを欺く塗り薬〉。これも踏んでますね。薬というのは体の不調をごまかし直していくもんだと思うんですけど、薬の把握として夏痩せを持ってきたのは良い視点だったなと思ってチェックしております。
暮田真名:一読目では流してしまいましたが、季語をチェックしたら、いいんじゃないかなと。かっこいいんですよね。〈金貨隠すならば鶏頭燃ゆるなか〉〈鶴よしづかに己が光に傷む油画〉とか。一番好きなのは最後の〈冬晴にケトルすぐ沸く若く死ぬ〉。リズムが「沸く/若く」で慌ただしく、なんだか狂騒感があるというか、水が干上がっていくような感じがします。ケトルの中が空洞になっていく感じと、冬晴の何もない感じが重なるというか。〈若く死ぬ〉のヒロイックさもありながら、軽く扱っている感じがします。〈鶴よ〉の句は大塚凱さんの〈僕よ寒くて僕のどこかを摑んでゐた〉を思い出しました。最近の俳句では、こういうのが褒められそう。
浅川芳直:ぼくは流行を見すぎと思って、辛口になりました。潮流に流されている感じが。
若林哲哉:別に流行に乗っていてもいいと思いますし、だから辛くするとかではないと思いました。どんな書き方を採用するにしろ、それを採用したときの実践度というかですね、それでうまく書けてるかどうかを考える必要があります。それでいくと、〈死者を恋ひやまずくらげの浮き沈み〉は「くらげ」と「死者」のイメージが近すぎるのが気になりつつ、一方で、全体的には一句一句の完成度としても、連作の完成度としてもクオリティは高いのでは。タイトルの「盗泉」、故事「盗泉の水を飲まず」がありますが、どれだけしんどくても「盗泉」は飲まない、どれだけしんどくても不正はしないということですよね。
〈狂はずにゐれば泉の深い水〉、自分は狂わないでいるので、泉の水に手を伸ばすことができない。でも、これは反転する可能性もあるな。狂わないでいるので、盗泉と知りながら泉の水に手を伸ばしているとも読める。どっちを表にするか難しいんですけど。いずれにしても、狂わないことで保たれるもの、狂ってしまうことで表出するものがそれぞれある中で、そこに「死」というイメージが絡んでくると思っています。生きてこうして会話している以上、死を経験することはできないし、生きているうちには死ねないので、死を詠む際に幻想を含むことは避けようがないとも思います。
同時に、現実世界との接点みたいなお話もあったんですけど、暮田さんが仰ってた〈冬晴に〉の句のケトルは日常の象徴でもあって、〈黙りゐて霧の奥よりピザ届く〉のピザはデリバリーだと思うんですけど、人間は腹は減るし、生きるために食べる、みたいな。そういうところが垣間見えたりもします。〈師よ秋の海が匿ふあらゆる死〉は「あらゆる死」という普遍が提示されて、「師」もまた、「死」という普遍に取り込まれる一人。個々の死がありつつ、死は平等に訪れるので、「あらゆる死」でもある。そういう逆説が描かれていたり。
〈冬晴に〉の句は死んでしまった人に対する話でもありつつ、自分も死を運命づけられているということを自覚し直すような素振りもあります。〈鶴よしづかに己が光に傷む油画〉は内面の狂気というか。自らによって自らが傷んでいく。あるいは生への執着かもしれませんけど、そういうところが滲み出ています。
浅川芳直:さっき辛口にコメントしてしまったのは、死へのこの人自身の芯を捉えた言葉が伝わってこない気がしたからなんです。それはこういう書き方にこだわっているせいもありそうで。〈師よ秋の海が匿ふあらゆる死〉に関して「あらゆる死」で飛んでいくのは納得できなかった。工夫は分かるけど、詩因をもっとズバッと掴み出してきてほしい。良いと思った言葉遣いを取り入れるとか、いろいろな努力をしつつ、そのせいで拡散しているのではないかと。痒いなあという感じがしたんです。若林さんの言いたいことは分かりつつも。
若林哲哉:歯痒いに落とすところがこの作者の書きぶりで、多分ですけど、もっと分かりやすく書こうと思ったら書ける作者だと思うんですよね。そこを、歯痒いところに投げているのが、むしろこの作者の面白さの特徴かなあと。
木田智美:全体的に難しいなあという印象で、みんなの話を聞いて大体読みかたは分かってきたんですけど、気になったのは〈師よ〉〈鶴よ〉、この句の形が似ているので、十句あるんだったら一句に絞ってもよかったのかなと。おんなじ形があるのは気になりましたね。いい句も多かった。〈狂はずに〉とか〈黙りゐて〉の、全体的に暗い中で、〈ピザ〉でこの句が明るい感じがして。全体的に工夫が感じられるけれど、ちょっと工夫しすぎな感じもあるかなあと思って。難しいなとは思いましたね。
暮田真名:「鶴よ」は大塚さんに似てるって言ったけど、〈己が光に傷む油画〉はめちゃくちゃかっこいい。上五では下が重すぎるのかも。
若林哲哉:形は似てますけど、内容の志向は逆で。やろうとしていることは違う。
浅川芳直:普段から癖になっちゃっているのかもしれない。やりたいことは違うけど同じ形。
若林哲哉:それでいったら上五で「〜や」とで切る句が十句の中に複数あっても、手癖とは言わないですよね。
浅川芳直:上五の「〜や」でさえ十句に三句以上あったら多くないですか。まして、こういう〈や〉は、上五〈や〉よりも特殊な効果を狙っている感じがします。格好よくしたい、みたいな……
暮田真名:「狂はずに」は俳句のどういう潮流からきてるんですか?
若林哲哉:「狂う」という措辞が流行っているという話がありましたね。僕は俳句の潮流だとはあまり思ってないんだけど。
暮田真名:何編かそういう言葉遣いがあったなあ、と。
黒岩徳将:俳句が、というよりかは、この大会に集まっている作品の傾向として、自己と向き合ったときの社会との距離の問い方を測っている作品が散見される、という印象です。
41. チューバ拭く
譜面台に座右の銘を書き立夏
日盛の指揮棒譜面台叩く叩く
夏暁やリレーのやうに楽器詰む
大会は負けて祭に帰り着く
次期部長所信表明涼新た
星月夜をもつと映さんチューバ拭く
クリスマス譜面隠しにリボンの絵
初稽古メトロノームを遅くして
演奏の休符の長くてあたたかし
花びらや楽器紹介小ネタ帳
木田智美:分かりやすいというか、タイトル通りそのままなんですけど、吹奏楽部とか楽器をやってる作品というのは、テーマがしっかりしていて、読みやすいなと思いましたね。ちょっとそこにとらわれすぎというか。テーマをやりすぎているというか、分かりやすすぎるところがあるので。想像がついてしまうというか、チューバを吹いていたらこういう景色はあるやろな、みたいな。ほんまにそうやっていうのは分からないんですけど。もっとその楽器をやってる人ならではの発見みたいなものがあったらよかったかなと思いますね。〈夏暁や〉もリレーのようにも分かるんだけど、〈夏暁〉は朝の四時とかめっちゃ速い時間なので、そんな時間にやるかなあと思ったりして。いろんなところにひっかかりがあるかなと思いました。
若林哲哉:吹奏楽部の一員という人物像がしっかり見えてきました。いいと思ったのが〈大会は負けて祭に帰り着く〉。一句独立で読むとなんの大会なのかは分からないけれど、この連作のなかで読めば、吹奏楽のコンテストだというのが分かって、上位大会には行けずに帰ってきた。学校や家の近所では祭りをやっていて、町は賑やか。大会が終わって、もしかしたら落胆もあったかもしれませんが、祭の高揚感や解放感があるかなと。
だいぶ人物像を具体化した分、「譜面」というのが十句中三句出てくるんですよね。リアリティはあると思うんですが、同じ言葉としてでてくるともう少しバリエーションがほしいと思いますし、十句の幅というところで物足りなさは残ったかなとありました。さっき話題に上がった〈夏暁〉の句ですが「楽器詰む」の「詰む」はこの字でいいんですかね。トラックのコンテナに詰めているというようなイメージなんでしょうか。あるいは、「積み込んでいる」と書きたかったということなのかな。
暮田真名:「音楽・部活」というメモを取りました。〈リレーのやうに〉はバケツリレーのことなんですかね。これは圧縮がかかっているのかなと思いました。バケツリレーもリレーの一種だからいいのかもしれないけど。〈花びらや楽器紹介小ネタ帳〉の「楽器紹介」は新入生歓迎というか。シチュエーション喚起力が強い言葉がたくさん並んでて、食傷気味になってしまったという感じですかね。
浅川芳直:拙いところはあるんですが、好感を持った作品です。もちろん、〈日盛の指揮棒譜面台叩く叩く〉は言葉を重ねればいいというわけではないし、〈次期部長所信表明涼新た〉も報告的だし、〈初稽古メトロノームを遅くして〉はちょっと説明的、最後の〈花びらや楽器紹介小ネタ帳〉は全体の勢いをそいじゃったかなという気はするんですが、上手くつくろうというよりは、力一杯、いま、詠めるものを俳句にした、というか、勢いを感じました。力感と言ってもいいですが。いいなと心惹かれたところがありました。
〈譜面台に座右の銘を書き立夏〉は響きがいいなと思いました。高校生か大学生か、学校の先生か、誰の視点かは分かりませんけれども、立夏、というきっぱりしたその日一日の感じが出ています。〈大会は負けて祭に帰り着く〉は連作の凭れ合いをのぞいても、どんな大会でも成り立つ。ふらふら吸い込まれていく感じ。表題句も良いと思いまして、〈星月夜をもつと映さんチューバ拭く〉。月夜ならともかく、星月夜はいくら磨き上げても映るとは思えないんですけど、なんか純粋なスピリッツを感じていいんじゃないかなと思いました。
黒岩徳将:実直でみずみずしく詠いあげている。創作でも、リアルな話でも、どっちでも関係なく良さが伝わる句がたくさんありました。〈譜面台に〉の句は所信表明的で気持ち良い感じがします。吹奏楽を経験しているかどうかによって読みが変わると思うんですが、ニッチなところを突いているからこそ自分にそんな経験がなくても楽しめる。〈初稽古メトロノームを遅くして〉以下三句に関して、吹奏楽部の生活のリアルさや、そこを見るかのという細かい目線とか、もしかしたら三句部門だったら今よりもっと感動したかもしれません。作中主体/作者が、吹奏楽のリアル観よりも季語の世界や俳句としての屹立ということを優先したらどうなるかにも興味があります。今は吹奏楽部の生活感を一生懸命書くことに腐心してしまっていて、ストーリーが食傷気味になってしまった感覚もなきにしもあらず。吹奏楽と同じくらい俳句という沼にはまったらどうなるかを見てみたい。
浅川芳直:〈次期部長〉でガクッとくるんですよね。こういう句があると、部活紹介ビデオですねと読まれてしまうおそれはある。
黒岩徳将:付け加えていうならば、吹奏楽部のリアルな生活や頑張りみたいなものをテーマとした、俳句以外の先行作品(漫画や小説など)、俳句ならではの強みがあるかどうかということですね。
若林哲哉:「俳句ならではの強み」って、急にこの連作に背負わせるものが大きいですね。
黒岩徳将:一応すべての作品に対して「俳句」ならではの価値を追求しているかということを見ているつもりです。
若林哲哉:〈次期部長〉は、詠みぶりの技術としては報告的だけど、内容的にそれほど悪くないと思います。
浅川芳直:〈花びらや楽器紹介小ネタ帳〉はどうかなと思ったんですけど。
黒岩徳将:高校一年で勧誘を受ける側の視点からすると、「先輩、一生懸命に小ネタ帳に楽器の特徴を書いてくれたんだな」と思います。この先輩に勧誘されてみたい!という気持ちが現れていて素晴らしいと思います。
浅川芳直:〈小ネタ帳〉の句、興味深い事実が必ずしも興味深い俳句になるわけではないと思っていたんですが、黒岩さんの読みを聞いて読みの甘さを反省しております。41は、僕としては選考するというよりも心から伸びやかに楽しめた作品でありました。多少×もあるけれど、よくまとめてくださったと思います。
45. 遠雷
キャベツきゆるきゆるおほげさに分けて
勢ひに五月は好きと言つたけれど
告ぐるまでの遠雷を指の血管のすべて
ずるい滴りの見つけかたおしへてあげる
短夜の恋ほんたうの嘘をつき
きみは雨乞どこにゐたつてすぐわかる
香水を買はれさういふ会ひたがり
うすつぺらいからだで冷奴をくづす
ゼリーくつつくいつのことでも話しながら
目をこすり手花火はすべてのこれから
浅川芳直:昨年の「俳句四季」でやった学生俳句会特集のあと、学生俳句って括られるようになっていくのは嫌だっていう議論がありましたけど、傾向として「学生俳句」的と括られてしまいそうな作風、というのは見受けられると思うんですね。この作品は大枠としては、仮に学生俳句界隈というものがあるとして、そこで支持されそうな作り方をしているのではあるのだが、もうちょっとやわらかい方向に行っている。この方の顔というか作家性が感じられて楽しませていただきました。パッションで攻めてはいますね。
これは45番への評ではなくて「潮流」みたいなものへの僕の考えなんですけど、学生俳句的というのは、たとえば「分かる」「さういふ」「すべて」みたいなワーディングとか、〈ずるい滴り〉の〈ずるい〉で切れて、上五を細切れにする叙法とか。でも、「できた!」と思った言葉こそ、本当に自分の芯から出てきた言葉なのか吟味してほしいんですよ。どんな句会でも、誰かがいい感じに使った言葉に飛びついちゃうものですけど、それは自分を含め気を付けなくてはいけない。このワーディングのために17音まとめたんだというときこそ、その一語が余計になったりということがよくあると思うので。
脱線してすみません。45番はちゃんと自分の世界があって、「ああ、流行ってますねこういうの」とスルーしたいわけではない。だから残ってきてると思うんです。たとえば〈うすつぺらいからだで冷奴をくづす〉。ほのかな自虐、屈折したものがありながら、でもキンキンしていない読後感の良さというのがあって、そこが良いところ、この作者の詩人としての資質なのかなと思います。この方があんまり周りを見ないで、ずんずん我が道を行った未来を見たいなあと思いました。ムードをきちっと統一しつつ、十句それぞれ違うことをやってみせてくれているのも力を感じました。
すごく印象的だったのが、一句目〈キャベツきゆるきゆる〉。「おほげさ」がとても面白いと思ったんですが、「きゅるきゅる」なのか「消ゆる消ゆる」なのか、迷いました。どっちなんでしょうね。
木田智美:ちゃんとこの人の作風が出来上がってるというか。出来上がったうえで、全部の句がレベルが高く、同じような文体の句がない状態でこう揃ってるところがまず、もう出来上がってるなっていうところで評価は高かった。良かったんじゃないかと思いますね。一句目から〈キャベツきゆるきゆる〉。私はもうこれは擬音で「きゅるきゅる」やと思ったんで、「きゅるきゅる」大げさに分けてっていうところで、まず一句目から結構勢いがあって、もうこういう路線で行くんやっていうのがちゃんと。〈勢ひに五月は好きと言つたけれど〉も、話の流れで言ってしまったけれど「そんなに五月好きじゃなかったなあ」という、自分の中ではあ、別にそんなことなかったよなあ、と気持ち的には分かるようなところだったり。一句一句全部面白くよく出来てるなと思って、良かったと思いました。どれがダメというのはなかったですね。
暮田真名:〈キャベツきゆるきゆる〉は好きでしたが、キャベツを「きゅるきゅる」と読ませるなら、〈キヤベツ〉と大きな「ヤ」で表記しなくていいのか?
浅川芳直:旧仮名でも、カタカナのときは発音にして即して書くことが多いです。
暮田真名:へえー勉強になります。この一句が好きで、浅川さんが〈冷奴〉は自虐だと言ってましたけど、私はこれは誇っているのかなと。
浅川芳直:「でも、生きてる」って感じ?
暮田真名:いや、そういう感じではなくて。X(旧Twitter)のセルフポートレートみたいなんですよね。自分が一番魅力的に見える角度で自撮り(セルフポートレート)してるなあというふうに感じて。〈香水を買はれさういふ会ひたがり〉の人に会いたがりとか、〈ずるい滴りの見つけかたおしへてあげる〉の小悪魔感が過剰に感じられる部分もありました。
黒岩徳将:一句の文字数が多くて視覚的に長さが目立ち、「おっ変わった作品だな」と思いますね。字余りのはみ出し感があり、ひらがなの多用によってゲシュタルト崩壊とまではいわないが、一句を読むスピードにストップ・アンド・ゴーを要求する印象で、独自のリズムをこっちが探り当てていくように読みたいです。僕は〈キャベツきゅるきゅる/おほげさに分けて〉と読みました。もしかしたらこのキャベツはミキサーで回ってるのかも、とか。音を楽しむというか、新しい韻律感覚がありました。
小悪魔感が話題になりましたが、自らが言った言葉や感情に対して二歩三歩下がって、もう一度考えてみたくなる中途半端さというところに、一句としてのテーマが俳句にしかなりづらい微妙なテーマが言えていて、勢いがある気がしました。意味がぼかされている句があるんですが、正体を隠しきれなくて、少しそれを見せてくれるのが小悪魔感かもしれません。〈ゼリーくつつくいつのことでも話しながら〉のあとの「……」という余韻がゼリーをさらにきらめくようにさせるところに魅力を感じました。最後の〈目をこすり手花火はすべてのこれから〉に関しては青春性に終わらせない、消えるけど明るいみたいな両極性が言えているんじゃないかなと思います。
若林哲哉:十句を通してテーマは「恋愛」だと思いますし、文体のトーンも統一されているというところは木田さんと同意見です。その上で、恋愛といってもいろいろあるんですけど、誰かに対する片思いとかそういう単純なものではなくて、誰かから思われていることを良しとする、過剰とも思えるような一種の自意識が滲み出ている。〈きみは雨乞どこにゐたつてすぐ分かる〉は、きみが雨乞をしている。私は、雨乞をしている君のことが、どこにいたってすぐ分かる。なぜなら、雨の恵みを欲するように、君は私を求めているということだから。君がいて、だから私が君のありかが分かるんだよという、自分が君に想いを寄せることの前提に、相手から想われているということがある。恋の盲目性が宿っているかなと思います。それが、十句のなかで少しずつ見えてくる。その上で、〈うすつぺらいからだで冷奴をくづす〉は一句独立で読むと自虐ともとれるし、そんな薄っぺらい体だけれども思ってくれる人がいるという句であるとも読めます。句の意味の中心はいずれも一緒ですね。
気になるところをいうと〈告ぐるまでの遠雷を指の血管のすべて〉が表題句ですけど、大きく気持ちが動くときに雷に打たれたようだとか、全身が電流が駆け巡るようだとか言うこともあるので、情感が一般的なものにおさまってしまっているように見えたところがありました。ちょっとずつ盲目的な恋の片鱗が見えるところはありつつ、九句目、十句目はなんだか冷静に戻ってるような印象もありました。
暮田真名:雨乞いの句は若林さんの読みでいいんでしょうか?
木田智美:若林さんの読みもあるんやなと思って納得したんですけど。私は、〈きみは雨乞〉、君自体が雨乞いで、いつも雨が降っているんじゃないんですか?その人のところにいつも雨が降ってて、その人にあうときいつも雨が降ってるなぁというみたいな。
若林哲哉:やっぱり日照りのときに雨を呼び込むために祈るのが「雨乞い」なので、いつも雨が降ってる状況だと成立しないかなあと。〈香水を買はれ〉の句も、「買われた」という受け身ですが、暮田さんのおっしゃる小悪魔感というか、そういう感じかなと。思ってくれているから、君のことが分かる。
木田智美:〈ずるい滴り〉も好きでした。みんな言ってくれた小悪魔感というか、その人にだけ特別に教えてもらえる感じだったり。〈香水〉の句も支配的な、この匂いをつけてほしいみたいな感じだったり。一句一句もレベル高いし、全体としても流れでうまくいってるなと思いました。私はこの作品に、この間の春アニメ『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』を思って、雰囲気的にも好きだなあと思いましたね。
浅川芳直:聞いていて、キャベツの句もいっそう面白く思われてきました。
若林哲哉:〈きゆるきゆる〉は目をきゅるきゅるさせるという言い方をすることもありますが、潤いを感じさせる。誰かに思ってもらえていることで潤う心情みたいなことが伝わってきます。
52. べきろん
走馬灯かえつてよかつたぢやないの
地球儀をまはす速力日焼の子
原爆忌電話のベルのけたたまし
べきだとかべきでないとか鰯雲
数式のどこかがちがふちちろ虫
大花野XLは帆のやうに
あたまだけはずし加はる踊かな
かけがへのある菊展を帰りけり
消防車大きく吸つて鳴りにけり
わが影に濃淡のあり冬泉
若林哲哉:表題句の〈べきだとかべきでないとか鰯雲〉、面白いと思いました。「何々すべきだ」という人がいて、「そうすべきでない」と反論する人がいる。鰯雲はつきすぎだという見方もあるかもしれませんが、寄り集まってくるという感覚があって。〈大花野XLは帆のやうに〉もさりげない句ですけど、面白かったです。主体にとってはたぶんオーバーサイズで、だからこそ風になびいている様子を帆のようだと捉えている。いわゆる夏野だと、狭義の青春性に回収されそうなところはありましたが、花野という季語は抑制が効いている。気持ちの良い句だなと思います。
逆に〈わが影に濃淡のあり冬泉〉は類想があるんじゃないかなと。あと〈消防車大きく吸つて鳴りにけり〉は「大きく吸つて鳴りにけり」をどう読もうかなと思っていました。描きたい対象や事柄を描き切れてないところが散見されたという印象がありました。〈あたまだけはずし加はる踊かな〉はどう読んだらいいんでしょうかね。ロボットみたいに頭が取り外しできるというような読み方でよいのでしょうか。
黒岩徳将:機知的なデザインで俳句を組み立てるという意識が強い句群でした。自分の見ているものの見方をちょっと斜めからずらす、一句の微妙さを際立たせている。〈消防車〉の句は、消防車がサイレンを鳴らす前にまるで人体のように深呼吸している見立ての句だと思って、意外だなと思いつつ、冬のしーんと張り詰めた空気やよろしさが響いてこないという気がしました。
〈かけがへのある菊展を帰りけり〉は菊花展を斜に構えて見ると、「かけがえのない」だと面白くなかったから変えた、そんな機知的なところの手つきが見えすぎたかなという感じがします。違う見方をするぞ、という意思みたいなのを感じて、その狙いどころをいろいろ考えているところは伝わりました。〈走馬灯かえつてよかつたぢやないの〉はぼかすのは分からんでもないが、何について「よかつたぢやないの」というのは先に知りたかった。
浅川芳直:伸びやかな呼吸を感じる十句だなと思いました。いいと思ったのは〈地球儀〉の句の地球儀のぐるぐる回るスピード、速力の漢語でスピード感が増していて効果的だと思います。〈あたまだけ〉は着ぐるみでしょうか。「昔の盆踊りとは、理性を外して夜這をかけるという風習だったのだ」みたいなことではないと思うので。
マイナス面では、黒岩さんの指摘と同じになりますが、言葉足らずなところが、定型に対して物欲しげに見えてしまうところがありますね。焦点を絞る、単純化したゆえの省略というよりも、余韻を残すぞ、と逆に力を掛けているようで。そういうところで、〈大花野〉は何の「XL」なのかとか、言った方がいい情報が言われてないなあと。読者に想像させる余地はあるんだけど、想像の余地の範囲というものが広すぎる傾向にあるかなと。いい句はあったと思います。
暮田真名:〈べきだとか〉の鰯雲は〈鰯雲人に告ぐべきことならず/加藤楸邨〉を踏まえているような。全体的に戦争っぽい感じがしました。〈かえつてよかつたぢやないの〉の断定も。〈走馬灯〉は、俳句だとそんなに死のイメージはないのかもしれないですが。〈地球儀を〉の句は微笑ましいけど、支配とまで言ったらあれですけど、地球を手に入れる、手でもてあそぶことのなんとなく怖い感じもある。
〈数式のどこかがちがふちちろ虫〉の、違うのは分かるんだけど、「どこか」までしか分からない。〈大花野〉はシャツを干してると思って読んだけど、干してないのかな。前向きにも感じるけど、その帆がどこに連れていかれるのか分からなくて怖い。〈かえつてよかつたぢやないの〉の声の主が分からないかんじが良かったので、最後尻すぼみの印象があるなあと。〈かけがへのある〉は「かけがへえのない」を裏返しただけだし、もっとほかに終わり方があったかも、という気もしますね。〈あたまだけ〉は体のパーツが外せることのほんのりとした怖さみたいなのが言いたいのかな。
木田智美:〈あたまだけ〉は結構おもしろいなと思って、着ぐるみっていっちゃうと分かりやすすぎると思ってしまうので、工夫してて。着ぐるみの顔の人間の部分がでちゃうとほんまはあかんけど、ちょっと田舎の方のお祭りとかだったらそういうこともあるのかな、っていう想像ができたりとか。〈はずし〉やから、仮名遣いは「はづし」になるのでは?
若林哲哉:そうですね。
木田智美:一句目の〈走馬灯〉の句はひっかかってしまって。
若林哲哉:季語としての走馬灯でありながら、季語ではない慣用的な走馬灯の意味も恐らく含んでいて。走馬灯が見えたことについて、「こんな人生だったんならよかったじゃないの」というニュアンスは含まれます。
暮田真名:怪談っぽいのが良かったかもしれないです。お化けっぽい。
若林哲哉:さすが。お化けの話。
浅川芳直:単純にお祭りか何かで回り灯籠がでてて、会話を台詞として組み合わせた、と読んでもいいのかなと思いました。みなさんがおっしゃってたように、慣用句としての走馬灯として重ねているのでしょうね。
木田智美:タイトルの「べきろん」、四句目が作者の見せたいことだと思うんですけど、この句があんまり私がなんか言ってるようで言ってないんじゃないかなって思ってしまって、評価が難しい。
浅川芳直:敢えてだと思うんですけど、投げやりないいかたをしてますよね。その作り方で表題としてもってきたときに、もっと伝わってきてほしいと思っちゃうのはありますよね。
若林哲哉:楸邨の句を踏まえているって話もありましたけど、それも含めて、べき論というのは空虚な議論だよね、というのを言いたい。何も言ってない、がこの句の意図なのでは?
浅川芳直:メッセージを言っちゃってる感じがする。どうなのかな。
若林哲哉:〈あやまちはくりかへします秋の暮/三橋敏雄〉も、割と抽象的なメッセージと、具体的な景色をもたない季語ですよね。
浅川芳直:うーん。敏雄の句はいいと思う。メッセージの言い方かな、中身かな。メッセージ性の有無の問題ではないのかも。敏雄は丁寧に言ってるけど、〈べきだとかべきでないとか〉は投げやりな感じが。それ言いたい?という。
若林哲哉:納得しました。「過ちは繰返しませぬから」という慰霊碑に刻まれた言葉に対して、三橋敏雄の「繰り返します」という断定。確かに、こちらは丁寧です。
54. それから
ペリカンに浸み出してゐる春の果
白日傘いくらかパレードを離れ
海の日やチキンライスに小さき旗
革命とそれからアイスコーヒーを
冷房や体のなかに島があり
電話切れてしばらく昼の海を見る
籐椅子に打ち解けてゆく体かな
洗はれた葡萄のやうな夢を見た
電灯はすずらんに似て明易し
つゆくさや海の近くのコンビニへ
浅川芳直:タイトル通りと言いますか、一句が動画的、一瞬というよりも四次元的な感覚を喚起するように作られているなと思いました。結構好きな作品であります。丸がついているのは〈冷房や体のなかに島があり〉、無季ですが〈電話切れてしばらく昼の海を見る〉、そして〈籐椅子に打ち解けてゆく体かな〉。
ひっかかりとしては、〈海の日やチキンライスに小さき旗〉。どうしても〈南風吹くカレーライスに海と陸/櫂未知子〉を思い出してしまって、ちょっと損をしちゃったかな。〈革命とそれからアイスコーヒーを〉は、革命とアイスコーヒーの省略の間の焦点がどこに合ってるのかがぼやけて見えて、物足りない感じがありました。
一番好きなのは〈ペリカンに浸み出してゐる春の果〉ですね。ペリカンののどかで間抜けな感じに春の終わりが染み出しているのがすごく好きでした。
若林哲哉:注目句、浅川さんとほぼ被っていて。〈籐椅子に打ち解けてゆく体かな〉、これいいと思いました。籐椅子ってやっぱり籐でできているので、座った最初はギシギシするというか、硬いなという感じなんですけど、座っているうちにだんだん体のカーブに馴染んできて、柔らかさも感じられる。籐椅子に座らないとできない句だなと思って見てました。〈電話切れてしばらく昼の海を見る〉も面白いと思っていましたが、〈冷房や体のなかに島があり〉は、ランゲルハンス島のことかな、機知の句なのかなと思ってしまい、あまり乗れなかったというところがありました。
〈ペリカンに浸み出してゐる春の果〉はやっぱり二段跳んでいる気がして、ペリカンから、何かしらが染み出している、その染み出している何かを春の果らしいと捉えたという二段ジャンプがあると思うんですけど、そこをもうちょっと書き込んでほしかったというところは正直ありました。〈つゆくさや海の近くのコンビニへ〉は良いと思ってます。
浅川芳直:被ってましたね。
若林哲哉:はい、ほぼ被ってました。
暮田真名:私はこれ、最後の二択まで迷って、入れなかった作品だったので、入っていてうれしいです。なんで入れなかったのかというと、やっぱり表題句の〈革命とそれからアイスコーヒーを〉の「革命」に必然性がない。この連作の美点って、すごく洒脱というかポストカードみたいというか、物の輪郭がはっきりしてる感じがします。夏の強い日差しのコントラストみたいなのをすごく見せてくる、洗練された感じがいいのであって、本気の革命じゃないと思うんですよね。それなら「革命」なんて言わない方がいいという風に思ったのと、〈冷房や体のなかに島があり〉も「ないない」って思うし、もしあるとしたらやっぱりランゲルハンス島って思っちゃうから、ここが惜しいかなという感じはしたんですけど、全体的にすごくいい気がするというか。〈洗はれた葡萄のやうな夢を見た〉とかは結構好きかもしれない。夢オチですけど、葡萄に水が滴ってる感じとかが迫ってくる感じがあって好きですね。だけど表題句は良くないと思いました。
若林哲哉:僕も、二択で迷って最後選ばなかった三人衆の一人なんですけど、表題句が良くなかったというのも同感です。「革命」と言って、「それから」と一息ついて「アイスコーヒー」かという感じは、やっぱり「革命」の必然性を損ねていると思う。何のための革命なのか気になるし、「革命」という言葉を使ってみたかった感じが否めないかなと思いました。
暮田真名:何の革命なのかが気になる。この人、革命のことなんて考えるのかな。
若林哲哉:そういうニュアンスも感じますよね。
木田智美:全体的にはよくできているとは思うんですけど、〈海の日やチキンライスに小さき旗〉もそんなに悪くはないとは思うんですけど……
浅川芳直:悪くはないんです。
木田智美:悪くはないよねと思いながら……惜しいかなっていう句は結構あって、〈籐椅子に打ち解けてゆく体かな〉は籐椅子にこうもたれてそのまま寝てしまうとかはあるかなと思って。〈電灯はすずらんに似て明易し〉も「明易し」も季語やし、電灯がすずらんっていうのも……
浅川芳直:ちょっとね、ありますよね。
木田智美:発見としてはそのままかなっていうのと、「明易し」と「電灯」っていうのも近いかなっていうのを分かってしまったり。〈つゆくさや海の近くのコンビニへ〉とかは爽やかな感じで良かったと思います。あとは〈洗はれた葡萄のやうな夢を見た〉、葡萄が秋の季語やのに次の句が夏になってしまってるから季節の順番通りにしてほしいかなとは思いますかね。ペリカンも何が染み出してるのか、春の果てが染み出してるっていうことやとは思うんですけど、いまいち伝わってこないかなとは思って。素材とかは面白いんですけど。あ、でも〈洗はれた葡萄のやうな夢を見た〉とかは「洗はれた」っていうのもすごい綺麗なイメージで、目が覚めたときの夢のぼんやりしてる雰囲気的にはすごい好きな句でしたね。
浅川芳直:ちょっとだけペリカンの句の擁護をしておくと、ペリカン自身の纏ってる雰囲気とか鳴き声に春の果てを見てるのかなっていう風に僕は思ったりしました。春の終わりの頃の雰囲気というか、ペリカンが交尾とかしてるんじゃないかなっていう気もしましたけどね。のんびりした動物のアホっぽい行動とかいろんなことに春の果てを見てるっていう風に僕は読んでおりました。というところも踏まえて黒岩さんにパスしたいと思います。
黒岩徳将:ペリカンの句が話題になってますけど、〈ペリカンに浸み出してゐる春の果〉というその季感的な状況みたいなふわっとした一句でスタートすることで、連作全体のムードをなんとなく作りますよっていう宣言が成功してると僕は読みました。動物園でも何でもいいですけど、嘴が長くてぬうんと突き出ていてそこからちょっと水が溢れるような感じがするので、かなり思い切って抽象的な季語でまとめ上げたところがとても新鮮。無主題というか社会に対する意志的なものをあまり出さずに、控えめな表現で十句をまとめる連作は実は多くはなかった。言いたがり感がすごく少なくて、その代わり五感に訴えかける季語と自分の身体との掛け合わせの表現が分かりやすい。一方で記号的すぎるんじゃないの?という意見もよく分かりますが。
話題に上がってないのは〈白日傘いくらかパレードを離れ〉。舌足らずな感じがパレードの喧躁になじめない感じの白日傘の主体が見えてきて、逆にこの「離れ」の言い方が良かったと思います。で、〈電話切れてしばらく昼の海を見る〉とか〈籐椅子に打ち解けてゆく体かな〉のゆったりとした空気感で、あんまり自己主張は強くないというところも読者に委ねてくれて助かるなという気持ちがしますね。〈電灯はすずらんに似て明易し〉は僕はそんなに悪いと思ってなくて、夜明けのぼうっとした雰囲気で白いアーク灯みたいなものを見たくなる気持ちというのはよく分かるし、すずらんのようなランプの曲線みたいなものも朝の輪郭が定まってないときの象徴としてはなるほどと。素材は近いけどムードが合ってます。
大きなバツがつきづらい句があるので、そのバツを大きく見るか小さく見るかで皆さんが議論されたところもすごく納得がいき、やっぱり〈革命とそれからアイスコーヒーを〉の句がもったいなさすぎるというところがあって。皆さんおっしゃる通り、革命はあんまり真面目に考えてない。つまり自分の手元の身辺雑記の中から「革命」という言葉が一番遠いっていうことを言いたいのかなっていう気がします。だからタイトルが「それから」なのかなっていう。
暮田真名:夏の光量が多いという素晴らしいところだけを抜き出して、暑いという最悪な側面を一切捨象している。理想化された夏なんですよね。クーラーの効いた部屋にいるみたいな感じで、その汗をかかなさが「革命」をさらに良くなくしている。なんでここ「革命」にしたんだろう。
黒岩徳将:フックが効いてる句を一個入れたかったんだと思うんだよね。頑張りすぎたか。
60. 抱く
産まれては死ぬまでの日を寒椿
狂へないまま白鳥を目に映す
子を抱いて二月の川の怖きこと
春の星よりこぼれし水と思ふ
かぎろひに産まざる吾を見しやうな
猥談にをんな加わり薄暑かな
万緑や戌の日の鈴なべて鳴り
わつしよいの右折してゆく秋の空
さつきまで鶏頭だつたものを抱く
寒禽や水より暮るる寺の庭
黒岩徳将:テーマが「生むこと・生まれること」に対する距離の取り方だけで結構いろんな句がなされているっていうのがよく分かります。〈子を抱いて二月の川の怖きこと〉とかも、ちょっと古い昭和の俳句にもありそうでなさそうなんですけど、ラインで繋がっているところを現代感覚を描きながら普遍に繋げようとしている感じがしましたね。
「生」は結構伝わりやすくて、〈春の星よりこぼれし水と思ふ〉もやっぱり生命賛歌とは言えないんだけれども、生命に対する畏敬の念を持っておかなければいけないみたいなところの距離の取り方が感じられました。最後までテーマ性みたいなものの投げかけを受け止めたまま突っ切っている力がある。特に〈さつきまで鶏頭だつたものを抱く〉のなんかしょぼくれてしまった無残さみたいなことも、一句の全体の中で見ると重いですよね。これで終われないから最後〈寒禽や水より暮るる寺の庭〉で落ち着かせてフィニッシュするっていうのも自分はよく分かりました。
何が悪いということではないが、〈かぎろひに産まざる吾を見しやうな〉とかがやや「産む・産まない・私」に対するテーマの句として若干既視感があるかも……という感じですね。でも見どころはチョコチョコ気になる句はたくさんありました。
暮田真名:序盤で「俳句で〈狂えない〉って今流行ってるんですか?」みたいなことを聞いたのは、私が大学院で研究していた時実新子という川柳作家が、こういうことをよく言っているんですよね。〈切手の位置に切手を貼って狂えない〉という句があったりして、時代がかった言葉のような気がするんですよね、「狂う」「狂わない」というのが。リバイバルというわけじゃないんですけれど、何でしょうね。季語よりそっちが強いように感じるので、「狂う」とか「狂わない」とかっていう言葉が入ってくると。だから俳句の主流みたいにも感じないけど、どういうことなんだ……と思ったので聞いたんです。これを今やる意義をもう少し知りたい、という感じがしましたかね。
木田智美:「狂へない」っていうのが流行ってるみたいな話で、〈狂へないまま白鳥を目に映す〉の「狂へない」っていうことで何がいいのか分からないというか。俳句にこの言葉を入れるとどこがいいのか、なにが面白いのかわかんなくて、読み切れないかなと思いますね。特にマイナスの句はないと思うんですけど。「狂へない」が面白いという感覚が私には分からなくて。もっと面白い言葉を入れたらいいやんって。
浅川芳直:「狂へない」で言葉が強くなるけど、それが本当に俳句としての力を与えているのか、やや疑問ではありますね。
木田智美:すごいことを言えるって感じですかね。〈子を抱いて二月の川の怖きこと〉は、実際に川を渡ってるとかではないと思うんですけど、川を上から見た状態で感じている。これは、いい句やなと思いましたね。〈かぎろひに産まざる吾を見しやうな〉は産んでますよね。
暮田真名:パラレルワールドみたいな、夢想してるってことですよね。
木田智美:〈春の星よりこぼれし水と思ふ〉はきれいな句でいいなと思うんですけど、私的には「春の星より」で七音で上五にしたほうがバランスとれるかなとか。
浅川芳直:マイナスの方から話しましたが、僕、実はこの作品を5選に残しております。皆さんおっしゃったような欠点はありますね。〈狂へない〉はさっきから出ているとおりですし、〈春の星〉はちょっと流れている。水と星っていう取り合わせね。〈猥談にをんな加わり薄暑かな〉もちょっと嫌だな、男だろうが女だろうが、下五が予定調和的。〈寒禽や水より暮るる寺の庭〉は最後の句としてこれで締めるのは作品全体として古めかしいものに感じさせてしまう。ただ、いろんな工夫しようとして隙も出ているけれども、言いたいことをちゃんと表現しようとしているかなと思いました。
〈子を抱いて二月の川の怖きこと〉に二重丸をつけています。迷いに迷ってこの句のあるがゆえに残したんです。底知れない力がある気がいたしまして。川はあの世とこの世の境目でもあるわけです。そして2月というのはやっぱり季節の変わり目、体調を崩して亡くなる人は今でも多いでしょう。春という、命が芽生え春に向かっていく時期でもあるし、命へのまなざしが抉ってくる。幼子というのは仏の世界に近いといわれるわけで、そういうものを抱いてるからこそ、川の恐ろしさっていうのが際立ってくる。「怖きこと」という下五が効いているんじゃないかなと思います。「抱く」というタイトルも直球でね。〈子を抱いて〉の一句のためだけでもこうやって取り上げられてよかった、と思いました。十句作品で、テーマ性がありつつ、これという句がある、というのは貴重だと思うので。
若林哲哉:どこからコメントしようかなと悩みながら聞いてたんですけど。まず、この十句を読んで思ったこととしては、子が生まれた親の主体であり、どこか子がいることによって思い通りにならなくなった部分がある。子がいることでかけがえなく見えるものがあれば、どうにもならなかったり、失われていくものもあるなかで、時に子がいない世界を夢想しつつ……
木田智美:あー、〈かぎろひ〉によって、子供を産んでない自分がそこにいるような。産んではいるけれど、産んでいない自分がそこにいる、という意味か。
若林哲哉:そうだと思います。で、そういう風に日々を営んでいる主体なのですが……のあとが、うまくまとまらなくて、実は。
浅川芳直:読後感をまとめづらいのは、最後の句が全体の締めとして惜しいからじゃないですかねえ。
若林哲哉:最後の句が惜しいなというところとか、あとは〈猥談にをんな加わり薄暑かな〉は、どこを狙っているのかなと思いました。読者としてその狙いを仮定することはできますし、いくつか仮定できますけれど、どの仮定について説明するにもすごい慎重に話さないといけないような気はしています。〈産まざる吾〉の句の解釈をどう取るかにもよりますが、いったんこの場では、生物学的には女性の主体だと読んでみます。その上で〈をんな加わり〉なので、生物学的に女性の主体の視点から、少なくとも主体からは女性である見做される人物が猥談に加わるところを描いていると。そこに「薄暑」という季語。こういう風に考えさせたり、物議を醸すこと自体が狙いかもしれないけれど、アンチテーゼもあると思う。例えば、「女性がそんなはしたない話をするんじゃない」と言われた時代があって、でも、生物である以上そういう欲求も存在して。これも、仮定に仮定を重ねて読んでいますけれど、その上で、「薄暑」。
浅川芳直:そうですねえ。
若林哲哉:季語の斡旋の甘さが垣間見えるかなあと思いました。汗ばむ感じが、メッセージ性に回収されている印象です。
浅川芳直:〈猥談〉はね、もっとカラッとした季語だったらよかったのにと思って。集落の人たちのおしゃべりでね。だから、〈わつしよい〉は集落全体の季の移ろいを描いてると思うと素直に読めました。
暮田真名:今やる意味があるのかなって最初に言ったけど、〈猥談〉は現代への目配せを感じる。〈薄暑かな〉はエロスの方に引っ張っちゃってる感じがする。もっと情感のない言葉がいいんじゃないかなと。現代への目配せというのもただの勘ぐりなので、本当はこういうじっとりしたものをやりたい、ということならいいけど、という感じですね。
木田智美:〈猥談〉の句はダメな句だと思わないですが、〈加わり〉は〈加はり〉歴史的仮名遣いだと思います。この句は流れとして、作者は女性ですけど、〈をんな加わり〉は作者自身ではなくて、この猥談をさくらももこさんのエッセイの感じ、冷ややかに見ている感じかなと思って。まあでも今の時代に、っていうのはあるけど、一句としては悪くはないかなと思いますね。
暮田真名:あんまり肯定的に見てないかもしれないですね。「猥談する女最高!」って句ではないですよね。
若林哲哉:仮定に仮定を重ねて読まないといけないこと自体が実は瑕なのかも、って思うところはありますね。
黒岩徳将:季語を置いたことでそれが何がしたいか分かりにくくなってるっていう。十句の中のこの句に関しては大きな評価に関わりすぎるかな。
浅川芳直:仮名遣いはスルーしようと思っていたんですが、そういうところでもっと作品を大切にしてほしいですね。〈猥談〉の句は単純に季語がべたついていると思います。土地柄への風俗みたいなもの、批評性を出すのであれば、景としてはもっとカラッと詠んでほしい。僕は、集落の人たちのあけっぴろげな茶飲み話とか、農作業の最中の雑談という感じで読みたいんです。「〇〇町の〇〇さん、夫婦仲悪いのにやることないから、しょうがないからやってばかりいたら、今度7人目出来たんだと!」「そりゃめでたい、あーっはっは!」みたいな。そういう噂話をする空気に抵抗を感じてる。つまり〈薄暑〉はウェットすぎる。じとーっとしてくると俳句のポエジーとは離れていくような気がするんですよね。
若林哲哉:ともかく、実際に作者が何を言いたかったのか仮定した上で話すしかなくて、仮定したうえで話さないといけなくなってること自体は、季語がベストでないというところからきていると感じました。
浅川芳直:とはいえ、〈子を抱いて〉の句はすごく良かったと思いました。
若林哲哉:〈子を抱いて〉はよかった。〈狂へないまま白鳥を目に映す〉も、「狂えない」ことを言って何の意味があるのかという議論もあったんですけど、人間という理性を求められるものが、理性を捨てられる可能性とは何かという命題はずっとあると思っていて。俳句に限らず、折々表出するものだと思うんですよね。良い例か分からないんですけど、アニメ『東京喰種』のオープニング、TK from 凛として時雨の『unravel』の歌詞にも「狂える 狂えない」っていう一節があって、人間でいられるかいられないか、喰種という非人間になってしまうのかというのを「狂える/狂えない」という価値基準に当てはめているんですけど、「狂えない」ということによって今の自分でいることを捨てられないという含みが生まれる。その点で行くと〈狂へないまま白鳥を目に映す〉の「映す」が能動的な書き方になっているのが良くなくて、〈狂へないまま白鳥が目に映る〉だったらもうちょっと「狂えない」の意味が生まれると思うんですよ。狂えないという状況に対しても受け身なのであれば、ですけど。
木田智美:〈万緑や〉の〈戌の日の鈴〉がよく分からなかったんですけど。
浅川芳直:「戌の日」って安産祈願の日みたいですね。12日に一度の。
木田智美:兎のほうが産むんじゃないの?
黒岩徳将:戌は赤ちゃんを守るというか、安産の象徴ですからね。
木田智美:万緑に鈴がいっぱいあって鳴ってる、みたいな感じですかね?
浅川芳直:絵馬とかについてるんじゃないかな。モチーフが新興俳句っぽいですよね。
70. puzzle
はれーしょん!あなたが藤になる途中
あまやかし/まやかし もものはなのせい
ひかるはとおくアイスクリーム語のじゅもん
てんしどくはくきらめきはつみなのに
まなうらに星のにおいの休暇明
ひかることは単純でつまり、芒
手帳からうさぎが生まれなおすかも
puzzleばらばらのあなたを戻す雪
せかいかん似せる似てくる花疲れ
藤たちまちおもたくて逃げられない
黒岩徳将:脳みそを引っ掻き回す感じがあります。読者がどういうスタイルで臨めばいいのかかなり悩ませてくれるかなと思います。〈はれーしょん!あなたが藤になる途中〉は、ひらがな!エクスクラメーションマーク!メタモルフォーゼ!古典的季語!「途中」の止め方!で、五つくらいの要素詰め込んでて謎が続く句群だが、三つくらい味わい方がある。まずは景や状況とかを外して、音だけで楽しむというのをやってみましたね。そうすると〈はれーしょん!〉の句は忘れることが出来ないですね。
次の句はラップっぽいというか、舌を転がしたくなる句で分かりやすいですよね。〈あまやかし/まやかし〉、甘やかしているという行為はまやかしであり、それは桃の花のせいである。悪く言えば意味が繋がっちゃうところあるんだけど、そこで終わっていないのがスラッシュであまやかしとまやかしを並列化させつつ、最後そのあまやかしもまやかしもどっちも桃の花のふわふわした感じに取り込まれてしまう、と。表現とやり口がハマってるんですよ。
〈ひかるはとおくアイスクリーム語のじゅもん〉、やっぱりなんとか語の中にアイスクリーム語があると結構いろんなフレーバーが楽しめるんじゃないかな、でも光るし、バニラやな!とか。結構遊びが効いている句が多かったです。それが「puzzle」という題に象徴されるように、〈藤〉や〈桃の花〉以外はおおむね白ベースだったのが面白かったんですよね。〈puzzleばらばらのあなたを戻す雪〉はミルクパズルの白さを思いました。〈藤〉に始まって終わって、ぼんやりしたハレーションが結局藤の紫に戻っていく、ぐちゃぐちゃ感が面白かったです。
浅川芳直:お尋ねしたいんですけど、今ラップっていう例えが出てきたんですけど、ラッパーで言うと色物枠みたいな面白さですか?
黒岩徳将:ラップはこの句群においての一要素でしかないって感じがするけど、色物枠ではある。
浅川芳直:というのは、応援したいなあ、という気持ちにさせられたんですね。失礼な言い方なんですけど、MCバトルとかでも、すごく盛り上がる人っているじゃないですか。勝てなくても、自分の世界に引き込むというか。バトルはあくまで音楽活動宣伝の手段だと割り切ってるからこそ、ぶれない自分の世界に引き込めるとも言えるわけですが。だから〈あなたが藤になる途中!はれーしょん〉は見た瞬間目が離せなくなるし、まあそれはすごいことなんです。だけど、「この人の勝ちです」と言っていいのかっていうのがある。
比較的落ち着いた句で〈まなうらに星のにおいの休暇明〉がすごくいいかな、この人の素の詩情が出ている気がしました。〈あなたが藤になる途中!〉は古典の式子内親王と定家葛の世界に通じるようで、ちゃんと踏まえるべきところを押さえている。
MCバトルの色物なんて失礼な例えを出しちゃいましたけど、たとえば〈てんしどくはくきらめきはつみなのに〉の「どくはく」が「毒吐く」(ポイズン)なのか「独白」(モノローグ)なのか分かりづらいんです。解釈可能性をあえて過剰にしていて、読もうとすると強制的に巻き込まれる。……という点で、読者のバイブスを上げていくやり方が色物的なのかなと。全体として応援したいという気持ちがありますが、まだ責任を持って推薦するところまでは行きづらいというのが正直な感想です。盛り上げる力はすごいです。他の方の強力推薦を待ちます。
若林哲哉:それで行くと、五編に残そうと思って残せなかった連作が、僕も20編くらいあるんですけど、これもその一つです。構成としては〈はれーしょん!あなたが藤になる途中〉で、まずは藤にメタモルフォーゼしてしまった「あなた」が出てくる。藤の毒性みたいなものも思いますよね。毒性があって、藤になり代わったあなたが私を縛るというストーリー。そして、表題句の〈puzzleばらばらのあなたを戻す雪〉で「あなた」が登場するんですよね。こう、一回あなたがメタモルフォーゼする過程で、その分解されたギリギリのところを捉えて、同時に「あなた」という人物がパズルのような欠片の集積であると捉えているところが一つの眼差しとしてあって。通底する眼差しです。〈あまやかし/まやかし もものはなのせい〉、甘やかすことも、まやかすことも相手が要ることだし、アイスクリーム語も言葉による疎通。やっぱり、あなたという存在が一つ通底しているのかな。
一方で、〈まなうらに星のにおいの休暇明〉は一句独立での完成度は高いと思うけれど、やや端正で、この世界観を貫くのにブレーキがかかっていると思った。〈ひかることは単純でつまり、芒〉は、遠藤由樹子さんが角川俳句賞をおとりになったときの作で〈単純なひかりがここに草若し〉があることも思い出して。芒という季語自体が日の光と取り合わせられやすいことも思って、あまり裏切りきれていないという点において、中盤の失速がやっぱり気になる。描こうとしている内容の面白さはあります、応援したい気持ちにはなるんだけど、スタイルを貫ききれないラッパーは応援しきれないみたいな気持ちにもなる。四句目、五句目、六句目も貫いてほしかった。
浅川芳直:そこは、ちょっと勝ちたい欲が出てきちゃったのかな。
暮田真名:全体的にしっちゃかめっちゃかかなと思ってたんですけど、最初に出た〈藤〉が最後に出てきて、あ、その話、続いていたんだ、っていう。ちゃんと責任を取っているところに結構感動しました。この感じで、最後に疲れているのが面白い。
この連作において大事なのは『コピー』だと思っていて、〈あまやかし/まやかし〉で似た音が反復されるとか、〈せかいかん似せる似てくる花疲れ〉の『似せる』もコピーだし、〈手帳からうさぎが生まれなおすかも〉も復元していたり、〈puzzleばらばらのあなたを戻す雪〉もあなたを復元しようとしていたり。自分もオリジナルではないんだ、っていう自覚。
このひらがな多めの文体っていうのは俳句だと突飛ですけど、こういう界隈ってありますよね。アイドルとかの。そこからの影響を隠していないと思うし、そのことへの自覚と、袋小路に陥ってるんだっていうことをちゃんと言っている。「光る」っていう言葉が多すぎるし、全体的に光るもので構成されているんだけど、それがワンパターンになっていない。自覚済みでやっています、っていう感じがするところがよかったですね。
木田智美:なんとなく伝わってきました!最初に一句目〈藤〉で途中だから、最後〈藤たちまちおもたくて逃げられない〉になって、頭の上から藤棚みたいに囲われた状態で、伏線回収みたいに。十句全体も藤棚みたいに囲われている構成になっているっていうのが分かったんで。ちゃんと構成としては練られてたのが分かりました。でも、一句独立としてどうなのかっていうのはあるんですけど。〈手帳からうさぎが生まれなおすかも〉や〈まなうらに星のにおいの休暇明〉のモチーフは可愛らしい感じで、淡い色合い、ピンクとか紫とか白とか、言葉のイメージの色とかはきれいで作風としてよかったんですけど、伝わり切れない感じがあると思いました。
浅川芳直:季語の置き方、俳句の年季を入れてたくさん使い方を覚えると大化けするような。話題になってる〈ひかることは単純でつまり、芒〉は、やっぱり輝くものとして芒のイメージは大きすぎると思うので。芒と言えば、白秋、金秋のイメージど真ん中ですものね。〈あまやかし/まやかし もものはなのせい〉も、まあ「桃の花」の裏切り具合は、明るい花の色に何か影のあるものを合わせるというのは一つの作り方と言えばそうですが。季語への向き合い方が書き方に応じてもっと尖っていくと、全然違う景色を見せてもらえるんじゃないかなという期待がありました。そしたら、僕もただの応援じゃなくて、「よし推薦できる」って思えるようになるかな。
黒岩徳将:〈芒〉の句は擁護しきれないところがある。特に〈つまり、〉の部分。〈桃の花〉の方は、季語のバリエーションを増やさずとも。「ま」や「も」のむにゅむにゅした感覚のリズム感で押し切っていると思うんですよね。快楽に近いくらいのドーパミンが出ました。
若林哲哉:ただ、応援したいと思った気持ちの理由はもう一つあって。もちろんテキストに没頭するように読むっていうことを心がけているんですけど、〈せかいかん似せる似てくる花疲れ〉、例えば俳チャレのためにとにかく連作を作って、応募しようというときの気分が垣間見えている句じゃないかな。十句だからなるべくバリエーションを持たせたい、連作だから統一感のために似せてるところもあるし、意識しなくてもどうしても似てきちゃうところもあって。メタ的な部分の垣間見せもあるんじゃないかな。見当違いだったら申し訳ないんですけどね。
暮田真名:〈せかいかん〉の句で、この人、人間なんだ、って。ゆうこりんの本音を聞いたみたいな。季語のバリエーション増やすっていうのは、過去の句を学んで、もっと違う書き方ができるんじゃないかなということなのか、もっと違う季語を使うべきなのか?
浅川芳直:前者ですね、使い方のほうを工夫されるといいかなと。手持ちで使える季語を磨く感じで。
暮田真名:この人がこの世界観で使える季語は限られている。〈川瀬餓鬼〉とか使えないじゃないですか。歳時記から自分の世界観に合うキラキラなものだけを集めていて、そんなことやっていいんだって驚きました。
若林哲哉:これだけ書ける人なので、いろんな季語を使おうと思えば使える中で、似せようとするからこういう傾向になっちゃったし、それ自身に疲れている。
暮田真名:疲れるっておもしろくないですか?
若林哲哉:面白いですよね。自分で作った世界なのに自分で疲れるっていうのは(笑)
暮田真名:(笑)
浅川芳直:「花疲れ」なんて言わないでもっと大雑把な季語でいいと思ってたんですけど、自分で「疲れちゃった」ということだと、まあいっそう応援したくはなります(笑)
黒岩徳将:花というデカいモチーフで、その後ろには「日本」も感じられるし、ただの疲れではないメタ的な読み方もできるし、puzzleなので作為も感じられるけど。花見に対して「どこも似たような桜じゃないか」みたいなのが斜に構えた見方として好きでした。
71. 志
水番の裏切りかたを教へけり
偏れる海水帽の名前かな
稲妻にきらはれてゐるのつぽかな
種採のとるべき種の聞けずをり
あるほどのとろろをかけて食ひにけり
雪吊の志なくつられをり
話すことなくさかしまに独楽まはす
なまはげに噛まれてゐたる真顔かな
風船でやんすと視野に入れてくる
春風に絡まれてゐるも取りあはず
若林哲哉:引っかかるところや「これはどういうことだろう」と悩むところもなく読める句だなという風に思っています。その上で注目した句としては、五句目ですね。〈あるほどのとろろをかけて食ひにけり〉。「あるほどの」というところがですね、とろろですよね。こう、いっぱい擂ったんだと思うんですけど、そのありったけのとろろをかけてご飯をたらふく食べましたと言っている。その潔さが面白かったです。
で、一句目〈水番の裏切りかたを教へけり〉とか、二句目〈偏れる海水帽の名前かな〉とかって、いずれも面白いと思うんですけど、真顔で冗談を言えるタイプの面白さだと思ってたんですよ。面白いこと言いますよっていう顔をして面白いことを言うんじゃなくて、そんな素振りはないけれども、サラッと面白いことをつぶやくっていう面白さ。そういうところに魅力を感じました。
反対に、例えば三句目の〈稲妻にきらはれてゐるのつぽかな〉の「のつぽかな」のあたりは、ちょっと面白いことを言おうとしすぎかなという感じがしました。九句目の〈風船でやんすと視野に入れてくる〉の「風船でやんす」のあたりの言葉の運びとか、割とオーソドックスな句作りで、抑制をした上での諧謔みたいなところを描ける一方で、ここが面白いぞっていう素振りがやっぱり作為として見えてしまったところには若干物足りなさを感じたかなと思いました。
あとは、表題句の〈雪吊の志なくつられをり〉なんですけど、眼目はやっぱり「志なく」で、そこを面白いと取るかどうかなんですけど、個人的にはあまり乗れないのかなという風に思いました。つまり、雪吊自体に志がないのは割と所与なのではないかとも思っているところがあって、それをあえて言い直したところにどのくらい新しさがあるかなと疑問に思っている次第です。
黒岩徳将:ものを見るときのずらしで面白がるという方法にウェイトをかなり置いている作品です。分かりやすいのは〈水番の裏切りかたを教へけり〉ですよね。対象をどう裏切るかということがこの後の九句にも響いてくるんですけど、一生懸命水番をしている人をどうやって出し抜くかみたいなことを面白がっていますね。
それは結構事柄的なんだが、〈偏れる海水帽の名前かな〉とかはもうちょっと物に即して、スイミングキャップがよく見える明るい色かなというところも、季語の風景の周りが伝わってきました。どうなんでしょうね。〈あるほどのとろろをかけて食ひにけり〉が、ひょっとしたら夏目漱石の〈あるほどの菊投入れよ棺の中〉 のパロディみたいな感じでめっちゃ面白くしちゃったのかな。そうするとやりすぎ、面白すぎかなという気がしたりしましたね。
〈雪吊の志なくつられをり〉は、岸本尚毅さんの〈がんばつてゐる噴水の機械かな〉の逆で、雪吊ってむしろめちゃ頑張ってる存在なんじゃないかという気もするから、それを逆手に取ったのかと思うと、雪吊をもうちょっとよいしょしてもいいんじゃないかという気もしたんですよ。物の見方が逆に行くぞ、というところで成立してる句だとは思いますが。
なので、全体のトーンとして若林さんもおっしゃったように、面白がり方が分かりやすいということと、アイディアを一個ずらすということに腐心しすぎて、それ以外の味わいがやや薄いかなというところが惜しい感じはしましたが、トーンが揃ってるので結構十句読みやすいという魅力がありました。
木田智美:私が気になったのが、同じような「〜けり」の句とか「〜かな」とか、全体的に俳句の作り方というか形が似てる句が多いかなと思って。「かな」の句があるのはいいんですけど、「かな」の次にもう一個「かな」が来ちゃったら続いてるなって思っちゃうので、真横に配置せずに移動させるっていうか。似たような作り方の句が並んでしまったのが気になったとは思いますね。
言ってる内容とかは結構面白いとは思うんですけど、さっきも黒岩さんが言ってくださったように、逆のことを言って面白がるっていうのは大喜利みたいな感じで、大喜利の一番最初のやり方みたいな感じで、面白いっていうのは分かるんですけど。〈稲妻にきらはれてゐるのつぽかな〉とかも、稲妻って高いところに落ちるからっていう理屈になってしまってるかなって。それの逆を言ってるのかなという感じがしてしまいましたね。
〈なまはげに噛まれてゐたる真顔かな〉の句とかも面白いんですけど、「真顔」っていう逆を言うことで満足しちゃってるというか。もうちょっと面白い方向に行きたいんであれば、もっと行ってほしいかなとは思いましたね。
でも、さっき若林さんが言ってくれたように、〈あるほどのとろろをかけて食ひにけり〉は、話聞いて面白いなと思って。「あるほどの」やから、もう全部すってもう手がかゆくなりながら、全部かけて食べたって、ご飯よりもとろろの方が多いんちゃうかっていうくらい全部かけて食べたんやなっていうのがすごい分かるので、その勢いとかも伝わってきて、これは面白いかなと思ったので、この面白さの句とかももっと見たいなとは思います。で、〈風船でやんすと視野に入れてくる〉は、「やんす」って何?「やんす」っていうキャラクター?
浅川芳直:昔のアニメに出てくるような。
木田智美:「風船でやんす」って言って……いや、これは面白いなと思ってたんですけど、イナズマイレブンの栗松鉄平みたいな、あの後輩のディフェンスの子かな?あの子を私は思い浮かべて。で、これは、風船をこう持って見せてくるヤツがおるっていうので、これは結構面白いんじゃないかなとは思いました。
暮田真名:全体的に好きです。全部表情が一緒というか、人間だけじゃなくて、雪吊ですら、すべてのものがこの人の手にかかると、金太郎飴みたいに同じ顔になる感じがして。お調子者なんだと思うんですよ、わざわざ「やんす」って言っているし。でも、いえーいっていうタイプのお調子者ではないっていうか。〈あるほどの〉は名句の風格がありますよね。何か元ネタがあるのか、と思ったり。〈稲妻〉は避雷針みたいに高いところに落ちるから、のっぽは稲妻に打たれて当たり前なのに、打たれてなくてすごい、っていう句なんでしょうか。
若林哲哉:僕はそう読んでいました。俳句の評価とは関係ないところですが、僕も身長が高い方なので、「のっぽかな」に勝手に傷ついていました……(笑)
暮田真名:変ですよね、のっぽと言ったって木みたいに高いわけじゃないんだからって思うし。変な句だなと思いますけど、この人に季語を入力したら全部こういうのが出力されるんだろうな、この十句にとどまる話ではないなという感じがして、好感を持ちました。
黒岩徳将:なかなかこんなことできる人いませんからね。
暮田真名:トーンが揃ってるって黒岩さんおっしゃってたけど、そうなんですよね。十句読んだときにすごい気持ちがいいんですよね。
浅川芳直:全然悪い印象はなくて、僕の中では評価が右上がりに上がっていってます。一番気になったのは、一句一句読むといいんだけど、全体として読むと事柄を詠んでいる句が多すぎるような気はしたんですね、モノの存在感で押すというよりは。〈種採のとるべき種の聞けずをり〉もそうだし、〈あるほどのとろろをかけて食ひにけり〉もこれは○をつけてるんですけど、やっぱりそういうことがありましたという句ではあるので、ちょっと十句の中で事柄に終始した句が多いのかなと。コトに執着することは悪いとは思われないんだけど、十句通してみたときにおしゃべりな印象は受けてしまうかなと思いました。
で、〈雪吊の志なくつられをり〉の雪吊は、東北民としてはね、「2月頃雪吊を見に来てください」と言いたくなるんですけど(笑)。とはいえですね、多分作者の言いたい世界観というのはこの表題句にあるんだと思うんです。雪吊って多くの場合は本来の用途は関係なくただの装飾になってるので。そういう人間のやることなすこと、歳時記の世界にある行事というものに対して、哀れみの目線じゃないですけれども、無常観のようなものを見出して〈志なくつられをり〉と言っている。この世界観がおそらく作者の言いたいことであって、〈風船でやんすと視野に入れてくる〉とか〈偏れる海水帽の名前かな〉とかっていうのは、どっちかというとアクセントとして入ってるのかなという印象を持ちました。
面白いと思った句は皆さんとだいぶかぶってるんですけど、今まで出てないのだと〈春風に絡まれてゐるも取りあはず〉というこのリズムいいなと思いましたね。中八ですね、「絡まれてゐるも」。変拍子で定型のリズム感にうまく乗っている。煽っている感じがします。〈風船でやんすと視野に入れてくる〉はウケを狙いに来てますね。読者に対するサービス精神と、私は本当はこういう世界観で攻めたいんだっていうものと、バランスを考えて取り組んでくださった、そんな印象を持っておりました。
暮田真名:事柄が多いっていうのは、俳句だと事柄以外に何があるんでしょう?「物」と「事柄」という区別があるんですか?
黒岩徳将:そうですね。物の存在感や手触り・質感自体が一句の主題になりうるという判断をする人は、こういう71番みたいな句作りよりも表現を抑制し、言いたいことを言わないですね。
暮田真名:事柄っていうのはこの作品みたいに人間がなんかしてるみたいな?
黒岩徳将:まあ「物」よりも「状況」っていう感じですね。
暮田真名:確かに、この十句からは物を一切感じなかったです。雪吊というものですら何か擬人化されている。それもすごいと思いました。
浅川芳直:人間が強く出てるんですよね。この中では〈偏れる海水帽の名前かな〉とかは僕は物が出てると思いましたが。だから十句の中で事柄が……コト俳句がダメだとは思わないですけど、これだけコトで押すというのは、木田さんが「けり」が多すぎるとおっしゃった形の問題にも繋がるのかなと思いました。一句一句で見てるといいんですけど、全体として見たときにどうか、という。〈なまはげに噛まれてゐたる真顔かな〉は「真顔」って体言に「かな」をつけてますけど、まあ事柄ですよね、これもね。
暮田真名:書かれていることが面白いって、俳句においては、あんまりいいことじゃないと思っていたんです。「エッセイで書いたらいいじゃん」みたいになってしまうから。でも、これは書いてあることが面白くて、かつ、俳句としても読んでいて面白いと感じました。
浅川芳直:切れ字の力があるんじゃないですか。
黒岩徳将:臨場感や空気感を「コト」を詠んだ俳句で出せているというのは、切れ字や、言葉どうしの間合いだったりが影響しているのかもしれません。浅川さんほど乗れないのは「コト」の魅力は「モノ」よりも後ろに下がる、選考委員としてのそもそもの価値観を塗り潰してこないという感じはしました。
浅川芳直:おしゃべりな感じがどうしてもあるんですよ。だからこれ予選で残さなかったんだけど。
黒岩徳将:でも上がってきたってことですね。
浅川芳直:そうです。十句で見たときは気になるけれど、一句一句見たときには面白い。最後に残ってたら嬉しいかなくらいの気持ちがあります。5選に残してないのに無責任なことを言ってますが(笑)。
黒岩徳将:揃う力が強いですよね。最後のグランプリを決めるときに軸としてみんなどう考えてるか。
若林哲哉:やっぱりここまでの連作の話でも、面白がってほしいポイントが分かりすぎていることは美点とは受け取れないみたいな話はしていて。じゃあどこまでをあからさまな作為と取ってどこからを評価できる作為と取るのかみたいなこともやっぱり軸として一つありますし。僕が一つ思うのは、物か事かどっちかというよりは、物でも事でもいいんだけど、やっぱりその人にしか作れないニュアンスがあればいいなと思っていて。この71番「志」にもそれを感じなくはないのだが、正直グランプリに推したいほどのそういうニュアンスがあるかと言われると……揃ってはいますねという印象です。他方、「十句全部うまいですね」みたいになるかと言われると、それよりも若干落ちるかなという気がします。全部平均点以上ですねともちょっと言い難い。
暮田真名:既視感があるということですか?
若林哲哉:既視感もありますね。例えば〈種採のとるべき種の聞けずをり〉とかは正直、作例がありそうだなと思いますし。僕が「雪吊に志がないのは所与なんじゃないか」みたいな話をしたんですけど、僕も金沢の出身なので、雪国育ちの実感としては「まあ雪吊に志はあるものだろう」「雪吊の意味はちゃんとあるんだぞ」とも思っている。一方で、名古屋に引っ越してきてからは、名古屋って雪があまり降らないんですけれど、日本庭園とかだとちゃんと雪吊をしているんです。ですから、景観としての雪吊があることも分かる。しかし、どっちで読んでも、やはり「志なく」という措辞に乗れないなと思っているところがあるんですよ。それを、浅川さんの言う無常観として納得しきれないところが正直ありますね。
浅川芳直:いやあ、そうそう。だから僕、雪吊の句自体には△つけてるんです。で、△つけてるんだけど、この人の世界観というか、作品全体のテーマとしてはめこむと、水番の句も、海水帽の句もそういう世界観の下で読めるし、ノッポの句も読めるんじゃないかと思うんです。種採の句も読める。〈あるほどのとろろをかけて食ひにけり〉。自然薯摺ってご飯にかけるっていうのは何よりのご馳走なわけですけれども、まあ所詮は、「あるほど」と言ってもね、ごちそうと言ってもね、という斜めからの見方がやっぱり感じられて。だからスパイスとして〈風船でやんすと視野に入れてくる〉みたいなものが効いてきているというか。そういう十句としての構成の工夫っていうのは買いたいなという気持ちがしてきておりました。なんで五編に選んでないのにこんなに熱烈に応援してるんだろう(笑)。
若林哲哉:でもそれが予選の結果を開けずに議論することのメリットなので。
浅川芳直:選んでる人にもっと熱烈に褒めてほしい(笑)。
暮田真名:この人に季語を入力したらこういう句が出てくるっていう、マシンみたいなものが見えるんですけど、そのマシンってこの人が発明したものじゃないんじゃないかな、っていう気はする。そのマシンはすでにあって、それをこの人が使っているんじゃないか。発明ではないけど、上手な使い手ではあるんだろうという感じがします。
浅川芳直:〈種採〉の句とかそうですよね。
若林哲哉:それで言うと、やっぱり岸本尚毅さんの『小』とかを思い出すところがあって。滑稽味みたいなところですよね、逆のことを言って面白さを取りに行くみたいなのはいわゆる諧謔の手法に近いと思うんですけど、発明ではないというところは確かにあると。
暮田真名:この作品は私が取ったんですけど、私の好きな俳人が岸本尚毅なんです。あと、初めて読んだ俳句の句集が北大路翼の『天使の涎』なんですけど、『インビトロ』を取ったのは私なんですよ。自分の好みに素直すぎました(笑)。
若林哲哉:あ、もしかして僕どっちも見抜いちゃってます?
暮田真名:言われる名前を聞いて、「私の俳句読書歴の中にあるわ」みたいな感じでした。すごい。岸本さんの〈がんばつてゐる噴水の機械かな〉っていうのを聞くと、確かに「そっちがいいよね」という感じはします。
72. 覗きこむ
蟷螂の生れしばらく抱きあへる
ががんぼの絡まりさうに飛んでをり
凌霄や工場の灯のごんと点く
象帰る檻に背高泡立草
まちがひの満ち満ちてゐる柘榴かな
長き夜の電子レンジを覗きこむ
名をつけるやうに流燈そつと押す
雨をとこ晴れをとこゐる芋煮かな
掃きゆけば釘も出てきて虎落笛
我少し古くなりたる嚔かな
暮田真名:選んでいないけど、〈蟷螂の生れしばらく抱きあへる〉があまりにも感動的で、本当にこの句だけで泣きそうになるというか、なんでこんなにいいんだろうという感動があって、全体的にもすごく良いと思いました。最後の句〈我少し古くなりたる嚔かな〉もいいと思うし。なんで選ばなかったのかっていうと、〈雨をとこ晴れをとこゐる芋煮かな〉とか〈まちがひの満ち満ちてゐる柘榴かな〉というのは惜しいと感じたのか。でも、良い句の良さがあまりにも際立っていて、なんでこんなにいいのか。選んでくれてありがとう、って思った感じです。
浅川芳直:暮田さんが惜しいといった二句は僕もペケをつけていまして、〈まちがひの満ち満ちてゐる柘榴かな〉、これは柘榴に対して柘榴の中身っていうのはおどろおどろしい感じありますからね。それが落ちて割れてどうこうって句はあるじゃないですか。しかも「間違い」と言って抽象的に言ってるんでね、もっと具体的に言ってほしかったなっていうのはありますかね。それから〈雨をとこ晴れをとこゐる芋煮かな〉。これ吟行して芋煮やるとこういう句出てくるんですよ。
で、いいところは僕はたくさん丸をつけてるんですが、それは若林さんにうんと褒めていただいてから、また僕も褒めようと思います(笑)。
若林哲哉:すごい話の振り方しますね(笑)。いや、それで行くとちょっと申し訳ないんですけど、僕はこれは五編にも残してないですし、五編の候補にも実は残ってないんです。というのは、印象としては71番とやっぱり近くて、平明だなという印象がまず一つあります。平明であること自体は別に減点するということではなくて、平明な中でも独自の世界が広がっていれば良いんじゃないかなと思ったのですが、暮田さんに真っ向から反論するようで申し訳ないんですけど、〈蟷螂の生れしばらく抱きあへる〉はあえて感動的に書いているという句なんですよね。そしてカマキリはやはり昆虫の中では異形の存在なので、そういったものの誕生においても肯定があるという、その喜びに満ちている、そういう感動ではあるんだけれども……
浅川芳直:違うよ、この後共食いするんだよ! それに対してですよ。
若林哲哉:……という読み方もありますね。
暮田真名:カマキリの卵って泡みたいですよね。そこから、いっぱい生まれますよね。「抱き合う」は本来一対一で使われるものだけど、この句では、もう何百というカマキリがいて、「抱き合う」の意味が拡張されているんですよ。
浅川芳直:しがみつき合っているのが、次第に共食いでちっちゃな鎌で捕まえて食いはじめる。その過程を「抱き合う」と言ってるのかと思った。
暮田真名:ええーー。
若林哲哉:「しばらく」の後の様子を想像させるところはありつつ、この句ではそこまでは書いてなくて。もちろんあくまでも暮田さんが言ってる景を描いてるんじゃないかなと思いました。で、改めてなぜこの句に乗れないかという話をすると、割と蟷螂という存在に生まれてきた、泡のような卵からたくさん生まれてくる、通常なら忌み嫌われるかもしれない誕生にも祝福があるというのは結構典型的なんじゃないかなと思っているところはあって。しかし、暮田さんがおっしゃるように、本来〈抱き合へる〉っていうのは一対一で、でもたくさんあったものが抱き合ってるように受け止められるのは、僕にはなかった視点だなと。
暮田真名:アニメとかで、最後一体化するみたいなのがあるじゃないですか。
若林哲哉:エヴァンゲリオンみたいな。
暮田真名:本当は抱き合っていなくて、ただいっぱい生まれてきただけなのに、それを「抱き合っている」と書かれると、泣ける。
浅川芳直:運命共同体みたいな感じで連なっている。それはある意味抱き合ってるのだと。僕としては、一つになるっていうのは共食いなので、切ない。
暮田真名:これから頑張っていこうぜ、みたいな書き方じゃなくて、ただそう見える、っていう。
若林哲哉:〈蟷螂の生れ〉までで切れている可能性もありますね。蟷螂の誕生を眼差している周りの人間が抱き合っている……
暮田真名:いっぱいのカマキリがいい。
浅川芳直:人だったらちょっと嫌だ。
若林哲哉:まあでも、次が〈ががんぼの絡まりさうに飛んでをり〉で「ががんぼ」の一物仕立ての句なので、おそらく蟷螂の句も一物なんでしょうね。
浅川芳直:「生れ」で切れてたらなかなか気持ち悪い句ですよ。
暮田真名:それは気持ち悪すぎる(笑)。
浅川芳直:いや、でもそういう読み方あり得ると思いました、なるほど。
若林哲哉:あえてこの場ではそっちの読み筋は取らないということで。蟷螂に限らず生命の寿ぎみたいなところに落ち着いちゃってるんじゃないかなという印象がありました。良いなと思った句で言うと、〈凌霄や工場の灯のごんと点く〉の句。「ごんと」が面白いと思いました。〈まちがひ〉と〈雨をとこ〉は浅川さんと同じ意見であまり取れなくて、意外と面白かったのが〈掃きゆけば釘も出てきて虎落笛〉。どこからどう掃いてきてどこから釘が出てきたのかと思わせますが、唐突さがリアルで面白いなと思いました。
浅川芳直:この流れで言うと、僕若林さんと丸つけてるのが同じなんですよ。〈掃きゆけば釘も出てきて虎落笛〉と〈凌霄や工場の灯のごんと点く〉というのが僕二重丸で取って印つけてるんです。〈掃きゆけば〉は特にすごく好きで、二重丸の方でもかなり上の方でした。〈凌霄や〉から行きますかね。僕月に一度刑務所で句会やってるんですけど、こういう景色はありそうなんですよね。凌霄の花って工場の殺伐とした環境では夕方薄暗くなってもすごく目立つでしょう、たぶん。その「ごんと点く」という「ごん」が面白いという風に若林さんもおっしゃってましたが、やっぱり照明の古い、LEDじゃなくて古い蛍光灯みたいな雰囲気が出ている。で、凌霄の花の色の毒々しいというか赤々と咲いている感じが、工場で労働する方の生き様に対して、うまく寄り添っているような「や」という詠嘆でもあり。すごくうまいな、いいなと思いました。
それから〈掃きゆけば釘も出てきて虎落笛〉。本当にいい句というのはどこがどういいって言いにくいという風に僕は思っていて、これはそういう句な気がしました。工場の句があるから場面を想像しやすいのかなと思いましたけれどもね、釘の金属の冷たい質感と寒風のヒューヒューという冷たさが曰く言い難い関係性を取り結んでいて、俳句として良質なポエジーを生んでいる気がいたします。
それから他にも印がついているのが〈ががんぼの絡まりさうに飛んでをり〉。ガガンボなんだけど、そんなわけないんだけど、ちょっと色気を感じて惹かれました。
最後の〈我少し古くなりたる嚔かな〉というのも何かありそうなんですけれども、表題が「覗きこむ」という句でありまして、これは電子レンジを覗き込んでたわけですな、自分自身のことも覗き直すというか、自分を見る視点があって最後連作を収めたというのが表題の「覗きこむ」と呼応している印象がありました。
木田智美:この作品予選に選んでなくて、決め手がなかったなと思うんですけど、いい句も結構あって〈凌霄や〉の「ごんと」の擬音。ノウゼンカズラのオレンジの花と、工場の灯の色がいい。『ライチ☆光クラブ』みたいなイメージです。あれは廃工場ですけど。ちょっと古い感じ。これは景色とかも立ち上がってくるかな。〈象帰る檻に背高泡立草〉は、象が檻に帰る?「檻に象帰る」やったらまだ象が外におるって分かるんですけど、「檻に」の助詞の使い方ですかね、そこが疑問でしたかね。
表題の〈長き夜の電子レンジを覗きこむ〉も、「長き夜」で電子レンジ覗き込むのはあんまり工夫がないかなと思って。あとは〈ががんぼの絡まりさうに飛んでをり〉も一物で作ってるというのはすごくて、私はあんまり一物ができないので、挑戦しているところはいいんですけど、ガガンボの見た目で足が長いからや、と思ってそのままかなとは思いましたね。
〈雨をとこ晴れをとこゐる芋煮かな〉も、雨男のあと晴れ男って続くのもなんか想像ついてしまうかなって。あんまし裏切りがないのかなと思って、全然違う晴れ男じゃなくてなんか変なヤツ出てきた方がおもろいかなとか思って、裏切りが欲しかったかなとは思いますね。
〈掃きゆけば釘も出てきて虎落笛〉は、「掃きゆけば」であとどうなんの?と思わせておいて、「釘も」やから多分他にも釘以外のものとかも鍵とかテレホンカードとかいろいろ出てきたんやろうなっていうのが想像できたりして、虎落笛で季語で着地して、一句としてすごい推せるなとは思って、〈掃きゆけば〉とか〈凌霄や〉のこのぐらいの句がもうちょっとあったらよかったかなとは思います。そんな感じですかね。
黒岩徳将:付け加えることがあんまりないなと納得しながら聞いていましたが、自分にとってはまとまりが良くていいなという句と、当たり前なんじゃないかという句の凸凹がやや激しかったかなという感じがしましたね。〈蟷螂の生れしばらく抱きあへる〉の議論もどっちも分かるなという感じでしたが、僕も大量に生まれているカマキリのカオス感に「抱きあへる」を選んで言葉で示したことのちょっとした変な見方、屈折感が奇妙で面白いという風にして肯定的にとってます。
〈ががんぼの絡まりさうに飛んでをり〉も一物で足長いの当たり前なんだけど、他に何もない空間で「絡まりさう」というのは結構面白いんじゃないかなというので、これも期待が持てるという感じで、前半結構いい連作だなと思ったんですが。〈象帰る檻に背高泡立草〉は、僕が位置関係というよりかは、動物園を見て吟行したときに困って作る句としてはあるあるだなという。他に読みたいものがなかったから状況描写を複写して自分の把握が足りずに終わった感じがしましたね。自分もそういう動物園に行ったら失敗作として作ってしまいそうだなという気がします。
浅川芳直:「象が帰る」の句はあまりリアリティを感じませんでしたが。
黒岩徳将:一回檻から出て水浴びとか体がでて帰っていくのは動物園とか見てたら……。
若林哲哉:それを書くなら「戻る」だと思いますし、「帰る」はもう少し長く開けていたときに使う表現かなと思います。
浅川芳直:象さんが戻る寝床ってまあ檻っちゃ檻なんだけど、屋内が多い気がするんですよ。まあ屋外であったとしても、檻の中の背高泡立草放置するかなあ。
若林哲哉:屋外だろうと屋内だろうと「檻『に』背高泡立草」と書くと、通常は檻の中の意味、あるいは檻にほど近いところの意味になりますよね。
浅川芳直:うーん。
若林哲哉:リアリティの問題の一つに「帰る」という言葉のチョイスの問題も絡んでくると。
黒岩徳将:それよりも結構大きい傷だと思ったのは、〈長き夜の電子レンジを覗きこむ〉の表題句が生活の中でしてしまいそうな描写すぎるかなという気がして、ここで大きくマイナスが出てしまったかなという感じ。読みやすく調べも良くて共感も持てるんだけど、はみ出して尖ってるところが薄かった。
浅川芳直:生活の中で読んでもいいのでは。工場、仕事も生活の一部でしょうし。
暮田真名:〈まちがひの満ち満ちてゐる柘榴かな〉と〈蟷螂の生れしばらく抱きあへる〉は全く同じ回路から出てきている気がして。カマキリは感動がすべて、カマキリとは無関係に、見ている人の心の中で起こっているというのが、すごく良かった。柘榴も、柘榴とは関係なく、見ている人が「まちがひ」と思っているだけというのが、これはすごく良くない方向に働いていて、不思議です。
木田智美:カマキリがそもそも生まれるのが夏ってことなんですかね?
若林哲哉:「蟷螂生る」とかですね。
木田智美:なるほど。「生まれしばらく抱きあへる」が景色としてほんまかなっていう、嘘でもいいんですけど、情景としてはよく分からなかった。私、最初はカマキリが生まれたのを見て、人間同士が抱き合ってんのかなと思って「あ、生まれた!」って(笑)。
浅川芳直:虫好きのひとびと(笑)。
木田智美:いや、それは変やなと思うんですけど、景色が分からなかったところはありますね。
暮田真名:大嘘を書いて、〈柘榴〉に関しては失敗しているし、私はカマキリはすごく成功していると感じた。
木田智美:あとは〈名をつけるやうに流燈そつと押す〉とかも、これもいいんじゃないかなと思いますね。議論にはあがってなかったですけど。
浅川芳直:それも良かったと思います。「名をつける」が良かったですよね、でもつけないんだよね、「やうに」だから。
木田智美:あ、そっか、実際にはつけてないっていうことですかね?
浅川芳直:流燈ですからね、亡くなった方の魂がもう乗ってるんだろうから、それにことさらに名前をつけるというのはおかしいんだけれども、そういうことを分かってて、流燈そのものの質感に名前をつけてあげたいと思っているのかなと思いました。
木田智美:季語はじゃあこれ動かないですもんね。
しかも最後の〈我少し古くなりたる嚔かな〉の句とかも、この十句の流れで見たら最後の句としてはいいんじゃないかなとは思うんですけど、多分一句だけで見たら取らへんかなとは思いますね。
俳句チャレンジ選考会録(Day 2)
82. 輪郭
椎若葉眉ゆたかなる龍の像
緩やかに交はる古墳今朝の夏
絨毯を裸足片足づつ撫づる
木から木へ機織るやうに雀かな
太陽に朝より向かふ蜘蛛の腹
髪洗ふ鏡に泡の飛沫かな
街灯に窓の輪郭露涼し
行田タワー潜める蓮の蕾あり
明王の横を流るる岩清水
打水を銀の柵まで迎へたり
浅川芳直:まあ、すごく控えめな詠みぶりの作品であると思いました。素直すぎるところもあるのですけれども、可能性を感じさせる詠みぶりだと思います。真っ直ぐと言いますか。かちっとしているけれど、古臭さはなくて、自分の感覚で作っている。作品としては、身近な土地を詠んでいるというところで、全体のトーンを揃えられたのかなと思いました。
丸は結構ついていまして。一句目の〈椎若葉眉ゆたかなる龍の像〉っていうのはしっかりできているのではないかなと思いました。若葉と龍の像っていうのはあるような取り合わせかなとも思ったんですけど、一句目としてはふさわしい句だったように思います。椎若葉は、若葉の中でも特にこう、みずみずしい感じがしますから、〈ゆたかなる〉っていうのは「まさにまさに」と思いました。
で、その次の〈緩やかに交はる古墳今朝の夏〉っていうのも、古墳がたくさんある土地でそれは日常の景色なんでしょうが、一日しかない立夏の今日だから、古墳に対する印象も今日は違うっていうような感じ。俳句的といえば俳句的かもしれない。手慣れているといえば手慣れている気もしましたけれど。
それからその次の〈絨毯を裸足片足づつ撫づる〉、身体感覚に即して詠まれていて、人が見えてくるなあと思いました。おっかなびっくり絨毯に足を下ろす感じですね。靴下履かないで絨毯の上を歩かなきゃいけない、こりゃ緊張する、という気持ちもありますかね。
マイナスの方を言うと、その後の〈木から木へ機織るやうに雀かな〉は手慣れているというか、俳句形式に夢中であることのマイナス面が少し出ているような気はいたしましたが。〈明王の横を流るる岩清水〉の「流るる」はちょっと饒舌かなあ。瞬発力で作れる方だと思うんですが、少し時間をかけてこだわって吟行していただくと、この方にしかできない岩清水を摑めそうかなと。
あと、最後の〈打水を銀の柵まで迎へたり〉っていうのは結構面白がって読んでいまして。「迎へたり」の前で主語がねじれている。てにをはとしてはわがまま。打ち水をしている人がいて、で、自分がいる方の土地とか柵まで水が掛かっている。それが気持ちいいので、この人は柵まで打水を感じに行った、見に行った、挨拶しに行った。つまり「迎へ」に行った。中七までは水撒く他人が主語、下五は私が主語でしょう。主語がねじれている感じが、時間・空間を広げているようで面白いなと思いました。打水を(する人がいて、水が)銀の柵まで(かかっていて、私はそれを)迎へたり、という。読者としては打ち水している人の気持ちになりながら、それを見ている人になって追体験するという奥行きがあるかなぁと。
というわけで、全体として安定感がある、しかしそれだけではなく、自分に正直で、どこか光るものがあるという評でございます。
暮田真名:硬派な作品だと思って読みました。好きな句は〈髪洗ふ鏡に泡の飛沫かな〉とか〈絨毯を裸足片足づつ撫づる〉とか。なんか分かるなあ、夏を感じるなあ、と思って好きでしたね。私から見ると、とにかく上手くて、欠点を指摘できる感じではないのですが、「上手いなあ、硬派だなあ」で終わってしまったところはあるかもしれません。
黒岩徳将:題の「輪郭」っていうのは合ってるなあと思いまして、ものの輪郭、自分の存在の輪郭、空気感の輪郭みたいなのが丁寧に伝わってくるところがある。作品として興味深かったです。
古墳の句を浅川さんがあげてくださったのも、その地域性、自分の住んでいるところの近くをちゃんと残していきたいみたいな意志も感じられました。なんでかというと〈行田タワー潜める蓮の蕾あり〉、これは足袋の街で有名な埼玉県行田のことを言っているのかなと想像しましたが、蓮が有名なのでちょっとご当地感もあり、そこの一句を起点に山間の雰囲気が分かる句が良かったなあという風に思います。〈椎若葉眉ゆたかなる龍の像〉は注目しました。気持ちの良い作品で、ちゃんと何の若葉なのかを言ったところが特に良かったと思います。
皆さんがおっしゃる通り、致命的な疑問点はあんまりない一方で、僕は〈髪洗ふ鏡に泡の飛沫かな〉は目の前のところを切り取ろうとしすぎて洗髪の光景としてはあるのかなということで、驚きが少なかったかなと。だから、この〈髪洗ふ〉の句と〈明王〉の句が小さなバツというか、惜しいかなという感じで。〈打水を銀の柵まで迎へたり〉は、僕は浅川さんが言ってたねじれ的なところが入ってこなくてですね。打ち水の人をっていう関与的比喩なのかどうかも最初分からなくてですね。迎えるっていう見立てが邪魔している表現が、この句の可読性を邪魔してるかなっていうので、ややもったいないかなという気がしました。
でも全体的に空気の澄んでいるというか、心地よい空気のマイナスイオンが漂う感じが良かったです。
木田智美:全体的にちゃんと外に出て吟行をしてる、想像で作った句じゃなくて、現地に季語があって、その人の家から近いところなのかもしれないですけど、その人がすごい楽しんで外に出ている様子っていうのが出てて、すごい好感が持てる十句だったかなとは思います。
一句目いいですよね。眉っていう、龍の髭とか爪とか尻尾とかじゃなくて、眉に着目してるところとかは結構面白いのかなと思いました。で、椎若葉ってあることで、龍は多分色はついてないけど、龍自体にも緑色の色が移ってきてるような感じがして、光の加減とかも龍に光が当たってたりとかして神々しい感じとかも出てるかなと思います。これはお寺とかの、手洗うところあるじゃないですか。柄杓のやつの……
浅川芳直:手水(ちょうず)?
木田智美:そう、手水があるところのお寺とか神社、そういうところに行った吟行句みたいにも見えるので、ほんまにこういう景色があるんやろうなっていうので、結構素直に詠まれているのかなとは思いました。
〈古墳〉の句も、古墳が交わるやから、今朝の夏やからまだそこまで夏真っ盛りではないとは思うんですけど、それでもやっぱり季節は進んでて、まだそこまで多分この作者もすごい暑い中出かけたくはなかったのか、爽やかな時期に外に出てるっていうのが伝わってきて、全体的に爽やかな感じの句やなと思います。
で、〈絨毯を裸足片足づつ撫づる〉の句は、絨毯が冬の季語やなーとか。あと〈木から木へ機織るやうに雀かな〉も、スズメだけやったら季語にならへんなとか、その辺で引っかかってしまったところはあるかなとは思いますね。この一句としてはできているとは思うんですけど、夏の鳥の季語とかでも良かったかなあとは思います。〈太陽に朝より向かふ蜘蛛の腹〉はよく分からなかった。他の方の読みとかも聞きたいですね。
浅川芳直:まあ、朝の時間から巣を張ってた、太陽にお腹が向いてるってことかなあと思いましたが。 〈朝より〉がちょっとね。
黒岩徳将:朝っぱらからみたいな意味かな。
浅川芳直:まあ、この句はそんなに……でした。
木田智美:あー、蜘蛛が巣を作ってるみたいな感じ。〈朝より向ふ〉……
浅川芳直:「より」がこなれないですよね。
木田智美:引っかかる感じはありますかね。
黒岩徳将:たどたどしいかもしれない。
木田智美:あとは〈髪洗ふ鏡に泡の飛沫かな〉も、髪洗うから連想しちゃうかなっていうのがあるので。これもお風呂場に鏡があってっていう、分かるかなっていう、髪洗うの中に含まれているかなとは思いますね。
で、あと〈行田タワー潜める蓮の蕾あり〉も、私、行田タワーっていうのは検索して知ったんですけど、行田タワーで調べたら蓮の写真とか出てきて、蓮が有名なところやっていうのは分かったんですけど、これもそこの、この作者の方が吟行行った句として詠んだら、もう素直に詠めてるけど、これも写真で見たネット上にある写真、結構そのままの感じかなと思って。あんまり工夫としてはないのかなと思ってしまいましたね。
全体的には、夏に外に出て、今のこの時期だと外に出るっていうのはもうしんどいんですけど、なんかこう爽やかな夏っていうのを描けてるかなとは思いました。
若林哲哉:皆さんの発言に同意していて、あまり付け足すことはないのですけれども、すべての応募作の傾向としては、いわゆる流行の言葉を使うとか、「抒情」の句が多く、その中で、この82番「輪郭」は抒情というよりは叙事や叙景に興味がある作者だなあという風に思いました。つまり、世界の動きをこのように私が受け止めたということを言うことに興味があるのではなくて、世界とはこういう風に存在しているという風に、そちらを描くことの方に興味があるんだなと思います。「輪郭」という題は作風にとても合っていて、事物の輪郭をなぞる、存在の感触を確かめる志向。黒岩さんも似たようなことをおっしゃってたと思うんですけれど、それは十句全体の傾向として感じます。
注目した句はいくつかあるのですが、率直に感想を言うと、丸はつくが二重丸はつかないというラインの句が多いかなと思っております。〈絨毯を裸足片足づつ撫づる〉は注目していて、足の先という体の一部をもって絨毯の輪郭を確かめるというか、質感・足触りを確かめているという、そういう句だと思うんですけれども。こういうのは良い句だなと思いつつ。例えば既出ですけれども、〈髪洗ふ鏡に泡の飛沫かな〉というのは、やはり「髪洗ふ」という季語からの連想が強いかなと。描き方として分かるんだけれども、新しい手触りではないかなという感じはしますね。
〈行田タワー潜める蓮の蕾あり〉に対しても、一つの世界は成立しているのだけれども、やはり地名のイメージに留まるところがあって、それも新しい輪郭とは言い難いのかなと。同時に、じゃあ輪郭をどこまで描けているのかなと考えると、〈緩やかに交はる古墳今朝の夏〉の「緩やかに交はる」とかは、果たして作者が捉えた輪郭をそのまま伝えてくれる表現なのだろうかと。「緩やかに交わる」とはどういう景を描いているのかというのは、実は一意に定まらないんじゃないかなとか。「朝より向ふ」の「より」の話もそうですし、あとは〈打水を銀の柵まで迎へたり〉のこのねじれの感じとか。輪郭を捉えたいという志向は感じつつ、でも輪郭が曖昧になっているところがあって、それが意図として曖昧に描いているというよりは、意図しないところで齟齬を来たしているという印象があって。丸はつくが二重丸はつかないというタイプの句群だと思いました。
浅川芳直:僕はこの作品も抒情があると思いましたが。〈木から木へ機織るやうに雀かな〉っていうのは、むしろすごく流れている、情に流れているような気がしましたけれどもね。〈機織るやうに〉っていう言い方が、その言葉の持っている情感に引っ張られちゃっているような印象があり。だから〈明王の横を流るる岩清水〉とかも僕としてはマイナスにはなっていたんですが。
ただ、景を正確に捉えるっていうよりは、俳句という詩形が持つ、どこか懐かしい線の描き方に、気分とか高揚感とかがちゃんと乗ってると思います。まあだから目新しさは確かにない、驚くところもあんまりないけれども、その代わりにこの句群には懐かしさという情感があるんじゃないかというのが、僕の推薦の弁でございます。
若林哲哉:抒情の話をしたんですけど、僕は割と「抒情」という言葉に対しては潔癖というか、抒情というときの「情」とは何なんだ?みたいなことを、おそらく結構過激に考えている方で。いわゆる心理学でいうところの認知と感情をごっちゃにして抒情にしてないかっていうところはすごく気にするところもあります。〈機織るやうに〉みたいな句を僕があまり抒情だと受け取れないのは、これは感情ではなくて受け止め方の問題だからって思ってるところがある。世界をそう認知しました、受け止めましたという話であって、それによって作者の気持ちがどう動いたかまでは書いてない。もちろん想像して読むこともできるけれど、でも、この句については、その感情までを読み取ってほしいという詠み振りではないようにも思います。
浅川芳直:僕の世界観ではもう世界がすでに情的であって、天地有情だと思っているのですが。感情っていうのは決して個人の中に閉じ込められたものではない……。
若林哲哉:そうですね。個人の中にある「情」じゃなくて、世界の方の情を引き出しているという点において、この句は僕の分類だと抒情に該当しないっていう、そういう話ですね。抒情というのは、個人の感情が表出したり、世界を描くときにそれが滲み出たりするものだと思うので。この十句は、やっぱり個人の感情を述べているのではなくて、世界の話をしているっていう。だから良い悪いではなくて、そういう特徴だと捉えてますっていう話です。
浅川芳直:過激なこというと、うれしいとか悲しいとかの感情って世界からの刺激情報なんじゃないかとさえ思っておりまして。人は何か原因があって感情的になるので。自分独自の感情なんて無いんじゃないかという(笑)
黒岩徳将:ボーダーラインの定義で、例えばこういう句が抒情的なのかどうかが分かれるのは面白いというか、お二人のどちらが言ってることも、新しい俳句の捉え方とか鑑賞の仕方として有効だと思うから非常に興味深いんだが、128編の中で言うと、これが叙景的な方に分類され、そういうおとなしく淡々と世界を記述していくタイプの句が少なかったから、逆に目立っているという状況だと思います。
若林哲哉:相対的には、叙事や叙景だと思います。
浅川芳直:応募作の相対的な整理としては……。はい。
黒岩徳将:精密だったり細密だったりする描写力を磨き上げることがこの人のこれからの望ましい方向性なのかは分からないよね。むしろ、ふわっとした感じのまま良い句が生まれるかもしれないなみたいなことを浅川君の話を聞いて思いました。
浅川芳直:うん、あんまり細かく書き込んだら、それは細密画になってしまって、デッサン、素描ではない。一筆書きを目指してほしいです。
あ、〈髪洗ふ〉の句、僕は「しぶき(飛沫)」って読んでたんですけど「ひまつ」ですかね?
暮田真名:なんか俳句だとこれ(漢字表記)をこう読むんだ、みたいなのが数回発生している気がして。これ、俳句だと「しぶき」って読むこともあるんですか?なんか『澄めない』の〈祭でて影も失くしたやうな黙〉でも思いました。「もだ」っていう言葉が俳句にはあるんだな、みたいな。
黒岩徳将:「飛沫(しぶき)」って聞くことの方が多いです。
若林哲哉:「滝しぶき」みたいに季語とくっついたフレーズもあって、こう書いて「しぶき」っていうのは、一つの俳句的な読み方としてやっぱりあるかもしれない。
83. 菓子にて摂り
春やアパホテル遠くにゐても見え
焦げてくるポワソン・ダブリルの背鰭
喘息のけはひありたる桃の花
雲雀野の隅に如雨露や横倒し
見開けば声は菜の花までとどく
函数や魚のかほが夏のそれ
説教のゆつくり分かる茂かな
目が赤い六月の藻の揺れやまず
ゆふぐれあめんぼ足らぬ亜鉛を菓子にて摂り
我といふ幼虫ところてん啜る
黒岩徳将:悩ましい作品で、読み切れた感じがしないですね。理由はいろいろあるんですけど、まあ分かりやすく悩んだ句は、タイトル句の〈ゆふぐれあめんぼ足らぬ亜鉛を菓子にて摂り〉ですね。亜鉛も栄養素で考えたときに、お菓子で摂りました、と。体に対しての意識、と「ゆふぐれあめんぼ」のひねりがめちゃくちゃ大きい。あと〈函数や魚のかほが夏のそれ〉の、夏らしい魚の顔になったということを七五調にするのと、数学の概念を結びつけることの着地点が見えない。どう読むのが一番楽しいのか分からないまま迷路に連れて行かれまくる句群で、ちょっと苦しかったです。季語とかモチーフとか、それをそのまま素材として味わえるというのは一句もないという感じがします。〈焦げてくるポワソン・ダブリルの背鰭〉は虚のイメージ、フィクションを織り交ぜているのか、とか。〈アパホテル〉の句も皮肉的に見えているかもしれないな、っていうのが僕の限界です。
木田智美:たしかに面白いなって思った句もあるんですけど、連作で、メッセージというか、ストーリーというか、そこが伝わってこないところがあるかなと。〈ポワソン・ダブリル〉とかはフランスでエイプリルフールで食べるお菓子で、グレーテルのかまどで見たことあるやつやと思って。〈焦げてくる〉やから、焦げやすい生地だし、背鰭って言ったのも工夫としてはあんまりないのかなって思ったり。〈見開けば〉とか〈魚のかほ〉がふんわりした感じの路線で揃えたいのは分かるんですけど、ぼんやりしすぎなのかなと。
〈見開けば〉っていうのも、どういう声?ってなって、私の読みが浅いかもしれないんですけど、読み切れないところがありましたかね。〈ゆふぐれあめんぼ〉はこの十句の中で一番工夫している句だと思うので。なんかこれはイメージとしては、畑とか田んぼとかが残ってる地域で、都会っぽいけど残ってて、最近無印が栄養摂れるバームクーヘン出してきたんだけど、そういう流行りが出てきて、そういうお菓子を食べながら家に帰ってるみたいな。これは結構いいんじゃないかな。好きでしたね。
暮田真名:けっこう最後まで残るくらい好きで、一番好きなのは〈説教〉の句でした。〈ゆつくり分かる〉の度合いで分かるというか、子供のときに聞いたのが大人になると分かるみたいな感じだとあまり良くなくて、普通に外で怒られてると思って。でも連作全体のトーンからすると外で怒られるような年齢ではなさそうな気もする。連作の中で見るとやや教条的かもしれない。説教って即座に分かることが求められるものだと思うので、その中で〈ゆつくり分かる〉というのが自分本位さがあって好きでした。
全体的にモチーフが膨張している感じがありますよね。春のぶわーっと生き物が出てくる感じとか。〈ポワソン・ダブリル〉でポワソンは魚で、〈桃の花〉もふわふわしている。物の輪郭がぶよぶよしているというか。そこが好きでしたね。半透明でぶよぶよしている感じ。〈ところてん〉も透明ですし。おしゃれで、好きな連作でしたね。でも〈見開けば〉とか〈我といふ〉とか、良くない句もあるとは思います。
浅川芳直:ものの見えたる光をつかもうとしてるというより、言葉のパッションで作ってるっていうのかなって感じはあるんですが、不思議な読後感があります。難しい句がたくさんあるんだけれども、作者にとって「これは」というものを省略、単純化した結果の分かりづらさという風でもない。どんな作り方をされているのか興味が湧く作品で、みなさんの読み方を聞いてみたいという気持ちでした。
僕なりに共鳴していける句は、たとえば〈目が赤い六月の藻の揺れやまず〉ですかね。なんとなく眼が赤いというイメージと藻の重たいイメージが、六月も重たいイメージとして感じるものがありました。
若林哲哉:僕はシンプルな言葉になっちゃうかもですけど、不条理性がこの連作の面白味であり、意図されているところではないかなと。どの連作にも言えることなんですけど、何を描いているかということを考えているときに、何を描かないかということも考えないといけないと思うんです。作者が描きたいから描くということもあれば、描きたくないものも描いていることももちろんあると思うんです。実際、描きたいか描きたくないかは読者の方では推測するしかないんですけど。
不条理性と言いましたけど、一つこう、喉のところに魚の小骨が引っかかっているような。自分という主体かもしれないし、自分じゃない主体かもしれないんですけど、主体がこのように存在して、それぞれ眼差しているものが違和として見えてきたりとか、もっというと自分がそこに存在することに対する違和みたいなものがほんのり滲むかなという風に思ったんですよね。それが一番良く表れているのが表題の〈ゆふぐれあめんぼ〉の句。有り体に言えばグミサプリのことだと思うんですけど、薬でもなく食事でもなくお菓子でもあるという。予選を終えてから選考会までに、岩田奎さんの第二句集『敵』を読んでいたんですけど。そこに〈春の雨いのちちぢめの飯を食ふ〉っていう句があって。命縮めてるなって思いながらご飯を食べる。グミサプリみたいな栄養食とか、あるいは二郎系ラーメンみたいなものもそうですかね。そういう主題みたいなものがあるんじゃないかなと。薬でもなく飯でもなくお菓子だけど、栄養のために食べるという、現代的な屈折。自分でも実は意味がよく分からないじゃないですか。なんで菓子食ってんだろう、みたいな。そこの内的な不条理性みたいなものがあって、それがこう外界に及んだときに〈函数や〉みたいな表出が……
浅川芳直:〈ゆふぐれ〉の句は今の話でかなりクリアになってきたんですが、対象が外界に及んだときに〈函数や〉みたいな取り合わせになるメカニズムが繋がらないんです。
若林哲哉:数学なので、ざっくりと言えば世の中を説明するために存在する学問体系であると。すべてを包摂する論理で外界を捉えられる瞬間、それによって解き明かされることもあれば、無論、訳の分からなさもある訳ですよ。
浅川芳直:函数は分かるんですが、〈夏のそれ〉の「それ」って 鳥の顔ってことですか。
若林哲哉:夏っぽい顔になってる。ちょっとずらして書いているんです、指示語を使うことで。
黒岩徳将:テクニックポイントだね。数学の理を示す概念の言葉は函数以外にもあるけど、函数っていう概念を提示するか見せられるものはある気がします。
浅川芳直:函数関係というのは、初期値を入れるとこういう値が返ってくる、ということですよね。上五で切れているわけではなくて、魚の顔と季節は俺の感覚では対応関係にあるのだ、函数とはそういうものである、みたいなことかなあ。
若林哲哉:そういう読み方もありえますし、例えば、函数という概念自体、世の中の事物の輪郭を描き出せる概念だと思っていて。グラフ上だと、函数を上手く組み合わせたらいろいろ描ける。どちらにせよ、魚の顔の夏らしい輪郭というものがある。それがやっぱり不条理っぽく見えるのが、「函数や」という書き出し。デウス・エクス・マキナ感があるっていうか、「はい、どーん」ってすべてに当てはめる感じが不条理なのかなあと。それも一種のわけの分からない面白さと思いました。
暮田真名:〈説教〉は昔の説教だとあまり良くないと言いましたが、別にそれでもいいかもって思ってきました。幼虫っていうのも、なんか一句のインパクト狙いで使うのはちょっと、と思ったけど、意味は分かりますよね。ここから成長します、っていうか。前向きな感じもして。
若林哲哉:グレゴール・ザムザ感。
暮田真名:幼虫って、毛虫というか、ぶよぶよの方だと思った。関節のある足ではない。甲虫の幼虫みたいなイメージでした。
若林哲哉:確かに、「ところてん」だからそういうイメージかもしれない。
暮田真名:この連作全体がやっぱりぶよぶよしているので、この幼虫もぶよぶよしている気がします。不条理に関しては、行田タワーの連作(82.輪郭)よりは観念的っていうのは分かるけれど、特別すごく不条理だとも思わなくて。〈函数や〉って言葉は知らなかったですが。
浅川芳直:少なくとも代数幾何で鳥の顔も描画できる、という句とは読めないかな。
暮田真名:エクセルの関数ではないですよね。
黒岩徳将:数学の方かな。自分はけっこう最初はお手上げになったが、膨張的なモチーフというのと不条理性みたいなものを感じたり、人間は合理的な存在ではないという話を聞いて、味わい方が分かってきて。自分が持ってない定規教えてくれて測ることができて嬉しいですね。これは過去の俳句のコード(文脈)との接続がどれほどあるのかが難しかった。ちょっと分かった気もします。
浅川芳直:俳句って人間が合理的な生き物ではないっていうことが分かる文芸ではあると思いますよ。世界の不条理さっていうのは物の道具的意味を剝ぎ取った存在感に現れている。それを見つめるのが写生ですからね。他方、物に対して人間が意味を与えることで世界は構造をもって立ち現れるわけですが、物に意味を与える個々の人間さんの方は、世界の中に存在する意味を本来どうやら持っていないようで、まじ悲しい、っていうのが20世紀中葉に大流行した実存主義というか。俳句の写生というのはモノから意味の衣を剝いで世界を新たに語り直すというところがあるわけで、そういう意味では、不条理は俳句に即しているはずだろうと。ただそれが〈函数や〉の言い切りまで行くと、いくらなんでも、っていう。〈函数や〉は本来世界を合理的に見るものだと思うので。最初の何句かのテンションで言ってくれたら、もう少し僕にもとりつく島があったかもしれません。
黒岩徳将:この句から合理的な感じがしなかったのはなぜなのだろう。
浅川芳直:切れのせいですかねえ、それは。自分こそがこのカオスな世界に意味を与えていくんだという態度が、この〈函数や〉の句に出てるんじゃないかなって話しながら思いましたけど、その意味付け自体はまるで理性的ではない。
黒岩徳将:〈函数や〉を概念として使ったときに、特殊な意味性というのが出ると思います。
若林哲哉:多少はあると思いますね。
暮田真名:〈目が赤い〉の眼は人の目ですか?
若林哲哉:そこは断定的に書いてないからどう読んでもいいんじゃないでしょうか。
暮田真名:〈目が赤い〉とか〈見開けば〉とか、ここは手放しすぎな感じがしちゃったかな、函数とかより。
黒岩徳将:何がどうしているのか、もっと明らかにしてほしくはあります。
暮田真名:他は意外とそういう作りになってるんじゃないかな。この二句の書き方が他と違った難しさになってるっていうか。〈見開けば〉は佐藤文香さんの句集を思い浮かべました。佐藤さんっぽくは全くないけど。
若林哲哉:僕は普段「こうでないといけない」という読解をなるべくしないようにしようと思っていて。所属している「南風」の村上鞆彦先生も「目の前の作品が一番幸せだと思う読み方をしなさい、その上で評価を決めなさい」とおっしゃっていたことがあります。ただ、僕の悪い癖としてそれが出てる可能性もあります(笑)。なんか規範やルールどうこう、俳句がどうこうとかじゃなくて、普通に「へえ、おもしれー」って読んでるところはある。
黒岩徳将:その姿勢って現代俳句を開く姿勢としてめちゃくちゃ面白いし、そこから感じられるものが山ほどあるが、でも一方で「これは良くないよね」っていうマイナスの評価のものさしも選考委員はみんな持っています。その折り合いをどうするか。
若林哲哉:マイナスの評価のものさしは僕の中にももちろん存在していて、全体的には、この連作は面白いと思ってるんですけど、気になるところもあります。〈雲雀野〉の句は形になっているし、如雨露が横倒しにされているところに不条理性があるのだが、逆に言うと〈雲雀野〉でないといけない必然性がどこにあるのかなとか。十句連作のテーマを評価しているんだけれど細かい表現を見ていくと、もちろん議論の余地はあるかなという印象です。盲目的にすべての作品にイエスマンになるということではないです。
黒岩徳将:他の予選通過作品は系譜を感じたけれど、この作品だけ結びつけるのが難しかったんだが、独創性はあるのかなと。
浅川芳直:個別の句についてばっかり喋ってきましたけど、全体の構成についても触れておきませんか?
若林哲哉:読んでみるとどうなりますか?
黒岩徳将:広々とした光景とか田舎っぽい感じがあるとか、〈アパホテル〉は浮いているかなあと思ったんですよね。
暮田真名:〈アパホテル〉のほうは俗に寄せている感じがありますし、全体的に働いている人なのか? みたいなことを、〈亜鉛〉で思ったりしました。〈ポワソン・ダブリル〉は音がぽわぽわして面白い、楽しさで読めますけど。十句の流れかあ。〈見開けば〉とかはやっぱり傷に見えてしまう。相聞とまではいかないですけど、他者への気持ちを感じる。他の句の、一人でいる感じと違う感じがしますかね。
浅川芳直:〈我といふ幼虫〉はけっこう連作を締めるという意識で置かれているのかなと思いまして。よく練られていると思いました。短歌の方だと連作の最後に日常詠を置くみたいなパターンがはまる印象がうっすらとありますが、個人的には、そこからさらに展開していくような句で納める手もあったのかなとか。それこそ〈ゆふぐれあめんぼ〉で締めるとか。
木田智美:最初の二句は勢いがあるというか、一句目も結構五七五の形もこうあえて崩している感じで。アパホテル、外に出て「春やなあ」っていう。語順も実感をそのまま読んでいる感じがして、〈アパホテル遠くに見えて春〉とかだったら落ち着きすぎなんかなと思って。〈ポワソン・ダブリル〉は近いんじゃないかなって言ったんですけど、でもこの句はこの句で、他にも無いと思うので、これはこれで可愛らしい感じ。〈ポワソン・ダブリル〉をエイプリルフールとして使ってたりとか、挑戦的な句かなと。この二句はいい感じかなと思って、三句目から勢いが落ちるかな。どういう路線で行きたいのかなというか、三句目から八句目が五七五で作っていて、きゅっと収まってる感じがするので。それは悪いというわけではないんだけど、どっちの路線で行きたいのかなと。
〈ゆふぐれあめんぼ〉を私は推してます。これは〈ゆふぐれあめんぼ〉は面白いし、あめんぼと亜鉛をで韻を踏んでるところもステルス韻として面白いなと思ったので。〈ところてん〉は惜しいなと思って、ここで勢いが落ちちゃうというか。もっと面白い感じの工夫した句も作れる人だと思うので、どっちの路線で行くのかを十句連作で定めてもらえたらいいかなと思いました。あと如雨露って夏の季語じゃないんですね、〈雲雀野〉なんですね。
若林哲哉:「如雨露」を季語とみなすかは、歳時記によりけり。
木田智美:使われてない如雨露が横倒しになってるってことだから、まあ雲雀野がメインになるんですかね。
87. 鱗
戸を開けて始発待つバス青葉風
ハンカチや天使を睫毛白く縫う
封筒に一塗りの糊扇風機
玉葱のことこと臍の固さかな
汗だくやケバブのように回る地球
鎌拭いて次の筍あるところ
いつまでも湯呑に麦茶ある気配
黴びかけの物差しぐっと線を引く
夏芝に乳房置きたる牛の夜
お湯三分金魚の鱗膿んでいて
暮田真名:これは最初読んだときは切なくて好きかもと思ったんですけど、読んでるうちに、うーん、って感じがしてきて、コメントが難しい。〈ハンカチ〉は好きかもと思ったんですけど、中七・下五をかなり細かく切っていて、〈天使を〉をどう読めばいいのか。一意に定まるような句じゃないですよね。イメージとしては瞬きによって天使の刺繍みたいなものを紡ぐ、みたいな映像かなって、頑張ったら読めるけど。それでいいのかどうか分からなくて、他の方の鑑賞を聞きたいです。
若林哲哉:〈ハンカチ〉の句は言葉通りに読めば「天使を睫毛白く縫う」なので、天使というのは刺繍とかではなくて夢想している天使なのかなと思いました。「睫毛白く縫う」のところなんですけど、これは自分の睫毛と読んでいます。その天使に抱かれるような中で、自分のまぶたが閉ざされる。睫毛と睫毛を合わせて眼を閉じています、というところを、「白く縫う」と書いて見せたのかなと。逐語的に読むとそういう解釈になるのかなと思います。全体的には、〈ハンカチ〉の句の描写は攪乱されているところがあるけれど、それ以外の句については言葉以上に何かを描こう、言葉になっていないところを見せようというタイプではなく、五七五の世界で完結しているような句群かなという風に思いました。五七五の世界を五七五の中に収めるっていうのは結構難しくて。短い言葉の中に言葉と言葉をくっつけて入れると、化学反応じゃないですけど、言葉になってない部分が意図しない形で見え隠れしてたり。逆にそこに対しても自覚的になって、そこまで削ぎ落とすような抑制が効かせられるというところ、技術として高いんじゃないかなと。
〈鎌拭いて〉の句は、筍を採って、次の筍があるところに行きました、というだけなんですけど、とても実感があるという感じがしました。〈お湯三分〉の句も、カップラーメンを作っていて、すぐそこに水槽があって、膿んだ金魚の鱗が見える。全体としても世界が過不足なく描かれている句群かなと思います。〈湯呑〉の句は「気配」という語で、景色が曖昧になっていると感じました。〈玉葱〉の句、玉葱って、根元の部分ですべてくっつけてる部分が存在するじゃないですか。玉ねぎを丸ごと煮たときとかの、その硬い部分が残っているって言いたいのかなと思いつつ、「臍」でよいのか?とは思います。「臍」というと、人間に引き寄せた比喩になるのではと。細かい表現をもう少し気に掛けられるのではないかなと思いました。
浅川芳直:けっこう評価してるんですが、褒めるところが若林さんと違って、〈お湯三分〉は逆の評価で△なんです。十句を見ていて、作品全体の統一感は最初と最後だと思うんで。最後がお湯三分、金魚の鱗か、という構成で読後感が損したんじゃないかなと。一句目〈戸を開けて始発待つバス青葉風〉が好きでした。バスを待ってるんじゃなくて、始発のバス自身が動き出すのを待つ。意外と詠まれてないんじゃないかなと思って引き込まれました。
二重丸つけているのが〈夏芝に乳房置きたる牛の夜〉です。夜という時間空間の広やかさの中に、ほっとして屈んで牛が乳房を置く。乳房は象徴的な体のパーツだと思うので、いろんな質感が想像されてきます。夏芝のむんとした世界。匂い。牛の獣の匂い、夜の匂い。みんな命に関わるイメージです。その情報が濃厚に統合されている。この十句の中で白眉だと思いました。〈封筒に一塗りの糊扇風機〉は上手いんだけど、「なんとかに一つ」というのは俳句のツボ的ですね。ぱっと〈箸置に一刷毛の波夏座敷/西山睦〉が思いつくんですが。そんなところで、実力も魅力もある作品と評価しています。
若林哲哉:補足しておくと、お湯三分の句については褒めるというところまでは言ってはいない。こういう句だよねという特徴を言ったという感じです。〈鎌拭いて〉についてもこういう句だよね、っていう感じです。
暮田真名:〈お湯三分〉はカップ麺のことだと思うんですけど、金魚が怪我していることと近すぎると感じました。お湯が、金魚にとって害になるものすぎるかなと。
黒岩徳将:みんなが辛めに評価しているところは練り切れてない、あるいは頑張った方向性が勇み足だった、というのも分かります。〈お湯三分〉で人間のカップ麺のことを言って切れを使って視線を転換して金魚の方を言って、でも読後感は金魚の方が残る。カップラーメンの雰囲気が置いてけぼり感があるのが惜しいという気もします。あと僕が一番もったいないと思ったのは〈汗だく〉は地球の気候変動のところをひっかけて、意味性が強すぎたのが惜しかった。
ただ、他の句が、余白が少なくてもそのわずかな余白を丁寧に感じられる魅力が強くあります。〈戸を開けて〉の句、バスの扉が開いてガラガラな感じがとても気持ちいいし、〈ハンカチ〉も言葉が若干バタついていて読みにくいのはあるかもしれませんが、実は僕は三重丸をつけてます。縫い物としてハンカチの生地に天使の絵柄が縫ってあって、生地は白じゃなくて違う色だから、天使全体を白で縫っているんだけど、睫毛も白く塗っている、叙景句として詠んだんですけど。「天使が白いだけじゃなくて、睫毛も白なんや!」っていうので大感動です。
〈封筒〉の句も、ぺらぺらの封筒の封をする部分が風にそよそよと当たってまだ糊をしてない質感が感じられるところが好きでした。〈黴びかけ〉の句も、そういえば定規もカビるよな、という意外と言われてない把握も魅力的です。〈牛の夜〉の締め方はスマートではない気はしますが、ポテンシャルがとても高いなと思いました。
浅川芳直:僕は黒岩さんの熱烈な推薦で右肩上がりになってますよ。〈ハンカチ〉は刺繍かなと思ってたんですけど、黒岩さんに『そうか、天使の睫毛は白かったんや!』って言われると、『はーっ!』って思いました。そういう意味で最後の候補に残ってもいいという気持ちになってます。
若林哲哉:黒岩さんの読みだと「天使を」ではなくて「天使の」の方がいいのでは?
黒岩徳将:拙いとは思うんですけど、「私が天使のモチーフの絵を睫毛の部分も含めて白く縫う」と読みました。〈天使の睫毛白く縫う〉の方が分かりやすいと思います。
若林哲哉:「天使を白く縫う」っていうのがあって、「睫毛」が挿入されているっていう風に読めば、成り立たなくもないけれど、同じ景で書くなら描写の方法が結構いろいろあると思いますし、これが作品として提示されたときに、比較的採られづらい読み筋に乗っている感じはして、書かれているものを書かれた通りに読むという視点で言えば、やはりもう少しよい書き方があったと思います。
黒岩徳将:私は若干都合の良い読みをしていると思います。
浅川芳直:チャリタブル(charitable/寛大)な読みっていうのは、さっきの黒岩さんみたいな読み方だと思っている。俳句ならではの言い方・把握をした結果どうなってるかって仮定で読みたくて、無理な助詞の使い方は俳句ならではと思ったので、俳句にとって黒岩さんの読みはいいんじゃないかなと思いました。
暮田真名:黒岩さんの読みだと、天使はハンカチの刺繍なわけですよね。そして、睫毛の部分まで分かるくらい鮮明な刺繍である必要がある。それだけハンカチが大きい必要があるんだ、と思ってしまいます。ハンカチが常識的なサイズだとして、睫毛の部分が白いっていうのはちょっと苦しいかな。睫毛が白いというためには、瞳は青かったり黒かったり、差別化されている必要があって、そんな刺繍がないだろうという感じがするんですけど。
黒岩徳将:最後の部分だけ反対したくて、全部白い睫毛も白い天使もおってもええんちゃう、っていう。
暮田真名:瞳も白いってことですか?
黒岩徳将:目は塗りつぶされておらず、白い睫毛がちょんちょんって縫われている可能性が残されているという読みです。
浅川芳直:薄いピンクとか青のハンカチに、全部白い糸で縫ってるのかと思いました。
黒岩徳将:眉毛じゃなくて「睫毛」が細かくて無理って言われたら苦しいんだけど。でも毛っていうのを白い刺繍で縫っているところを見せつけられて、『毛って黒じゃなくて白なんや!すご!』ってアハ体験をしちゃうんですね。
暮田真名:柄じゃないとしたら、この天使はめちゃくちゃ唐突になるので、柄であってほしいという気持ちがあります。柄だと思うんですよね、この連作のトーンからすると。
若林哲哉:この句、最初はあえて逐語的に読んだんですけど、前後の句のトーンも踏まえて好意的に読めば、「そういうことが言いたいんだよね」ということは分かります。おそらく、僕が言っている「句が一番幸せな読みをする」ということと、浅川さんのチャリタブルな読みというのは違うんですけど。その上で、だったらもっといい書き方もあったのではないかなと思いました。〈ハンカチや〉と、上五で切って、でも、一物仕立てで作る方法、そういう技術的なパラダイムがある分、もうちょっと中七下五書き込めたんじゃないかなと思いました。
黒岩徳将:表現技術力が追いついてないんじゃないかという指摘は分かりました。
若林哲哉:使おうとしている技術があって、実践が追いついていないっていう。
黒岩徳将:まだチャレンジしている。
浅川芳直:まああんまり自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとして、手札のように使い出されると、それはそれでごつごつした魅力が失せていくと思いますが。
若林哲哉:だとしたらこの人はこの方向性で書いていいんですか、みたいな話にもなりますね。
浅川芳直:技術で上手くまとめようとしたら生々しいものが薄れちゃう、というくらいのことで。あと、82の「輪郭」で〈打水を銀の柵まで迎へたり〉のねじれに注目したと申し上げたんですが、僕は、主述の関係がねじれたりとか、多少わがままな省略もあるんだということを蓬田紀枝子から盗んでやってきたわけですけど、やっぱり分かってもらえないことが多い。つまりこういうのもあるんだっていう政治闘争なんです(笑)
黒岩徳将:全部が全部一義的に定まるような、内容と書き方とぴったんこな句が必ずしもいいわけではない。
暮田真名:睫毛が白いっていう感動を、この〈を〉が損なってきませんか?
黒岩徳将:若干損なっています。しかし余りある魅力がある。一番大事なことは上手に書くことではないので、私はOKっていう気持ちでいます。
浅川芳直:みんながこれを書き方として真似し出したら困るけれど。結果としてこういう書き方をしちゃうのは仕方ないところはあるのかと。
黒岩徳将:十句だったら別にこの句じゃなくても気になるって言われる。でもものすごく面白い俳句をもっと書いてくれそうな作者だなと期待してました。
木田智美:私は議論を聞く前はあんまり作品全体に決め手がないというか、この十句作品を一推しではないという感じでしたけど。今の話を聞いて、〈バス〉の句は、風とかよくある句だと最初は思ったんですけれど、人間が乗ってるんじゃなくてバスを擬人化しているというか、バスが始発を待ってるところに好感が持てます。この人がそのバスに乗るつもりがなくても、その横を通ったときの気持ちの良さみたいなのがあります。「始発待つバス青葉風」の言葉のリズムの気分も良いと思いました。
議論にあがってる〈ハンカチ〉の句もモチーフの選び方、言葉自体は好きな方やったんですけど、語順が問題かなと思って。〈や〉のあとに〈を〉がくるから、どっちも強いからどっちがメインで言いたいのか分からないなと思って。〈ハンカチや〉を言いたいのかもしれへんけど、睫毛だけにしぼったほうがいいのかなと思って。あと睫毛やから、眼を閉じているイラストみたいなのを思って、眼は開いてないんじゃないかなと思いました。
暮田真名:今の話を聞いて、〈天使〉全体が白いんじゃなくて、宗教画みたいに天使はいろいろな色の糸で縫われていて、睫毛だけが白い糸だ、というハンカチだったら、この助詞でも読める気がしてきました。そんなハンカチ、非現実的ではあるとは思いますけれど。
木田智美:やっぱり語順はすっと入ってくる方がいいかなとは思いますね。睫毛だけが白いって言っちゃったほうが個人的にいいかな。〈封筒〉もさっと読めてしまって、シンプルにつくってあるけど、この句も声に出したときに気持ちが良いですね。糊って青い色がついていて、乾いたら透明な色になるものがあって、扇風機も透明な青い色のイメージがあるので、結構爽やかな感じなのかなと思いました。会社でつかうような窓付きの封筒って水色の爽やかな封筒があって。そういうものをイメージしたりとか。話を聞いたら、いいんじゃないかなと思えた句がいろいろありました。
〈黴びかけの物差し〉の句とかも、カビかけているけれど、このものさしを使い続けるだろうな、という意志を感じられたりとか。〈牛の夜〉とかも、最後に下五に置いているけれど。途中までは牛乳パックの絵柄みたいな感じで、朝とか昼とかの情景かと思ったら、最後の夜に意外性があって、情景が広がっていく感じがありました。もったいないのが〈ケバブ〉の句……ケバブ回ってるしなぁ、そりゃ地球回るよなぁと思いました。惜しい句はあるけれど、〈筍〉の句はシンプルなつくりで、下五は「あるところ」、シンプルだけど動かない感じがする。この人の視点の面白さというか。動作のプロの筍職人……ですかね?でもプロの動きを横について見る感じとか、この句はこの句で十句の中にあってもいいんじゃないかなとは思います。でも一番に推したいというところまではいかへんかなと思いますね。
黒岩徳将:インパクト弱いですかね。
木田智美:うーん。一番のインパクトはないですかね。でもみなさんの話を聞いたら情景とか浮かんできたので。一句一句の面白さはあるし、全体的な印象は変わってきた。黒岩さんが〈ハンカチ〉の句をいうてはって、分かるなぁと思って、この十句の中では気になったんだけど、語順が惜しいなぁというところはありますかね。
暮田真名:右下の隅に白い糸が横にばーっとあって、それが天使に見えるというハンカチではなくて、タオル地みたいに小さな糸がぴよぴよ出ていて、天使の顔が全面に描かれていて、その睫毛が白い、ということなら全然あり得る気がしてきました。それなら、「を」が奇を衒っていないなと思える。「を」が工夫してるっていう読みからは外れますが。
黒岩徳将:この天使の絵がどのように見えるかがこの句の価値を左右するって感じですか?
暮田真名:睫毛の白の感動を助詞が殺してしまうのがもったいないっていうか。ハンカチの右下に天使がいるパターンだった場合、なんかこう、褒められそうな助詞の使い方をしたんですねって思ってしまうんですよね。
木田智美:やっぱり「を」は気になる。「の」にしてスッと読みたい、というのが一番にあります。
若林哲哉:僕も立場変わらず、「を」が気になる。想定に想定を重ねれば、黒岩さんの読みには行き着けるのだけれど。この連作の書きぶりで、想定を重ねる必要が生じること自体が瑕なんじゃないかなと。
暮田真名:それは間違いなくそうですね。私がこの連作を取れなかった理由は、〈天使〉ではなく〈ケバブ〉なんですけど。
黒岩徳将:僕は細かいところは二の次という立場です。
浅川芳直:僕も同じです。
暮田真名:黒岩さんの感動に迫りたすぎて、いろいろ考えてしまいました。
黒岩徳将:違う読みを提示していただいてとても嬉しいです。俳句において何を求めているかの違いですよね。
99. けど正解
花ミモザ土偶抱きしめると痛い
広告の流れつづける蝌蚪の国
トルソーおはようトルソー抱卵季がきたよ
水道水好きだし落ちたゼリー洗う
これ日焼するよなあ消えようかなあ
蓑虫眠る骨までやわらかい料理
見つけずにいよう胡桃の鍵穴は
角が欲しい冬用のもこもこの角
日脚伸びきって電線あふれていた
ねこやなぎ微妙にちがう、けど正解
木田智美:評価するのが難しい作風ですね。口語でポップな感じでやろうとしているのは分かるんですけど、実際の景色としてはあんまりどういう景を描きたいのかっていうのがあんまり分からないので、この作者の人の空想の世界っていう感じがして。それを楽しめるかどうかっていうところですかね。
二句目の〈広告〉はおたまじゃくしがいるところを描いていて面白い。第19回俳句甲子園で〈孑孑の国を鋭利な雨が打つ/板倉健〉 があったじゃないですか。もしかしたらこういう言い方はあるかもしれないですけど。でも広告っていう言葉で見立てているところとか、向こうのおたまじゃくしサイドからしてみても、人間を見て広告みたいに思われているのかも。逆の立場からしても不思議な世界として見られるんじゃないかなと思ったりとか。書こうとしていることは面白いんですけど、全体的にぼんやりしてるかなと思うので、他の方の読みを聞いてみて、どういう風に読めるのかを聞きたいです。
黒岩徳将:面白いですよね。景が見えてこないのが悩むなあというのが一緒の感想です。からだは大人の体になっているけれども、気持ちが大人の理屈や理性的なものをあまり受け入れなくなったところから逃げたい、という気分が感じられる句がいっぱいありました。
〈トルソー〉は腕がないんだけど、親鳥が雛を温める季節(抱卵季)が来たことで、トルソーは何一つ抱きしめることができない。プラスとマイナスの両方を言っているから分かりやすいかもしれないですが、マイナスのイメージ、何かができないっていうことをポップ風に言う句が多いなという気がしました。景が一番大事じゃなくて、「嫌だな」とか「逃げたいな」という気分が一番言いたいんじゃないかなと。このような連作の気分に乗るのは、個人的に苦手ですが、乗ってみようという気になります。
〈日焼け〉は、日焼けくらいで消えたくなるのが嫌になるのかなあ。ちょっとしたことに対する拒否感の強さみたいなのを感じます。〈冬用のもこもこ〉も、抵抗するツノみたいなのが欲しいっていうのは、全体的な統一感はあるんじゃないかなと。でもこれをやると、季語の最大公約数的な情緒はずっと嫌っていくんだろうなこの人は、という感じがして。古い俳句との接続はもはやない、ということで迷いました。
若林哲哉:黒岩さんが「拒否感」という言葉を出したんですけど、僕もこの作品にはそれと近い印象を持ちました。十句目の〈ねこやなぎ〉の句は、明らかに飲み込むための間が「、」によって表現されている。正解であることと、この人が納得できることが異なるという表明でもあるし、納得できるものと正解がある中で、正解を取ることの拒否感であったり、何か自分が望まないものを取らされることの拒否感みたいなものはあるなと。
〈トルソー〉の句、神野紗希さんの〈トルソー涼し抱き合う腕持たざれば〉という句もあって。そんなトルソーのイメージもありつつ。韻律だけで言うと、「トルソー」が一個多い。それがなくても、音数上は成立する。しかしながら、トルソーに対して二度呼びかける形をとることで、抱くための腕を持たないのだけれど、自分の納得と正解にズレがある私にとっては、むしろトルソーの方に親近感を持つというか、歩み寄っていく心、そういうのはあるんじゃないかと思っていて。これは、トルソーを2回繰り返したことで成功している句じゃないかなと思いました。
〈花ミモザ〉の句、土偶というものは人間の偶像ですよね。人と人とが抱きしめ合うことの痛みを感じる主体像が見えてきます。「古い俳句との接続はない」というのは半分そうですが、神野さんの俳句だったり他の俳句と接続される余地はあると思います。〈角が欲しい〉の句は犬星星人〈十月は額に犀の角が欲し〉を思い出させます。〈日焼け〉の句も主題に拒否感があって。内容に対して乗れる乗れないはあると思うんですけど、この連作の中では結構象徴的な句かなと思っています。「消えようかな」というのが極端なんですよね。日傘も差したし、日焼け止めも塗ったし、でも、こんな汗だくで日焼けしてしまう。自分にとっての望まなさ、「日焼けするよなあ」という諦め、その上での極端さ。言葉だけ取ると極端ですけど、実感はあるのかなという気はします。
引っかかったのは〈見つけずにいよう〉の句。童話的すぎるかなという感じがしました。通じて、内側から滲み出るドロドロとしたところ。ポップで明るい書き方ながら内側から滲み出る何かがある。そういうところが魅力なのかなという風に思いました。
浅川芳直:目を惹く力がありますね。キャッチーだし。世界に対する拒否感は皆さんのお話の通りで、〈日焼け〉の句のひねり方なんかうまいと思います。パッと見に陰鬱さを感じさせないのは、リズム感とか音色とかの工夫でノリを良くしているからかなと。俳句のリズムをビートと捉えて乗っているような。今まで出てきた五七五の崩し方とは違っていて、こういう韻律感覚は強みだなと思いました。
ただ、展開が理屈で説明できてしまう句が多いと感じました。〈水道水好きだし落ちたゼリー洗う〉は、そりゃあ落とした食べ物を洗うのは水道水だろうし、それを先回りして「水道水が好きだから」と合理化してみせているわけなので。
どうなんだろうと思ったのは、〈日脚伸びきって〉という言い方。「日脚伸びきって」だったら、春を通り越して夏至なんじゃないか……
若林哲哉:「日が伸びる」と「日脚が伸びる」はニュアンスが違うんじゃないですかね。「雨」と「雨脚」も違う。「日」が伸び切ったら夏至ですけど、「日脚が伸びきった」はニュアンスが違うんじゃないですか。日が伸びたんじゃなくて、日脚が伸びきった。
浅川芳直:冬が春に近づいて、少しずつ日が長くなることを「日脚伸ぶ」というわけだから。
若林哲哉:「日」というよりも「日脚」という、日が照ってる時間というか、視覚的なイメージのニュアンスが強まるんじゃないですかね。
暮田真名:影は全く関係ないんですね。今調べたら「日の長くなること」って書いてありました。
浅川芳直:ということで、「日脚伸ぶ」を口語にしたかったんだよね、くらいの仕掛けに見えてしまう。「日脚伸びまして」「日脚伸びていた」みたいな言いさしもあったんじゃないかな、とかね。
若林哲哉:この句の発想の出所は「日脚伸ぶ」を口語にしたいからではないんじゃないでしょうか。あったとしても副次的というか。「日脚伸ぶ」は冬から春に移ろう過渡期の季語ですけど、その終わりのところを言いたかったっていうのが先にあるんじゃないかなと。
黒岩徳将:細かい表現で全部バツにするのはもったいないっていう気持ちもあります。
浅川芳直:もちろんそうなんですが、一句だけの問題ではないと思うので。斜めに見ているのをポップに言う、というのをやっているうちに季語を崩す癖がついてるのなら、表現だけの問題ではないかとしれないと。この句の場合は、着崩しのつもりが着崩れちゃっているような印象を持ちました。句数が増えるとまた違った印象になるかもしれませんが。
すみません、マイナス意見を言ってしまいましたが、面白かったのは〈見つけずにいよう胡桃の鍵穴は〉。「なんだそりゃ」と思うんですけど、胡桃を上手に割るポイントってよりは、胡桃の中に何が隠されているのだろう、という童話的な世界観はこの中でほっとします。こういうのは好きだなあ。
若林哲哉:僕は、その句の評価については浅川さんと反対ですね。
黒岩徳将:面白いですね、これは割れるんですよね。言いぶりも、胡桃の鍵穴という見方も。
暮田真名:この作品は明確に私のナンバーワンで、グランプリにならなくても私が抱きしめて帰ろうと思っていたので、みなさん意外と高評価のようで嬉しいです。
〈日焼〉の句に対しては、日焼け止めを塗るとか日傘を差すとか、いろいろなソリューションがある中で、すべてのソリューションが間違っているというか。「消えようかな」っていうのは、日焼けが嫌なのは、白い肌を保ちたいから、あるいは健康に良くないからなのに、消えてしまったら元も子もない。その間違え方の大振りさが良かったです。
〈土偶抱きしめる〉も土偶は抱きしめるものじゃないし、〈落ちたゼリー〉もゼリーが大事なのであって、「水道水好きだし」と言い聞かせながら洗っている時点で、もうゼリーは退いて、水道水のことしか考えられなくなって本末転倒だし。あと〈電線あふれていた〉の句は、電線があふれているっていう言い方をすると、まるで必要じゃないものがあるみたいで。電線がいっぱいあるけれど、どれかはいらなそうっていう。実際はいらない電線ってないと思うし、見えかたがずれている。
〈冬用のもこもこの角〉の、もこもこなのはかわいいからだと思うんですけど。ツノの本来の目的である強さを見せびらかすというのとそんなに遠くないのかなと思いつつも、もこもこのツノと身体の境目が分からなくなって、本来の用途が果たせてないんじゃないかなとか。全部間違っているのに、連作タイトルの「けど正解」を、全部の句の末尾につくくらい、自分に言い聞かせている。間違ったことを続けるしかないというオブセッションを感じるところがとても好きでしたね。
〈くるみ〉は他の句とのつながりで見ると、胡桃の鍵穴を見つけるのが正解っていうわけではないから、他の句と論理の向きが違うのが気になったかなあ。この句が良くないというか、連作全体のトーンと違うなというくらいで、あとは本当に好きとしか言いようがないという感じでした。
黒岩徳将:暮田さんが明確にナンバーワンと言っていたので、後でグランプリにするかも出てくると思うんですけど、今言いたいのは、初日の選考会でも「季語を殺す」みたいな連作があって、季語の季語性が後退化すると、自分の思いが前に出てくるのかな。そこに対して何か俳句のイメージや五感の刺激の多様性が無効化するのが一番いいんだ、というのに対して、季語が楽しいから俳句つくってるところあんねんけどなあ、と警戒心が高まるんですよ。だからこれを胸を張って「好き」と言いづらいところがあって、ちょっと怖いという感じがするんですよ。
浅川芳直:昨日の「季語を殺す」は、季語にもたれないようにする、っていう風に言ったつもりなんですよね。季語にすべての情緒をかぶせるんじゃなくて他の素材と対等にする。季語のモノとしての意外な側面を立ち上がらせて、観念としての季語、つまり規範性を「殺す」。でもこの作品の場合、殺すというような仕方で季語に格闘している風ではない。殺すというより、なんていうのかな、生殺しにしているような。そういう意味では、俳句を拡張するというよりは、別のゲームをやっている感じもしました。
黒岩徳将:季語が嫌いなのかな?と思いました。
若林哲哉:嫌いかどうかは置いておいて、季語の実感がある/ない、季語が好き/嫌いは違うと思っていて。たとえば〈これ日焼するよなあ〉の句は、日焼けが季語ですけど、すごく日差しを顔に受けている感じとかしませんか?暮田さんが仰ったみたいにいろんなソリューションがあって、すでにいろんなソリューションをとっていると思うんですけど、それでも照りつける日差しとか夏の実感というものがあると思うんですよ。そう感じるくらいの日差しを浴びている。〈花ミモザ〉も初春の季語じゃないですか。肌寒い中、黄色い花を咲かせる。土偶という抱きしめると痛いものと、その愛憎みたいなイメージが立ち上がっている。〈ねこやなぎ〉もぽんぽんした穂をたくさんつけますね。無数にある正解があって、無数にある納得があって、その中から選び取っているものが納得じゃなくて、「けど正解」。猫柳の姿形みたいなものがちゃんと踏まえられていると思います。仮に季語が嫌いでも、季語の実感は残せると思いますよ。
浅川芳直:花ミモザは〈土偶を抱きしめる〉という部分への読者の共感を引き出すための道具としてだけ置かれているかなと。
若林哲哉:それで言うと「季語の斡旋とは何なのか」という、この連作に限った議論じゃない気がします。
黒岩徳将:道具的でもいい句はあるかもしれない。これだけに負わせるのはどうなのかなと。
浅川芳直:季語の話をしていくと話は大きくなるわけですが、意図が見えることに無頓着になってしまうと、どうしても作品を読むときの引っかかりにはなってしまう。
黒岩徳将:なんで自分はこの連作を好ましくないと思うのか悩んでいて。季語の問題よりも、自分の内面の気分、意識の表明が多いのが重たいからかもしれません。もっと自分以外のことを言ってほしいという気がしたんだよな。
暮田真名:川柳人が推すのは、俳人にとってネガティブキャンペーンじゃないかと心配しているんです。俳句と川柳が別のものであるという仮定に立つ以上、川柳人が見て素晴らしいというのは、俳句としてはどこかが確実に良くないはずなので。22編の中でナンバーワンというより、あくまでも私が選んだ五編の中でナンバーワンでした、という感じです。
若林哲哉:大事なことだと思うので言うんですけど、僕も5編の中にこれを入れています。ナンバーワンとまでは言わないけれど、僕の中で一、二を争って推せる句群だと思ってました。なので、これをグランプリに推す流れが生まれるのであれば賛同できる。俳句として読んで良いと思いました。
暮田真名:私がこれをグランプリに推すかどうかは、対抗馬によります。
黒岩徳将:ここは現代俳句の世界だし、俳句じゃないとは絶対言いたくなくて、これは一つの新たな潮流を見せる大きな分岐点となる作品としてめちゃくちゃインパクトがある。一方で、浅川さんの「別のゲームをやっている」という表現に代表されるように、これを認めてしまうと、この方向性こそが一番可能性があると言ってしまうようで、それは言いたくない。悩みが大きいです。
若林哲哉:「自分はこれに可能性を感じる」という作品同士、可能性同士の議論をしたいので、一周全部読んでから相談したい。でも黒岩さんの問題意識も分かります。いわゆる規範的な俳句っぽさはない。
黒岩徳将:逆を行きたい、規範を知っていて、そうじゃない俳句っていうのをこの十句で出してきたっていう感じすらする。
浅川芳直:別のことはやっているけれど、逆張りとか反逆ではない気がします。季語と心情を合わせる使い方。ただ、その合わせ方が季語が生き生きする風ではなくて、心情を展開するためのトリガーになっているんじゃないかと。そこからの展開がややワンパターンかな、と思ってしまうんですね。そんな中で、〈見つけずにいよう胡桃の鍵穴は〉は〈胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋/鷹羽狩行〉へのアンサーかな、とか思ったりして「おっ」となったんですが。
木田智美:私も口語で作ってきて挑戦してきて、すごい応援したい気持ちはあったんですけど、同じ口語の句やったら45番を推したいのが強いっていうのがありますね。45番の方が季語の使い方が〈香水〉とかの色とか匂いとかしてくる感じがあったので……
〈トルソー〉も話を聞いてみると理屈でつながってしまうし、トルソーを2回言う必要があるのかと思ってしまったり。〈花ミモザ〉も国際女性デーで贈る花だし、土偶も女性を模しているのが多いし、ちょっと理屈でつながってるところとか。〈水道水〉のゼリーを洗うのも散文的すぎるかなと思ったり、〈角が欲しい〉もイメージだけかなって思ったり。角がもこもこしてるっていう発想は面白いんですけど、冬はもこもこしたものが着たくなるので「角が欲しい」で始まって「角」で終わって同じ言葉を重複しているのも勿体ないかなって。
〈蓑虫〉はまだ議論に出てなかったけど、結構いいんちゃうかなと思って。上手く説明できないですけど、この句は一番ハッピーな感じがする。蓑虫の触感とかは分からないですけど、蓑虫のイメージで、グロテスクですけど蓑虫の骨はどうなってるんやろうとか、どういう料理があるか分からないけど。
浅川芳直:「蓑虫眠る」の季語のイメージから、骨まで煮込んだ料理へつながる句だと思うんですよ。蓑虫は葉っぱにくるまって冬眠しているから、その中まで煮込むような料理っていうイメージで思って読みました。
木田智美:そうなると季語からの想像というか、そこまで飛躍はないっていう感じになっちゃう。〈胡桃〉って割るものだし、鍵穴もそこまで新しさってないんかなって思ってしまいましたかね。やろうとしていること、表現したいことは応援したい気持ちはありつつ、一番には推せないかなと思います。
103. みどり
五月雨や鳥になるなら葉の色に
夏山や羽ばたく鳥の胸飾り
菖蒲湯や筋肉はいまただの肉
眼鏡チエーンしやらら青梅煮詰めけり
冷房や雲めく泡の抹茶ラテ
青林檎へ傾く十代の詩集
草むしる隣の人の名も知らず
Uberのリユツク日陰を縫ひ進む
万緑や交互に足を前へ攻む
自分だと思つて西瓜割つちやえば
若林哲哉:良いと思ったのが〈眼鏡チエーンしやらら青梅煮詰めけり〉や〈Uberのリユツク日陰を縫ひ進む〉。身辺の出来事を見ている中で、誰も見ていないようなところを見ているのが面白いなと思っていて。〈眼鏡チエーン〉は青梅を煮詰めている心の華やぎが「しゃらら」という音に出ているところに注目していますし、〈Uber〉の句はウーバーイーツが他の配達地点を経由したり、いろんな寄り道をしたりすることもあると思うんですけど、そういう実感もある。現代的な素材の扱いも、「縫ひ進む」という動詞のリアリティも面白かったです。言葉以上のものを見せるということにはあまり興味がないという句の作り方だと思うので、
その分、〈五月雨や鳥になるなら葉の色に〉は割と五月雨という季語からの連想が見え透いてしまうところがあったり。〈青林檎へ傾く十代の詩集〉の「青林檎」というところに青春の「青」の字が入ってくるような、分かりやすく読めてしまう句が目立つのかなと。
暮田真名:結構把握が強いというか、〈筋肉〉(菖蒲湯や筋肉はいまだただの肉)や〈日陰〉(Uberのリュック日陰を縫ひ進む)とかがそうかな。〈自分だと〉(自分だと思つて西瓜割つちやえば)も、こう、頭で考えている感じというか。〈眼鏡チエーン〉は実際に景を書いているという感じがして、この中だとこれがいい気がしたんですけど、私は〈スイカわっちゃえば〉に乗れないですね。〈万緑や〉(万緑や交互に足を前へ攻む)の「攻む」はなにかスポーツをしているんですかね?これを読んで何をしているのか分かるような句ですか?っていうのは聞きたかったです。
黒岩徳将:ちょっと足りないと思う一番の理由は、言葉と言葉のスパークによって俳句の余地や比喩的な意味合い、余白の作り方の意識が弱いからで、目の前にあるところを切り取って、若林さんのおっしゃったようなプラスアルファが足りないところが惜しいのかなと。その武器を身につければ、今丁寧に書いていることがもっともっと活きるときがくるんではないかなと思います。
〈眼鏡チエーンしやらら青梅煮詰めけり〉が目立つのは、眼鏡チェーンがおしゃれなアイテムで視覚的に映えるからで、「おっ」と思わせるんだけど、そのギャップみたいなところが全体に散りばめ切れなかったのが惜しかったですね。〈自分だと思つて西瓜割つちやえば〉はあっけらかんとした明るさがあるものの、自分に対する否定の気持ちをスイカ割りに託したという感情の連想が分かりやすすぎるのが惜しい。リズム感は気持ちいいですけど、食い足りないところがあります。〈万緑や交互に足を前へ攻む〉も、歩いているだけなのかスポーツなのか、そこのブレがあることの惜しさですね。「攻む」という能動的な気持ちが万緑のポエジーと掛け合わされて強くなっているとは思うのですが。
木田智美:十句の連作としてはまとまりがあると思ったので。タイトルが「みどり」で、緑色のものを詠んでいるということで、作品を作られてきた、応募してきてくれたというのはすごく感じられました。全体的に爽やかでいい印象の句が多かったかなと思いましたね。好きだった句はみなさんが言ってた〈眼鏡チエーン〉や〈Uber〉の句ですね。Uberのロゴの色が緑色で、そこでもちゃんとタイトルに繋がってきている。Uberのリュックということで、暑い中配達しているけど、日陰を選んで丁寧に仕事している感じとかもいいかなと思います。
ただ決め手に欠けるかなという印象で。一句目〈五月雨や鳥になるなら葉の色に〉と二句目〈夏山や羽ばたく鳥の胸飾り〉が両方とも鳥の句になっていて、そんなに悪い句ではないんですけど、片方で良いかなとか。〈菖蒲湯や筋肉はいまただの肉〉と筋肉はお風呂に入って癒されているというか、体を労わっているというのが繋がりやすいかなと。〈冷房や雲めく泡の抹茶ラテ〉は気分としては分かるんですけど、雲と泡が近いんじゃないかな。〈万緑や交互に足を前へ攻む〉は十句の中だとこれがマイナスになっちゃうんじゃないかなと。もうちょっと分かるように書いてほしかったかなと思います。
私はこの〈眼鏡チエーン〉は十句の中でも良いと思っていて、人物が見えてくるんですよね。青梅が良くて、いろいろ果物とかの果実酒とかも手作りする人なんやろな、あとキッチンの入口のところに玉すだれの謎のジャラジャラしたやつがありそうやなとか、冷蔵庫も緑色で、キッチンのタイルも緑色で、昭和のキッチンが想像できて。この句が一番目立っていて、情景としてすごく分かるし、「しゃらら」という音もすごい。この句はすごい好きなので、この四句目みたいな作品が他にもあればよかったかなと思います。
浅川芳直:選んでないのですが、僕が選ばなくても誰か選ぶんじゃないかなと思うくらいの作品でした。〈眼鏡チエーン〉のトーンで十句やっちゃうと食傷気味になるので、見せ場でポンと置いたのは判断が良かったんじゃないかなと。木田さんがおっしゃった通りの統一感が気持ちいいと思いました。予選で「僕が選ばなくても」というちょっと引いた態度になったのは、〈冷房や雲めく泡の抹茶ラテ〉とか〈Uberのリユツク日陰を縫ひ進む〉とか、とても上手な句ではあるんですけど、上手すぎるというか、ツボを押さえてみせたのが見せ所になっちゃった気がした、というところでしょうか。
好きな句は前半に多かったです。二句目の〈夏山や羽ばたく鳥の胸飾り〉は好きでしたね。山と来て鳥と来て本物かと思ったら胸飾りでフェイントをかけたような言い方ですけれど、言葉の雰囲気の奥にある山の存在が、フィクションだとしても確かに感じられるような気がします。
木田智美:「胸飾り」って鳥自体の羽毛のことを言っているのかと思ってしまって、一句目も二句目も鳥の句だと思ったんですけど、そうか、ブローチをつけているという意味なのかと。
黒岩徳将:ブローチだと思いました。
木田智美:なるほど。まあでも一句目と二句目続けて読んじゃうから、鳥の句が繋がらへんようにバラして配置したらいいんじゃないかなっていう感じです。
暮田真名:それで言うと、三句目の「筋肉」は主体の筋肉ですか?これ鳥続きで鶏肉なんだーって思っちゃったんですけど、鶏肉ではないか(笑)。
若林哲哉:菖蒲湯なので、お湯に浸かっている人の筋肉かなと。
暮田真名:浸かっていても筋肉は筋肉だと思っちゃう。
黒岩徳将:リラックスしていて筋肉を稼働させていない、菖蒲湯だからこその脱力感を言いたいのかなと。
若林哲哉:二句目について補足すると、ブローチだとしたら「羽ばたく」だと動きと音が生じるので、「胸飾り」というのが種明かし的な作為なってしまうんですよね。実際の鳥が頭をよぎるから、ブローチでしたというオチが見えすぎちゃうかなと。
暮田真名:私はペンダントトップだと思ったんですけど、羽ばたいているポーズのモチーフなのかな。
浅川芳直:まあ鳥の形のアクセサリーと言ったら確かに羽ばたいている形ですからね。ただやっぱり、夏の開放感みたいなのを言いたいのかなと思う。気にならなくはないけれど、僕はこれくらいは表現としてやってみないと仕方ないと思った次第です。
若林哲哉:一番プレーンな表現を採るなら、「羽ばたく」ではなく、「羽を広げている」鳥になると思うんですよ。やや比喩が入っている。
浅川芳直:その通りですが、行儀良すぎません(笑)? 好みの話になりますが。
111. ぷこここ
福引きの赤い袋のどれに靴
なぞなぞのぜんぶひらがなひなまつり
水温む絵の具に髪のための黒
若葉風大道芸の揺れて立つ
ぷこここと水鉄砲を充填す
蟻が帰つて退屈に襲はるる
干し柿を呉るる掃除をして呉るる
マネキンの首の切れ目にマフラーを
寒稽古眼鏡のままに死を迎ふ
氷柱投げ続けいづれは槍となる
黒岩徳将:子供を見ているお兄ちゃんみたいな、幼い人への目線的なものを〈ぷこここと水鉄砲を充填す〉で感じて、淡いノスタルジーがあります。〈なぞなぞのぜんぶひらがなひなまつり〉も幼少期のひらがなしか書けなかった頃の、たとえば児童書を読んだときの気分とか。幼いころの季語体験の絡み合いの面白さみたいなのが前半に見れた感じがしました。
後半は味わいがガラッと変わって、〈蟻が帰つて退屈に襲はるる〉は「退屈」と「襲はるる」に言葉のギャップの意外性がある。〈干し柿を呉るる掃除をして呉るる〉は並列に「そういうこともあるかもしれない」と思わせるという感じ。けっこうそういうこともあるかもしれないなあ、という感じのまとめの統一感はあるかな。
最後の二句がまた変わってシリアスになる。結構テンションゲージは激しいけど書き方はゆるやかという不思議な作品です。〈寒稽古〉の句は季語が飛ばしすぎて自分は読み切れなかったかなと。〈氷柱〉の句は槍のシャープさみたいなのは心象風景としては分かりやすくて、類型感が逆にあるかなという感じもします。でも一句一句いい意味でツッコミたくなる、魅力の見せ場があって、読み飽きないよろこびはあるとは思いました。〈若葉風大道芸の揺れて立つ〉はあるあるなので惜しいです。
木田智美:テンションが分からないっていうのはあるかもしれない。〈蟻が帰つて退屈に襲はるる〉とか子供の目線かと思ったら、後でけっこう大人っぽい句もでてきたりするので。一句一句結構独立しているので連作としてのつながりみたいなものはあんまりないのかなとは思いますね。〈マネキン〉の句はマネキンはばらばらにできると思ってるので、首の切れ目があって、そこに隠すようにマフラーを巻いてあげるのがほっとする優しさというか。マネキンって結構真っ白のやつとか、白いマネキンかなとは思って。これもちゃんとマフラーっていうちゃんと実景として見えてくるし、いいんじゃないかなとは思いますね。私はまだあんまりとれなかった句も多いかなと思って。
表題の〈ぷこここ〉の句は擬音が面白いと思うし、字面というか実際に「こ」の線がつながってるかんじ。水がふわふわ上がってるのも見えてくる字の形として面白い。充填するところに着目してこれも実感があるんやなと思って、この句はよかったと思います。〈なぞなぞ〉とかは「ぜんぶひらがな」を全部ひらがなで書くっていうのはあんまり推せない、そのまんますぎるかなと思って、全部ひらがなっていうのはそこで終わってしまってる。〈ひなまつり〉も近いし、ひらがなも子供で結びついちゃうので。〈水温む〉もこれはいろんな色つかって、って思っちゃう!これは個人的なやつなんですけど。あんまり黒を使わずに、色を作った方がいいと思います。これは私の感想です。あとは〈寒稽古〉は十句の中で一番よかったんじゃないかなと思って。稽古だから眼鏡するって、剣道とかですか。
浅川芳直:剣道は突然死リスクはあるんですけど、残念ながらコンタクトが多いんですよ。眼鏡するためには、被ってる面の内側を切って改造しないといけないんです。僕は能狂言、演劇とか舞台芸術だと思いました。
木田智美:なるほど。眼鏡したままできるやつってことですよね。これはまあ、この人はずっと眼鏡でいくぞっていう、コンタクトにするつもりはない人やから、このままやろうなって思いながら、それを受け入れているかんじというか、この人の生きざまっていうのが見えてきて。寒稽古はどんなのかは分からないけれど、この稽古もずっと一生つづけていくんやろうな、って思ったので。これはいい句じゃないかなと思いました。
黒岩徳将:死を迎ふ「だろう」っていってるんですかね。
木田智美:死を受け入れる感じですかね。
浅川芳直:突然死の現場に居合わせてしまったって読んでましたが、木田さんの読みの方が良いですね。
木田智美:最後の〈氷柱投げ続けいづれは槍となる〉は、つらら投げたらあかんやん!が一番にきてしまうので。あぶないなって印象になってしまうので。実際に投げるっていうのではないと思うんですけど、氷柱がやっぱり尖っていて槍に似ているっていうのは想像ついてしまうので。寒稽古のあとにこの句が来ると全然違う並べ方をしてるかなっていうふうに思いましたかね。
浅川芳直:大体ここまでで言い尽くされているような気もいたしましたけれど。〈氷柱投げ〉は氷柱を折って、大人なのに童心を失ってなくていいでしょっていうナルシシズムと、その投げた氷柱が〈槍となる〉という棘のある見方の組み合わせで詩が生まれているのかなと思いました。ただ、僕の感覚だとぽきっと折って簡単に投げられるのでは槍にはならないんです。氷柱が凶器になるのは、大きく太った氷柱が落ちてくるような場合ですから。
いいと思ったのは黒岩さんが「あるんじゃない」って言ってた〈若葉風大道芸の揺れて立つ〉。たしかに若葉風と大道芸の取り合わせは古々しいところはあるんですけど、この句全体が持ってるなつかしさ、揺れて立つ大道芸の芸人の不安定な境遇とかも含めて、すべては記憶の中になっていくみたいな視点を感じまして。この句には印をつけておりました。〈福引きの赤い袋のどれに靴〉というのもしっかり出来ている句じゃないかなと思いましたし。〈ぷこここ〉、ぷこここっていう擬音には水遊びへの期待感もある。完成度が高い作品ではないかと思いました。
暮田真名:話題になってる〈寒稽古〉、眼鏡のままに死ぬって、老衰というよりは不慮の死じゃないかな。寒稽古はお芝居をしていて眼鏡かけてるひとが死んだふりしているみたいな、そういうおもしろかなとも思ったんだけど、そうじゃない場合、やっぱりシリアスな句ですよね。死を迎えるだろう、眼鏡のままに死ぬぜっていう意気込みがどういうものなのか分からない。前向きなことなのかな?読み味を決めるのが難しい。死をどう受け止めればいいのかとか。
〈干し柿〉の句は、掃除をした褒美としてくれると思ったんですけど、掃除をしてくれる上に干し柿もくれるという意味なのか、どっちだろうって、聞いていて思いました。〈マネキン〉の句のヒューマニズムみたいなのがよくないと思いますね。擬人化しすぎている。〈つらら〉投げるがどれくらいよくある景なんだろう。黒岩さんが仰ったようにシリアスに感じたんですよね。
浅川芳直:一句目が〈福引きの赤い袋のどれに靴〉だから、赤い靴はいてた女の子、みたいなのもちょっと想像するので、シリアスな雰囲気感じますよね。〈マネキン〉も一見ぎょっとする。
若林哲哉:僕は完成度が高い連作だと思いました。一句一句拾ったときに内容の類想はなくはないんですが、措辞の技術の完成度は高い。そのうえで、皆さんが仰ってる通り、〈水温む絵の具に髪のための黒〉には、水で絵の具を溶くというイメージの分かりやすさがあるし、〈若葉風大道芸の揺れて立つ〉も既視感はある。ただ、過去の俳句とつながる回路はある。〈なぞなぞ〉の句は、中村汀女〈咳の子のなぞなぞあそびきりもなや〉を思い出す。なぞなぞにどこか辟易する感じ。ひな祭りという明るい空間なんだけど、こどもの無邪気や元気にどこか辟易する風情があるなと。
〈寒稽古〉の句はやっぱり、小川軽舟さんの〈麗らかや眠るも死ぬも眼鏡取る〉の裏返しの句ですよね。同じく小川さんの有名句に〈死ぬときは箸置くやうに草の花〉があります。40代のときの作らしいです。寒稽古の句も、何かの「道」を貫いていくような生きざまみたいのを引っ張りながら、その生涯を眼鏡のままに終えていこうという。〈氷柱〉は、牽強付会かもしれないけれど、能村登四郎の〈春ひとり槍投げて槍に歩み寄る〉が過ります。この句、ナルシシズムって言ったのは浅川さんでしたかね。氷柱を投げるというのは無益な行為だと思うんですけど、それをやりつづけることの孤独感みたいな。
表題句、〈ぷこここ〉はさりげないオノマトペが面白いと思うんですけど、面白いポイントは水鉄砲のタンクを水に沈めて給水している景色になっているところで、手も水に沈めている、その水の質感も伝わってくる。類想はあるのだけれど、独自性が光る句もあり、過去の俳句を引き合いに出しつつも完成度高く書くっていうところについては達成している連作なんじゃないですかね。
暮田真名:あ、好きな句言い忘れてました。〈蟻が帰つて退屈に襲はるる〉が好きでした。
若林哲哉:俳句だとよく見るかもです。凧が揚がりきったら退屈になったり、風船が萎んだら退屈になったり。
暮田真名:蟻で楽しかったんだこの人、っていうのは。〈帰つて〉が変かもしれないですね。
若林哲哉:確かに。
暮田真名:巣に戻ってるのか分からないのに。蟻のことを友達だと思ってる。
黒岩徳将:個々の句よりも流れ的なものがゆらゆらしていることが若干気になったんですけどみなさんそうでもないですか。
若林哲哉:ワントーンではないですよね。〈ぷこここ〉と〈寒稽古〉〈氷柱〉を拾うと、なんか温度感は似てるんですけど方向性は違うっていうか。
黒岩徳将:ちょっとあちゃこちゃ行き過ぎたかなってきはした。いろいろできる人なのかな。
浅川芳直:その意味では、 「ぷこここ」っていうタイトルが、この作品全体のタイトルとしてふさわしいのかな。
暮田真名:楽しげな擬音だけど、後ろは結構重たい。
若林哲哉:でも〈ぷこここ〉は軽やかには書いてないですよね。水に沈めて中の空気が抜けていくときの音だから、実感としては水の重さを感じてるんじゃないかなと思っていて。表現は軽いんですけど、書かれていることは別に軽くないかなって思いました。深刻なことも深刻すぎない表現で書ける、そういう俳句の味わいを引き出せる作者だと思うからこそ、シリアスなトピックにも取り組んだ九句目、十句目は完成度が高いと言えないことが気になりました。
黒岩徳将:終盤のシリアスさはもう少しカモフラージュした方がいいかも。タイトルの伝達速度感が結構求められることが多いのかなって思ってるので、「ぷこここ」のテンションで終盤を読むとミスリード感があるなと。面白いな、今の若林さんの読み。
若林哲哉:楽しくなってきましたね。
黒岩徳将:問いを投げかける連作として結構評価が上がってきた。
浅川芳直:なるほど。あと「ぷこここ」以外のいいタイトルありますか、って聞かれたら困っちゃいますね。
黒岩徳将:たしかに……
若林哲哉:連作のイメージを統一できるような題ではないですけど、十句の中で一番独自性はあるのかなあという気がしました。
暮田真名:〈髪のための黒〉はナショナリスティックじゃないですか?「肌色」に近いことを言ってるような。
黒岩徳将:「ため」っていう言い方、かなり大きな包括をしているように感じる。僕は、「今」塗りたい色、って好意的に読んだので。でもいわれたらたしかに気になる。
暮田真名:人の絵を描いていて、ってことですかね。だとしたら「水温む」が絵具の連想を働かせる。
黒岩徳将:そっちのほうがあるある感がでて弱いのか。
浅川芳直:あと、この 「水温む」は季語としてだめじゃんっていう人も多いでしょうね。
木田智美:統一感がないのは連作として気になるかなと。この応募するための十句というよりは、ばらばらで作ったのかなって感じてしまいましたね。
浅川芳直:連作の考え方にもよりますが。
木田智美:連作のルールも定まってないですし、いろんなのがあっていいと思うんですけど。
浅川芳直:一般論として、必ずしも秋櫻子の「筑波山縁起」みたいな絵巻物、ストーリー仕立てになってる必要はない。誓子の「虫界変」みたいに同じ主題を執拗に手を替え品を変え、ってる必要もないって理解しています。草田男は一句独立の群作って言ってましたね。蛇笏は新興俳句の連作、つまり一句独立に対する連作は否定してましたし。今回は、そういう区別なくタイトル付の複数句の作品を見せてくれっていうのが趣旨だと思うので、「ストーリーがあってまとまりがあって……」じゃなくても僕はいいんじゃないかなと思っていました。その代わり、まとまりとして読ませる力、見せる力があってほしいとは思う。「ぷこここ」が十句一かたまりとして読ませる力があるかというと、ちゃんとあるのではないかなと思います。
若林哲哉:僕が昨日の自己紹介で「一句独立の良さ」も「全体として何を書きたい」かも読みたいと言ったんですけど、その発言も、浅川さんがおっしゃったような「連作」や「群作」をどう捉えるかという議論を踏まえてのつもりです。ここまでの議論も踏まえて、あらためて両方の視点から読むという意思表明をしておきます。
浅川芳直:僕は昨日も言った通り、一番最初はまとまり度外視で句だけ見て40編ちょっとに絞って、五編に絞るときは作品ごとのまとまりを見ていったんですね。でも最後の最後に迷った場合、一句への思い入れ、作品全体の統一性など、残した理由は実はそれぞれ違っているんです。
全作品追加議論〜グランプリ選考
1. 全作品追加議論
進行役(司会):グランプリ候補を決める前に、予選通過作品を改めて振り返って、三分程度の追加議論を行います。
1. 澄めない
若林哲哉:見どころが必ず一句に二個ある。それが上滑りしていると思っていたけれど、でも今読み返すと、案外バランス取れてるかもって思ってきた。こういう書きぶりであると受容できます。
黒岩徳将:作為的な手つきをよしとするか微妙とするか。分かれ目だなと思いました。感覚的なものを伝えようとしています。
木田智美:十句で評価すると、この人の句集とかで何百句読んだらすごいいい本ができるんじゃないかなっていう。この人の作風っていうのは出てると思うので。全体的にはバランス感覚がいい。季語と季語以外のバランス感覚はいいんじゃないかなと。
15. 不可逆
若林哲哉:作風のばらつきがあるとは、こういう作品を言うんじゃないかなって。〈転職〉とか〈琥珀〉の句の一方で、昨日の議論に挙がったような、標語的な労働観に対して季語を斡旋する句づくりもある。テーマは共通しているところはあるけれど、まとまりの薄さは結構強いかも。
暮田真名:標語的表現が多すぎて一つの潮流を成しているから、まとまりがないのであって、十句の中に一句だけ標語的な句があるのであれば、アクセントですよね。これが一つの作風になっちゃってるのは、たしかに……
黒岩徳将:労働観以外の句にちょっとマイナス評価が入ってたことも惜しかったこともあるけれど。労働観の句で、あんまり標語的なところがないところを攻めると、これからも面白く行けるんじゃないかという気はします。
木田智美:十句で勝負している感があって、これで勝負したいっていう気持ちが出てるなと思いました。いいと思ったんですけど、〈労働〉も〈人生〉もあるし、重い言葉も多いなと。それ以外の重くない句〈レモンカード〉〈ヘリオトロープ〉も、いい句もたくさんあるので。履歴書もあるんじゃないかなと言ったんですけど〈夏の蝶〉としてバランス取れてると思うので。後はまあ、ストーリーとしては転職活動していてごはんを食べている。作品として良いかなと。
17. 私語と咳
若林哲哉:ずっと悩んでいて、全体的にいいと思ってるんだけど、「移民船」の一語で警戒が高まっている僕がいる。この世界観を説明するために「移民船」という言葉を出したこと、つまりは現実性の高い歴史を持ち出したところが、結構評価を下げる気もします。
黒岩徳将:それがなければ虚の世界の統一とか、現実から浮遊した感じとかでまとまりがさらに出るかもしれませんね。
若林哲哉:「移民船」の一語がやはり倫理を呼び込むところで警戒している部分がある。
暮田真名:別の世界へ行くという意味で描いていると受け取れば、あるいは。全体としては、2回目で見た方がいいという気がしました。
浅川芳直:〈弔いへ〉とか〈君もさう〉とか、傾向が見えてしまうのが。虚の作品として見たときに統一感があるというのは間違いない。〈移民船〉がどれくらいの傷になるのかは要検討。
木田智美:全体的にトーンが落ち着いている。〈虹〉が出ていて、全然明るくない作風なのは意外性がある。言葉のモチーフとか作風というのが出てる。昨日見たときよりもこの人の作風はもっと見たくなるような。〈移民船〉は無季なので、ここは有季定型がいいんじゃないかなと。
21. このまま
暮田真名:黒岩さんの良い鑑賞を聞いて、最初より印象が上がりました。最後の句はあまり良くないなと思いました。
黒岩徳将:みなさんの〈鮟鱇〉は十句の中で飛び出していることがやっぱり嫌じゃないなあと。悪くないです。
若林哲哉:一晩寝かせてみると〈鮟鱇〉は分かりやすい驚きの句になったなという感じはしますね。鮟鱇は深海に棲むし、煙草もアングラ感がある。〈健やかに〉の句の、失われていくものと、その諦めは、やはり魅力として感じられるなと。
木田智美:マイナスな言葉とか、〈どうせ〉とか、結構暗くならずにバランスをとってるというか。口語で書こうとしているけれど、作風というのが出ていて。明るさもあるけれど、暗さと明るさのバランスというか。これはこれで出来てるので。この作品自体はいいと思いますね。
28. 深皿
若林哲哉:〈わらふたび〉と〈日にいくつ〉はいいですよね。この二句は褪せない良さがある。その分、他の句の冗長さが気になる。
浅川芳直:〈涼夜〉は「良き」さえ言わなければいいところを詠んでいると思うんですよね。〈螢火〉はどうかと思うんですけど。僕は好感をもって読んでいて、予選に選んでないけど、矢印としては上向きになりました。
黒岩徳将:安定感があるのでグランプリ候補にするかどうか、悪いところが致命的かどうかっていうその一点です。
浅川芳直:もっと致命的なところがある作品はいろいろあったんじゃないんですか。残してもいいんですよね。
木田智美:作品全体として色合いが保たれているというか。明るさもあるし、ひと夏の思い出というか。〈エンゼルフィッシュ〉〈蛍火〉は惜しいけど、実感があるし、まとまってるのでいいんじゃないかな。
30. 躰に秘めて
浅川芳直:褒めたけどまだ迷ってる作品で、トップの句はすごくいいと思うんです。〈瘡蓋〉、〈授乳して〉の句とか。ただ、やっぱり安楽死についてはもう少し粘ってほしかった。議論になったマイナス面について、どれくらいみなさん傷と思うのか。
木田智美:昨日おなじ傷をテーマにしたって言っちゃったんですけど、でもこの作品としてのテーマとして書かれているということなので、それはいろんな傷を書かれていて、そこはあまり問題ではないかなと。〈ストリートビュー〉は秋彼岸とくると、亡くなった祖父に会えるとなって、近いかなと思うので。そこであまり推せないかなと。
暮田真名:傷の句が多いことでほかの要素が減っているので、読後に残るものが少ない感じがします。
若林哲哉:〈ストラヴィンスキー〉は、それらしすぎるんじゃないかなと。
黒岩徳将:派手な言葉のパッションに対して粗さが強いっていう感じかな。
31. インビトロ
暮田真名:北大路翼がもうやってるって言われたら納得しました。
若林哲哉:火事とかね。
黒岩徳将:路線とものの見方のずれ感が似ては似ているが、インビトロという設定で世界を変えるチャレンジというインパクトは強かったです。
木田智美:個性的ではありますけどこの作風は好き嫌いが分かれると思うので、まっすぐには推せないかなと。
36. 盗泉
黒岩徳将:英雄っぽさっていうのが話題になっていて。ヒロイズム句群はそんなに大きくなくて、22編だったらこれしかない。独自性はあるかな。似ている形の句、読み味が近いとか、虚の匂いが強いとか、かなり評価が分かれるところがあるかな。〈ピザ届く〉がちょっと〈ピザ〉らしく無い気がして、得意じゃない。
暮田真名:〈狂はずに〉は良くないけど、ほかは結構好きかもしれないです。
若林哲哉:昨日からあまり評価は変わってなくて、良いと思ってる。同じ形の句も、形があってこれで作ったというよりは、こういうことが詠みたくて、この形に行きついたと思ってるので減点すべきとは見ていない。
木田智美:格調はありますね。昨日見たときから〈鶴よ〉はすごい。この一句だけでも目立ってていい句だなと思います。死をテーマにしているのは分かるんですけど、〈あらゆる死〉は推せないかなと。
浅川芳直:木田さんに同じく。理想を言えば口誦性がほしいかな。言いたいことがいろいろある分要素が多くなっているから。それがダメっていうのではないけれど、じゃあ十句でお腹いっぱいというところがあるのが悩む。
木田智美:重たいですね。
41. チューバ拭く
暮田真名:吹奏楽部に一生懸命と同程度に俳句に一生懸命になってほしいという評が的を射ているなと。
浅川芳直:でも好感度は高いですね。
暮田真名:俳句ではなく、人物の好感度かも、という疑いを捨てきれない。
浅川芳直:自分の好きなことをちゃんと書くというのは、作り手として大事にしたいことですよ。強烈に推薦はしないけれど、ますます俳句を楽しんでほしい、これから20句、30句にも挑戦していってほしいということで、応援したいですね。良い句はあると思います。
若林哲哉:イノセンスさで他の連作を凌駕出来ているかというのはありますよね。
浅川芳直:イノセンスさは大事ですよ。〈星月夜〉とか、他にこのくらい勢いのある作品はあったのかと思います。ただ、ところどころでガクッとしちゃう弱さはあるのでね。
木田智美:題材が狭いのかなって思って。吹奏楽部っていう表現はできているのかなって。近い句が多かったり。この路線で行くって決めて、そこにこう行ってしまう、みたいなのはあるかなと思いましたね。
黒岩徳将:吹奏楽部という設定、〇〇部でつくることの若干の限界を見せられているかもしれない。
木田智美:〈大会に負けて〉の暗さ、そこはいいと思っています。
45. 遠雷
黒岩徳将:文字で見たときの独自性あるなと。ひらがなの表記バランス。パッと目につくところがいいなと。
若林哲哉:「けど正解」の話をしたときに45を引き合いに出してましたね。遠雷は屈折しながらも読み振りは幸せそう。「けど正解」はそうではない。好みの問題かもしれませんが、99の屈折を取りたいです。
木田智美:香水とか遠雷とか、季語として実感がある。全体的にストーリーというか、ちゃんと作品として整っている。「雨乞」が「君」とつながるのは、君はどこにいたってすぐ分かるだと思います。ただ〈短夜〉の句は恋と言わずに恋を表してほしかった。
暮田真名:人間像に既視感があるところが良くない。アニメみたいという意見はありましたが。
浅川芳直:〈キャベツきゆるきゆる〉は良かった。
暮田真名:〈キャベツきゆるきゆる〉はいいと思うけど。
木田智美:作品として推したいなと思いますね。
52. べきろん
暮田真名:評価が低かったんですけど、人間の無意識が見えるところが好きでした。〈べきだべきでない〉は何も言っていないうちに恐ろしいことに巻き込まれるみたいな。
浅川芳直:あと、仮名遣いの間違いをどう捉えるか。既存の賞なら「作品をもっと大切に扱ってほしい、選者を校正者にするな」という考えもありうるんですが、初めて十句にチャレンジしてくれた人もいるだろうこの場でそういうペナルティみたいな考えでいくのは避けたいなと。
黒岩徳将:何かを省略してその省略しているぼかしを読者に届ける。そこをもっといろんなバリエーションで見たいですね。
木田智美:〈かけがえのある〉っていう言い方はいつの時代の菊展に行っても同じだから、これでいいんじゃないかなって。これはこれで余白がある句で。
若林哲哉:〈べきでべきでないとか〉の議論を浅川さんとしたんですが、結果、あまりこの連作の評価は伸びなかった。
54. それから
暮田真名:〈革命〉の句以外はいいんじゃないかなと。革命の一点で全部ダメにするには惜しい。
黒岩徳将:同じく惜しいと思ってます。
若林哲哉:〈ペリカン〉や〈冷房〉の句は僕は乗れない。冷房はやはりランゲルハンス島のことを言ったウィットの句だと読める。
木田智美:〈電話切れて〉は無季だけど連作に一句あっていい、〈白日傘〉は黒岩さんが説明してくれて、景色とかも見えて、色の鮮やかさの対比とかもあってこれでいいと思います。〈籐椅子〉は近いかなというところで推せないところがあります。
60. 抱く
若林哲哉:猥談の句をどう読んでいいのか結局悩んでいる。
暮田真名:割と昨日の印象と一緒かもです。時代がかっている。
浅川芳直:傷はあるんだけど、その傷の深さをどう捉えるか。これは今でも迷っています。
暮田真名:良くない句があるっていうことですか?それともテーマ?
浅川芳直:良くない句、〈猥談〉とか〈寒禽〉とか……。〈子を抱いて〉の句はよかったので。
黒岩徳将:昨日の議論を考え直すと、〈子を抱いて〉がいい句だから、あと一、二句強い句があれば強く推せたかなあ。
木田智美:〈春の星〉は十句の中であるとあまり目立たない、弱いというか。〈猥談〉は目立ってしまうかなと。この句自体が悪いとは思わないですけど。この十句の中だと目立ってしまうかなと。
70. puzzle
黒岩徳将:「応援するか」という視点で盛り上がりましたね。
浅川芳直:応援するけど責任を持って推せるかどうかは別。推薦する人の意見をもう一度聞きたい。
若林哲哉:作者と作品世界を隔てる壁。作者が作品世界から眼差しを受けすぎている感 。そういう感覚がメタ的に施されているのが個性だと思いつつ、悩む。
黒岩徳将:一枚かぶせてるのかな。
若林哲哉:〈せかいかん〉はそういう表明の句だなと。
暮田真名:季語が嫌いかどうかでいうと、この人は季語をもっとうまく使う余地があるというか、嫌いなわけじゃないと思います。
黒岩徳将:使える季語パターンは少ないけど、自分の言いたいことをうまく「藤」を拡張している。気持ちよさみたいなところで推せる。
木田智美:これは難しいかなって思ってしまって、これも説明聞いて、藤が最初と最後に出て、この作品自体の雰囲気、言葉の選び方、色合いとかはきれいやなっていうのは分かったんですけど、季節感とかはないのかなと思って。かわいい感じは出てるんですけど、そこまで推せないかなという。
浅川芳直:若林さんが「作者自身が疲れてくる」っていうのは面白いなと思いました。
若林哲哉:フグが自分の毒で苦しむ、というと少し違うかもしれませんが。そういうニュアンスがあります。
71. 志
浅川芳直:予選で選んでなかったけど、矢印が上がった。一句一句がなかなか面白いところをとらえている。面白いんだけれど、大真面目に作っているからの面白さ。物じゃなくて事が多い、っていうのを言ったんですが、それを差し引いても安定感のある作者だと思いました。
黒岩徳将:真顔かな、っていうのが決め手だと思うんですけど。作者が狙いどころを言い過ぎ感が有り、機知的であり、プラスアルファのポテンシャルが足りないんじゃないかな。
若林哲哉:そういえば今更なんですけど、なまはげって顔噛む......?
暮田真名:頭噛むと……
若林哲哉:それは獅子舞では?
暮田真名:たしかに。
若林哲哉:なまはげって噛むんですか?実際に噛まないのであれば、作品の評価を考え直す必要がありますが。なまはげって別に噛まないですよね?
浅川芳直:包丁で驚かすだけだもんなあ。
若林哲哉:今更気になっちゃいました。
木田智美:昨日と同じ内容になってしまうんですけど、この〈とろろ〉や〈風船〉の句とか面白いんですけど、〈かな〉や〈けり〉など同じ形が多いところが気になりました。
72. 覗きこむ
浅川芳直:〈蟷螂〉とか、〈ごんと点く〉とか〈掃きゆけば〉とか、結構評価高かったんじゃなかったでしたっけ。
若林哲哉:全体としては凸凹って感じがします。〈凌霄や〉と〈掃きゆけば〉は、結構推している。
暮田真名:〈蟷螂〉を推しました。最後の句もすごくいいと思うけど、〈柘榴〉が良くないという印象です。
若林哲哉:〈長き夜の〉は分かりやすすぎるんじゃないかなという。
木田智美:昨日とあんまり印象が変わらないですかね。いい句もあるけど、ちょっと。
浅川芳直:でこぼこは激しいけど凹の部分が致命的というほどではないのかなという気もしています。
黒岩徳将:〈蟷螂〉の句は非常に意義ある議論も出てよかったかなと思います。
82. 輪郭
黒岩徳将:タイトルがよかったんですね、句としての統一感に寄与している。ちょっと手元の景に終始しすぎたという意見もあったかな。
浅川芳直:突き抜けたのがないという厳しい意見が若林さんからあった。
若林哲哉:もうちょっと一句一句描き込めるんじゃないかな。〈絨毯〉の句くらいの書き込みでほかの句も描けるのではと。
浅川芳直:僕としては、書き込みすぎないですごくあっさりしているところが良いと思うんですが。素直な良さがありますね。将来性を買いたいです。
木田智美:一句〈龍の像〉はいいなと。〈明王の横〉は横ってどこ?ってなるので、曖昧なところはあるなと。〈絨毯〉は裸足が季語としてそこまで問題ないかなってみんなの話を聞いてて思いました。全体的にちゃんと作風というかまとまってるし、印象は良かったと思います。
83. 菓子にて摂り
若林哲哉:あまり皆さんの支持を得きれなかったです。
暮田真名:好きでしたよ、私は。
黒岩徳将:物珍しすぎてものすごくびっくりしたけど、不条理と膨張性という。〈函数〉の句の難しさ、言葉のインパクトとして強いけどどうしても〈函数〉と言いたかった気持ちみたいなのを感じられましたね。
木田智美:〈函数や〉で〈魚のかほ〉がつながるのがあまり読み切れないところがありましたね。表題の句は良いなと思って好きなんですけど、全部の句を推せるかというと難しいかなと。
浅川芳直:〈魚のかほ〉が季節感には対応してるみたいな感じなのかな。
木田智美:函数を勉強してて、ってことなんですか?
浅川芳直:俳句的な強引さで繫げている。
若林哲哉:連作のトーンとか全体から見えてくるものは面白いですけどね、一句独立に立ち返ると、ちょっとでこぼこしてるなと思いますね。でも〈ポワソン・ダブリル〉の句、〈ゆふぐれあめんぼ〉は完成している。
木田智美:〈ポワソン・ダブリル〉は近いかなと思ったけど、いいかなと思いました。
若林哲哉:これは一物仕立ての句なので、近いとかではないかなと。
木田智美:焼いたら焦げやすいパイ生地みたいな感じなので。焦げるんだろうなって感じです。
87. 鱗
暮田真名:〈ハンカチ〉の話をたくさんしてしまった。
若林哲哉:「ハンカチ」の句は、やっぱり「を」ではなくて「の」じゃないかな。もっといい語順があったと。
木田智美:語順というか「の」に変えるだけでも整うと思いました。
浅川芳直:普通に考えたら〈ハンカチや〉で切らないですよね。
黒岩徳将:言葉の適切さを問われたくなるところが勿体ないのは分かる。
木田智美:魅力的ではある。
黒岩徳将:僕は〈ケバブ〉がもったいなすぎる問題があって、ほかは結構いいなと思う句が揃っている。
暮田真名:他はすごく抑制がきいてたのに、〈ケバブ〉だけ。
浅川芳直:〈夏芝〉が良いと思いました。〈ハンカチ〉は上手ではないかもしれないが、良い句じゃないかと思っております。
99. けど正解
暮田真名:「puzzle」とくらべて、季語と仲良くなる余地はないと思う。
黒岩徳将:でもそれがめらめらした作家性を出してるという話を聞いてて、凄いなって思う。この作品が個人の俳句観を揺さぶってくるのが今回の選考の個人的ハイライトです。若林さんと暮田さんの議論は面白くて。揺れますよね。
若林哲哉:僕は「トルソー」を2回言ったことが効いていると思っています。腕のないトルソーを自分に寄せる親近感。季語を大切にすることと季語を肯定することは同義ではないと思う。季語の実感についても生きている連作。
浅川芳直:「日脚伸びきつて」は季語を破壊しちゃってると思う。この表現だとやっぱり夏至になっちゃうと思う。
若林哲哉:完全な破壊とは言えないんじゃないですか。「日脚伸びきつて」はそこまでは行ってない。
黒岩徳将:日脚という状態を完了してしまったと読みたい。
浅川芳直:だったら別の言い方があるんじゃないかな。ちょっと不用意に思いました。
木田智美:〈水道水〉と〈日焼け〉の句とか散文的かなと思ってしまって。〈蝌蚪の国〉とか〈胡桃の鍵穴〉とか、いいかなと思うんですけど。
浅川芳直:僕と木田さん、黒岩さんが推してないわけですが、推してる人からどの句がすばらしいって言ってもらえればありがたい。
暮田真名:私は人間像が好きだから、〈日焼け〉は新しい人間像だと思いました。そこが45との明確な違い。
若林哲哉:人間像のところは、ざっくり言うと、45は幸せそうにしていて、99は幸せじゃなさそうにしている。99には人間像の新しみもあるというのは同感で、この連作でないと描けないと思いました。
103. みどり
暮田真名:〈眼鏡チエーン〉は、若者ではなくおばあちゃんのものでは?ぜんぶみどりっていうのは木田さんが指摘するまで気が付きませんでしたね。
浅川芳直:さりげない仕掛けですね。
木田智美:〈眼鏡チエーン〉が飛び抜けていいんですけど、他の句でばらつきが出てしまって。
黒岩徳将:切れをつくるときに〈しやらら〉にポップさとか軽やかさを出せている。
暮田真名:〈しやらら〉がいいですよね。ありきたりな擬音だけどこの句においてはいいと思います。
若林哲哉:〈自分だと〉の句はあまり乗れなさが膨らみ続けてる。
木田智美:面白いですけど、「自分」がちょっとあれかな。
暮田真名:「割つちやえば」が呼びかけだから、お前の頭なんか割ってやるよ、って自虐なのかな、っていう。不思議な感じがしますけど。
111. ぷこここ
暮田真名:統一感が大事なのかっていうのはたしかに難しいですよね。明確に失敗しているとかではない気がするんですけど。
黒岩徳将:一句一句の評価が割れたんだけど、そこそこ世界観ができてるから割れてる、多少評価しているんじゃないかなと。
浅川芳直:僕としては右肩上がりになりました。
若林哲哉:オール4くらいの印象です。
木田智美:表題の「ぷこここ」は面白いし、水鉄砲っていうのを詠む上でよかったんですけど、全部が全部いいかっていうと、推せないかなって思いますかね。
2. グランプリ候補決定
各選考委員が持ち票二つでグランプリに推したい連作を選んだ結果、以下のようになった。
- 木田智美:15. 不可逆、45. 遠雷
- 黒岩徳将:45. 遠雷、70. puzzle
- 暮田真名:70. puzzle、99. けど正解
- 若林哲哉:36. 盗泉、99. けど正解
- 浅川芳直:72. 覗きこむ、28. 深皿
複数票を獲得している作品45「遠雷」、作品70「puzzle」、作品99「けど正解」の3連作をグランプリ最終候補へ選出。さらに、合議の上、1票しか入らなかった連作(15, 28, 36, 72)に対しても敗者復活戦を実施し、枠を追加することとなった。結果、作品28「深皿」が敗者復活を果たしてグランプリ最終候補(28, 45, 70, 99の4作品)に進出。
3. グランプリ選考
浅川芳直:28番は、やっぱり〈笑ふたび〉〈日にいくつ〉の抑制されながらも海の様子が伝わってくる二句が捨て難いですね。もちろん多少の傷はあるんですけれども、こういう俳句の俳句としての良さをちゃんと大事にしている作品を評価したいなと思って、28番に入れております。省略が効いているといいますか。
黒岩徳将:動詞の使い方に注目点がある、その世界に入り込むところに良さを感じる。一番を決めるというときに、俳句らしい落ち着きというのを一位にしてよいものかというのが疑問です。
浅川芳直:完成度と言い換えても良いと思うんです。相対的な話になってしまうんだけど。45はよくまとまっていたと思いますが、70と99には自信をもてない部分がある。70番は応援する気持ちがあるけど、責任を負いきれない。「フェスだし盛り上がっていこう!」ということなら有りだなと。99番も工夫と力のある作品だと思いますが、ちょっと理につく印象があって、申し訳ないんですが僕はグランプリには推せないかなぁ、っていうところでした。
若林哲哉:完成度がこの連作の良さと思うなら、〈良き涼夜〉や〈エンゼルフィッシュ〉の叙法の甘さは、完成度にブレーキがかかると思っていて、俳句としての落ち着き、俳句であることに価値を置くなら、もっと個々の俳句にこだわりを凝らせるんじゃないかなと思っていて。敗者復活させるならどちらかと言えばということでこちらに入れましたが、グランプリに推せるかというと、あまり賛成はできない。99を推したいですね。
黒岩徳将:最終的に99を推されることを受け入れても、一人の選考委員の評価軸としてどうしても一番に推すことに抵抗があります。新しい潮流を感じてものすごく刺激的だが、それを選んでしまうのは、自分の今までやってきた俳句の流れが破壊される気がするので、99は推せないです。
若林哲哉:自分にやれないことをやっているのがすごいということも、大切な価値だと思うんですよ。自分のこれまでを否定されるから選べないというのは、少しずるいと思います。僕は俳人として99みたいな句づくりはしないけれど、99を推したいというのはそういう気持ち。
浅川芳直:俳人として、これ(の方向性)がいい?
若林哲哉:良いと言えるから推しています。僕個人として99みたいな句は作れないですが。
浅川芳直:自分が作れないものだから良い?
若林哲哉:自分が俳句だと思っているものの中で良いものと、俳句だと思ってなかった範疇からこれはと思う俳句が出てきたら、後者の価値が大きいのではないかと考えています。相対的な話で、だからどちらがよくないという言い方はしたくないです。
黒岩徳将:今までの流れと違うところから出てきた良さがあります。私自身が作らないから選ばない、ではなくて、この俳句世界の中でこの方向性を未来含めて一番に推すことに大きな躊躇いがある。どの季語を使っても打ち消しが無効化・否定化していくという方向性へ収斂されていくことへの抵抗が強いです。〈これ日焼するよなあ消えようかなあ〉の「消え」るまで言うことへの抵抗とも言える。消えてしまうという自意識の表出ではなく、「日焼」と取っ組みあった上での把握があったほうが自分には面白かった。
浅川芳直:ほぼ似たような作りになっているというか。それに、これまでと違う、新しいかっていう観点だと、それこそ木田さんの『パーティーは明日にして』とか神野さんとの比較になってくるところも。
若林哲哉:新しさだけでいうと70が一番新しいと思います。
浅川芳直:そうなりますよね。ただ、新しくかつ懐かしさがないと、良い俳句として片手落ちっていうふうに僕は思うので。不易流行というのを言い換えればそういうことじゃないかなと。ただ、仮にどっちかに全振りしても、99番には「参った」とはなりにくいかなと。
若林哲哉:それは28にも言えて、「海の家」の句と「扇風機」の句は採れるけど、他はほぼ採れない。暮田さんどうですか。
暮田真名:そうですねえ。28は俳人のみなさんが票を投じているわけですよね。28は本当に心が凪になるんですよね。何も感じないとまでは言わないですが、俳句総合誌を読んでこれが載っていても、「俳句にはこういう作品があるんだな」という感じで流してしまいそう。だから、票を入れませんでした。それでいうと、99・70・45、個人賞としては99ですけど、グランプリは70を、状況を見ての判断として推すかなあ。
浅川芳直:70が取ったら、フェス的にはよっしゃー、ってなりますよね。
暮田真名:70はまだ季語と仲良くなれる余地はあって、99は仲良くなれない。川柳人が選ぶ俳句はよくないんじゃないか、と言いましたが、補足しておきたくて。99が、川柳として読んだときに良いというわけではないです。でも、川柳人が面白いと思う俳句と、俳人が思う俳句とは決定的に違う。70も、川柳として読んでいいとかじゃなくて、俳句にこんな作品があってうれしいな、という。今後この方向でもっと俳句に習熟したら面白いんじゃないかなと思います。45はさっきも言ったけど、人間像に既視感があるので推せない、ですね。
木田智美:28はもともと5作品の中に入れていて、敗者復活で見たときに、全体的なバランスというか、十句の連作としては実感もこもっていたり、きれいに描けていると思ったので推させていただいたというところですね。2作品には入れなかったんですけど。改めて見たときにいい句も結構揃っていて、そこまでダメな句もない、なんやろ、蛍火も悪くはないというか。でも28も大賞まではいかへんかなと思ってしまいました。俳句といえばこういう作風だというのに落ち着いてしまっている感じはあって、そこまで新しさというか。どういう言葉を選んでいったらいいか。懐かしさとかはあると思うんですけど。夏休みに見る映画の中みたいな、作風はすごく好きだったんですけど、一推しではなかったかもしれないですね。後は70と99は、これが俳句だと推すことが難しいですね。45をずっと推してたところは、45が一番、作風も作者出てるし、作品としてまとまってますかね。口語だけど歴史的仮名遣いで書いているところとかも。一人の世界じゃなくて、他者がいるという書き方をしているところに好感を持てるかなと思いましたね。
浅川芳直:俳チャレのメッセージ性としてどれがいいのか、考えたいですね。
木田智美:意見をまとめるのが難しいかなって思っていて。今日決まるんかな、って思いましたね。
黒岩徳将:木田さんに質問なんですけど、暮田さんは45は人物像に既視感があるって言っているんですけど、木田さんはどう思われるんですか?
木田智美:〈キャベツきゆるきゆる〉とかの擬音が独自性ありますし〈五月は好きだと〉というのは独自の世界観で言っている。現れてくる人物は似てくるかもしれないけれど、俳句として季語は生きていると思いますし、この中でも〈君は雨乞〉とか言葉の組み合わせは見たことなかったので。〈香水を〉の句の「買はれ」とか、いろんな工夫があって、作品自体の既視感はなかったので、そこまで気にはならなかったですかね。
黒岩徳将:面白い意見で、たしかにその人としてのキャラクターの立ち方というのは薄めで、その薄さの代わりに、定型をはみ出した言葉の流れとか、使い方自体に魅力があるから上位二編に残せると思いました。口語的な言葉の使い方に、うにょうにょした歴史的仮名遣いで、気持ちの「溜め」が作られているのも、もったいぶっている、相手の反応を伺うチラチラした感じの主体の目くばせの強さが特徴です。というわけで45は好きなんですけど、黒岩は70がダントツなんです。
若林哲哉:黒岩さんの70の推しポイントは?
黒岩徳将:快楽的な気持ちよさと口誦性で一回読めて、2回目は作品世界で季語と遊べるという感じです。言葉が先に来て、意味性とか内容を深く考える音の楽しさで流す、ミュージカル的に、音楽的に俳句を楽しめる。でも季語の情緒を完全に蔑ろにしているわけではない。そういう句をもっと見たいんです、現代俳句で。韻律のチャレンジで五感に訴えかけてくる俳句って絶対大事。〈ひかりはとおく/アイスクリーム語の呪文〉、抜群だと思いました。〈光ること〉は先行句含めてベタつきであると痛いところを突かれました。
若林哲哉:快楽的・陶酔的っていうのは分かるんですけど、なんだかメタ的に作者の顔が見える、作者がこういうところに疲れてるんじゃないかな、主体が陶酔しきれてないのかな、という感じがあって、そこが入っていける人と入っていけない人、黒岩さんのいう快楽に乗れる人と乗れない人を分けちゃうんじゃないかなと思ったんです。僕も初読のうちはそれほど思わなかったんですけど、なんと言いますかその、やっぱり刹那的な快楽というか。でも、それが主題でそれでいいというか。でも、だんだんガムを噛み続けると味がしなくなるのと一緒で、なんか刹那的な快楽だなという感じがしました。そこが引っかかっています。僕のスタンスを言うと99が一推しなんですけど、現時点では次点を取るなら45と思ってます。70についてはこんな感じです。
暮田真名:45よりは28の方がいいと思いました。28は本当に異国のニュースを見ているような感じ。45は大西泰世という川柳人がいて、川柳では口語表現がスタンダードなので。どれが一番川柳みたいかっていうと45なんですよね。そうしたときに〈短夜〉の自分で発明した部分がないことが気になる。他者がいるっておっしゃってたんですけど、他者といっても「香水」や「君」のように、アクセサリー的な他者ですよね。この連作の中で唯一他者を感じるのは〈キャベツ〉。〈キャベツ〉はいいと思いますけど……。45に決まるなら、28に取ってほしい。70に関しては、作者自身が陶酔感に乗れてないって若林さんが仰っていましたが、文体の陶酔感と内容の陶酔感は違っていて、この連作で作者が疲れていたのは内容の陶酔感であって、リズムに関しては、作者はまだ全然やれるんじゃないかな。こういう作品を見ると、まあ、出オチだろうと思ってしまうんですけど、何度読んでもそんなに良さが薄れないというところにも感心して、5作品の中に残しました。〈芒〉に関しては、これは修理可能な気がしています。
浅川芳直:困りましたね。僕は四つの中で28がいいと思ってるんですが、その次で言うとちゃんと評価できるのは45という心づもりできたんです。〈キャベツきゆるきゆる〉とかね。ただ、暮田さんの演説を聞いて、70かなあとも思い始めています。
28は取れる句のレベルが低いと若林さんからありましたが、70の場合はそもそもレベル云々の基準が通じない作品だと思うんです。僕としては、28は〈螢火〉を例外として別に古臭いとかはないんで、たとえば〈虫刺され〉でレース詠むのは面白いと思ったし、〈深皿〉というタイトルもさりげなくていいと思った。自己主張が少ない分、言葉の力が立ち現れてくるわけで、これだけ礼儀正しい作品と対抗するんだったら全然違う世界にいっている70になるのかも……というか。
黒岩徳将:28のディフェンシブさはすごくいいと思うんですけど、それならマイナスの句の不用意さがどうしても目立っちゃうんじゃないですか。じわじわといい句を感じられる魅力はすごくありますね。
浅川芳直:若林さんが読んでた二句は何回読んでも悪くならない。
若林哲哉:それは賛成します。逆にこの二句だけかな、という感じも。
浅川芳直:じゃあ、一句として見たとき、この二句に匹敵する句が他の3作品にあるのかという話になる。45の〈キャベツきゆるきゆる〉はそこにいくかなと思うんですけど。良いとこだけ見るか、傷も考慮するのか、気にしていたのはそこなんですよ。
若林哲哉:28は傷の深さが結構深いと思いますね。それだったら「けど正解」の傷の方が浅い気がします。
黒岩徳将:そこに関しては同意。
若林哲哉:28の傷って技術なんですよね。45・70・99の傷は技術というかモチーフとか思想というかアティチュードというところを傷だと見られている。その中で言うと、技術的な傷があるのは相対的に深いと思いました。
浅川芳直:70はそもそも技術で測れる?
若林哲哉:ある程度測れると思っています。一方で、28の傷は概ね技術のみの話です。ほかの作品は技術的な達成度は高いと思います。
浅川芳直:マイナス面を加味するということなら、99は季語の扱いについて、技術的に引っかかると言っているつもりです。
若林哲哉:そこは、技術というより思想の問題だと思っています。
黒岩徳将:意図的な表現が99はかなりあるからね。
若林哲哉:そう、そこは意図や思想の問題。
浅川芳直:99の場合、〈蓑虫眠る〉とかを見ると、普通と違うことをやっているのはそうなんですが、思想が違っても技術は同じ規格でやろうとしてると思うんですね。
若林哲哉:もちろん、思想が優れているから技術をないがしろにしたいとか、その逆を言いたいということではなくて、この四編の中で選ぶ中では28は反対します。それぞれ試みは違うんですけど、各試みの中の実践として、28の実践度には乗れない。傷だけを見ているわけではないんですけど、グランプリに推す句、相対的に見ていくのであれば、そういう判断をしたい。
暮田真名:技術の傷が思想の傷より深いっていうのは、もう少し聞いてみたいです。
若林哲哉:不用意さみたいな言葉を黒岩さんが使っていたんですけど、不用意に見える、この作者ならここはケアできるはずだ、ケアできそうなところがケアできていないというニュアンスが強まるのは、技術の方じゃないかなって思ってます。
暮田真名:私は技術ならこれから良くなる可能性があるから、傷が浅いのかなと思いました。ポテンシャルだけを見るというか。態度は結構、変更しにくいので。
若林哲哉:ポテンシャルってところで見るなら70に賭けたい。まだちょっと陶酔しきれてないっていうのは気になるところだけど、陶酔しきれてないっていうのはコンセプトが固まってない、十句連作で世界観を打ち出しきれていないということですよね。もう少し貫いてほしいなと思うところはありつつ、ポテンシャルで選ぶなら70かなと思います。
暮田真名:70のことはアイドルだと思っているので、ステージ上の姿を見せてくれる一方で、インスタライブではちょっと疲れが見えるよね、みたいな。ギャップがあることを、あまり悪いとは思わなかったです。
黒岩徳将:冷静になっちゃってるところも含めて推せるみたいなところがあるな。
浅川芳直:ただ、選考の立場としてそれでいいのか、っていう葛藤はあるわけです。
若林哲哉:どれがグランプリになっても、僕の中では何かしら理由をつけて推したい、その選択と理由に責任を持ちたいと思っています。今は、一番に推すのが99、その次は70になっています。
黒岩徳将:自分は45がグランプリでも全然いいくらいのトータルの良さがあると思いつつ、70の新規性に賭けたくてダントツという意見だったんだけど、45はグランプリになるにはゆるいんじゃないか、っていう意見が今強いのか?
若林哲哉:45がグランプリになっても納得できます。一方、99と45だったら、やっぱり99を推したいっていうところもあって。それだったらむしろ、70を推したくなってきています。
暮田真名:俳人のみなさんが28に感じているような致命的な傷を、私は45の〈短夜〉に感じています。これだけありきたりな表現を使っていて、そこにメタ視点を感じない。45は良くないと思って、28は良いか分からない、っていう感じです。
黒岩徳将:それはそうなんですが、この場としてグランプリを決めるときに28のさりげないうまさで見せるという方向性の中の傷がある、小さなまとまりがあると感じられちゃう。優秀な作品ではあるけど、グランプリは無理かなと。45は大きなマイナスがあったとしても、それを上回る言葉遣いもムードも良いと思った。
浅川芳直:何か言われたときこの句良いでしょうって言える自信があるのは28と45。ただ、昨日「学生俳句」なるものがあるとしてって話をしたんですけど、「分かる」「すべて」とか、上五細かくみたいな作り方が、ある種のパターンみたいな感じはある。99に辛口なのも、発想に方程式的なところが感じられるからなんですよ。
若林哲哉:「学生俳句」はすごく主語が大きいです。45は45で味わっていい。
浅川芳直:いや、その傾向の中に入ってくるかなって。もちろん45は45として。
若林哲哉:45がその傾向にあるから悪いという話ではないですよね。
浅川芳直:傾向の良し悪しもあるけど、流行りと作者の個性がどう相克しているか。45は、俳句表現としては世代的な型の中にも独自性が感じられるので、評価しています。でも、表現された人物像のところで暮田さんのご指摘があると思うんです。もうちょっと見えてきてほしい気もするんです。十句では高望みかもしれませんが、流行の縛りを外せばもっといけたんじゃないかと、そこが70と迷うところで……。
若林哲哉:誰かから思われている、愛情を向けられていることを一種のステータスと言いますか、それが自分の魅力であると内面化している、それを一貫して描けているというのはベースとして割と高く評価できると思っています。〈短夜〉の句が、どれくらいの深い傷になるのかっていうのはあるのだけれど。
木田智美:作品のテーマっていうか、このテーマ全体を表すのに、読者が分かるように「恋」って言葉を親切で入れたんかなって、思ったのかな。でもこの句が入ったことによってそこまで大きいマイナスになってないと思っているので、この句があるからダメということにはならないと思います。ほかの句で魅力的な句はたくさんあるので。そこまでの問題ではないと思いました。私は一番推したいのが45、その次ってなると28ですかね。あと70と99どっちって言われたら迷うんですけど、でもどっちかってなったら70かな。70もち〈てんしどくはく〉は読み切れないなと。有季定型のほうが魅力的だと思うので。魅力的な言葉はたくさんあるとは思うんですけど。どうなんでしょう、迷うところはあります。
浅川芳直:70は応援するけど責任を持ち切れないっていうのは、この系統の句でダメな句の想定がよく分からないからなんです。みんながこれをやりだしたとき、その中の良し悪しをちゃんと言えるのか。そうでないと、責任を持って選んだとは言い切れないんじゃないかと。〈芒〉みたいな分かりやすいベタつきなら判断つきますけどね。
木田智美:〈うさぎ〉は兎の冬の季語として、この作風だとこの議論をすることも違うのかなと思ったり、どう議論していいのかあんまり分からないというところがありますかね。
黒岩徳将:黒岩が70の内容に深く突っ込まずに激推ししているところも無責任だと思われるかもしれないですね、もしかしたら。
浅川芳直:十句としての構成とか魅力については、昨日からかなり議論したとは思いますけど。〈てんしどくはく〉はどう読みましたか?
黒岩徳将:モノローグだと思っていて、「私は天使!どうしてきらめいてしまうのだろう、罪だわ」みたいな。読者としては楽しく「どうぞ勝手に陶酔してください」という気持ちになって笑える。気分の良い音の感覚だけ楽しんで次行こう、みたいな。「いつどこで誰が何をした」、という具体的な景の定め方を最優先事項に置いていない作りですね。〈手帳から〉も。
木田智美:どういう意味って聞かれたら、私は説明できないなって思ってしまって。この作品がもしグランプリになったときに、自分がこの句はどういう意味ですかって聞かれたら説明できなくて困ってしまう、と思いましたね。
黒岩徳将:そのときに、「音だけ楽しんでいいんですよ」、とは言いたくないんですか?
木田智美:意味も音も、両方そなわってほしいと思います。歌の歌詞で流れてくるんやったら、歌手の声とかも相まっていいかなと思ったんですけど。文字だけ見たときに俳句としては意味を考えてしまうところがあります。
黒岩徳将:僕は一句一句に別々の歌手を夢想して、どんな声でこの句を読み上げたら最高だろうか、くらいまでやりますね。
若林哲哉:〈手帳〉の句、例えば手帳には予定を書き込むだとか、そういうところがあって、書き込んだことが、その兎にメタモルフォーゼしていく。冒頭の〈はれーしょん〉の句もメタモルフォーゼというテーマから始まっているので。〈手帳〉の句が世界観を損なうものではないと思います。手帳に何かが書き込まれることで何かが再び始まるという、むしろ読み味は分かりやすいんじゃないかなと。
4. 最終決戦投票・賞決定
進行役(司会):全議論を終え、最終決戦投票を行います。各選考委員が順位(1位:3点、2位:2点、3位:1点)をつけて採点します。
選考委員別の採点結果
木田智美
- 1位(3点):45. 遠雷
- 2位(2点):28. 深皿
- 3位(1点):70. puzzle
- 4位(0点):99. けど正解
若林哲哉
- 1位(3点):99. けど正解
- 2位(2点):70. puzzle
- 3位(1点):45. 遠雷
- 4位(0点):28. 深皿
暮田真名
- 1位(3点):70. puzzle
- 2位(2点):99. けど正解
- 3位(1点):28. 深皿
- 4位(0点):45. 遠雷
浅川芳直
- 1位(3点):28. 深皿
- 2位(2点):45. 遠雷
- 3位(1点):70. puzzle
- 4位(0点):99. けど正解
黒岩徳将
- 1位(3点):70. puzzle
- 2位(2点):45. 遠雷
- 3位(1点):28. 深皿
- 4位(0点):99. けど正解
集計結果
70. puzzle:1点(木田)+ 2点(若林)+ 3点(暮田)+ 1点(浅川)+ 3点(黒岩)= 10点
45. 遠雷:3点(木田)+ 1点(若林)+ 0点(暮田)+ 2点(浅川)+ 2点(黒岩)= 8点
28. 深皿:2点(木田)+ 0点(若林)+ 1点(暮田)+ 3点(浅川)+ 1点(黒岩)= 7点
99. けど正解:0点(木田)+ 3点(若林)+ 2点(暮田)+ 0点(浅川)+ 0点(黒岩)= 5点
以上の採点結果により、作品70「puzzle」がグランプリに決定いたしました。
個人賞(選考委員賞)
【個人賞の決定について】 各審査員による個人賞(選考委員賞)は、グランプリ候補として合議・投票した作品に限らず、すべての予選通過作品を対象として、審査員ごとの独自の視点で選出されました。
ASAKAWA'S CHOICE:作品41「チューバ拭く」
KIDA'S CHOICE:作品45「遠雷」
KUREDA'S CHOICE:作品99「けど正解」
WAKABAYASHI'S CHOICE:作品36「盗泉」
KUROIWA'S CHOICE:作品87「鱗」
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